第12話 したたかなる策士
裕星の少し前を歩いている女性が写っている。この写真だけで二股交際だと判断するには、随分と乱暴すぎる記事だ。
しかも、夕刻時の帰宅ラッシュの都内で、人気アイドルの裕星が大通りに面したレストランへ人目もはばからず恋人と二人きりで入るものだろうか、という矛盾も感じる。しかし、記事の内容には事細かに『知人の話によると』のお決まりの定型文が書かれていた。
それによれば、裕星はすでに数年前からこのヘアメイクの女性と仕事で知り合い交際に発展して、昨夜はたまたま彼女の家族が経営するレストランに無防備にも姿を現したところを本誌がキャッチした、などと書かれていた。
「なんだこれ?」
裕星が怒りに震えながら訊くと、「そりゃあ、こっちが訊きたいよ」
松島が怒り心頭に言った。
「昨日は俺に一言も断らず勝手にこの女の車に乗って行っただろ? これじゃ、俺も弁護の余地がないぞ」
「はぁ? どういうことだ? 俺がこの女の車に乗ったって?」
裕星は
「裕星、最近のお前はかなりおかしかったぞ。妙にソワソワしてたし。それになんだか男らしくなかったな。ファンだってあんな軟弱な裕星には愛想をつかすほどだったぞ」
松島が更に追い打ちをかけた。
裕星は身に覚えがあるはずはない。ここに載っている自分の写真は、全て自分の姿をした美羽なのだ。
「社長、これは俺じゃないというか、ああ、いや、俺なんですが、この人と交際してるわけじゃありませんよ。ただこのレストランに入っただけのことじゃないですか」
「まあ、お前のことだ。そうだというのは分かってるよ。しかし、こいつら週刊誌のやつらにそれは通じないんだ。ハイエナのようなやつらだからな。こんな風に前後左右に女性が写ってさえいれば、わざとその女性とのツーショットになるように撮って、三流小説みたいな妄想エピソードを書きやがる。噂好きおばさんたちの
「裕星さん、大丈夫なの? 美羽さんがまたショック受けてるんじゃないのかな?」
陸が美羽の心配をしている。
「大丈夫だよ(これは美羽なんだから)」
裕星は少しも動揺する様子はなかった。
「裕星、この女性を知ってるのか? どうしてこの人の車に乗ったりしたんだ?」
光太に訊かれ、裕星はもう一度、写真の女性を確かめてみたが、いったいこれが誰なのかも分からなかった。
「この記事に関しては完全スルーでいきます。もちろん事実をまったく無視した記事です。俺もこの人のことを確認したいから時間をください。それに、コメントを出すほどでもないようなくだらない内容ですよ」
その夜、裕星はマンションに帰るなり、美羽にあの週刊誌を見せて訊いた。
すると、「あーっ、これ、あの時のだわ!」美羽が早速反応した。
「知ってるのか、この女のこと」
「うん。でも、この人、裕くんのヘアメイクさんみたいよ。あの日は、不治の病の妹さんがいるから、どうしても会ってほしいと言われて、このレストランに行ったの。ここは彼女のお兄さんが経営してるところらしいの」
「―—そういうことだったのか。でも、この記事ではもう俺の半同棲相手になってる.。ふざけた話だな」
「裕くん、ごめんなさい。まさかこんなことになるなんて……」
「仕方ない。そんな同情を誘う話を聞かされたら、お人好しのお前ならやりかねないことだからなぁ。――で? そいつの妹って子の病気はどうだったんだ?」
「それが……詳しいことはよくわからなかったけど、とっても元気そうだったわ」
「――ふうん。まあ、
「……ごめんなさい」
「いいよ、責めてるんじゃないんだ。ただ、人の善意を利用するやつらもいるのは確かだ。だから俺も日頃から細心の注意をしているんだ。
俺たちが入れ替わって知ったことは、お互いの苦労だったのかもな」
「そうね……私も裕くんになってよくわかったわ。初めは裕くんは、女の子たちにモテて有頂天になってるのかしらって──」
「そんなこと……」
「なかったわ。むしろファンの人たちに対する責任を感じることが多かったの。ちやほやされてると思っていたけど、辛いときも辛いって言いづらいし、泣きたいときもグッと我慢したりしないといけなかったりね」
「でも、あの時助けに来た美羽は本当に俺よりも勇ましかったよ。まるでアメリカンヒーローみたいだった」と裕星が嬉しそうに言った。
「やだ、恥ずかしいわ。あれは裕くんの体だったからできたことよ。常にストイックで自分を厳しく鍛えている裕くんだから、私の思考に体が反応してくれたのよ」
裕星は急に思い出したようにニヤリとした。
「だけど、残念だったな。俺が美羽の体のとき、もう少し美羽を堪能しておくべきだった」
「もうっ、裕くんたら!」
「ごめんごめん、冗談だよ。美羽のものじゃない体はただの抜け殻だからな。やっぱり他人だからこそ、わからないところを理解したいし、自分と違うところも好きになっていくんだと思ったよ。」
「……裕くん」
二人はその晩、今までの不思議な現象がまるで夢の中の出来事だったかのように、互いの温もりに安心して久しぶりにぐっすりと眠れたのだった。
***翌朝 事務所前***
大勢の記者たちがJPスター芸能事務所の前に集まっている。
昨日の写真付きの記事を信じたやつらだろう。ワイドショーのリポーターの姿とカメラまであった。
裕星は、事務所の窓から騒がしい外の様子を見下ろしていた。
「社長、すみません。こんなことになるとは」
「―—あいつらを帰すのにコメントを出した方がいいだろうか?」
松島が行ったり来たりしながら神経質そうに言った。
「――いや。そこまでする必要はない。どうせまた時間が経てばうやむやになるだろう。事実じゃなければ、すぐに『破局した』とかなんとかお決まりの記事を書いてな」
「社長、なにを悠長なことを言ってるんですか。これじゃ俺たちだってやりづらいですよ。また仕事の度に取材合戦に遭うからね」
リョウタが窓の外を睨みつけながら言った。
「俺がコメントを出せばいいなら、そうしますよ。それに、どこをどうしたら、あの誰だかわからないような女性と俺が半同棲してるなどと書けるのか分からない。事実じゃないんだからハッキリさせた方がいいんじゃないですか?」裕星が
するとその時、秘書の沢木が社長室に飛び込んできた。
「これ見てください! 裕星の相手とされている女性がテレビに出てますよ!」
沢木はテーブルの上のリモコンを掴み取ると壁に掛けられた大型テレビを付けた。
ワイドショーのリポーターが、顔をモザイクで隠した女性にインタビューしている映像が流れている。
<それで、Aさんはそんなに前から海原さんとお付き合いを?>
<ええ。初めはタレントとヘアメイクという仕事関係の仲でしたけど、最近では家まで来てくれるようになって>
<あれ、でも、海原さんて前にお付き合いしてる人がいるという噂もありましたよね? つまり浮気相手ってことですか?>
<ええ~、それ逆じゃないですか? 交際って何の法的根拠があります? 交際してると思ってるのは向こうの女性だけかもしれませんしね。
私なら、ほら裕星と同じ高価なアクセを身に着けてますよ。裕星にもらったものです>
そういうと、手首のブレスレットをチラリと見せた。それは若者に人気のブランドで、高価なものではあったが、何も裕星でなくても金を払いさえすれば誰でも買えるアクセサリーだ。
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