2:アンダーテイカー『葬儀屋』

「新人?」


 アンダーテイカーは不機嫌だった。

 ご飯がまずい……。


『そうだ、朝食後に面談となる……良いな? アンダーテイカー』


 真っ白な部屋、その壁に埋め込まれた僅か4インチの小さな有機ELのフィルムモニター。

 そこからワイシャツにネクタイを締めた偉そうな看守がふんぞり返って予定を伝えてきた。


 アンダーテイカーは無言、収監室の中での服装は自由なのでいつも通りのショーツとTシャツ姿。

 出された味気ない朝食をまた一口、口に運び……小さなテーブルの横にあるゴミ箱に直接吐き捨てる。


『おい、聞いているのかアンダーテイカー?』

「聞いてて無視してる。女?」

『ああ、昨日卒業した』

「正気? また殺すわよ?」

『そうなれば今度こそお前はロウブレイカーに格下げだ。その翌日に銃殺になる』


 ……アンダーテイカーは長い黒髪を手でくるくると巻いて思案する。

 前髪も伸ばし放題なので目線が隠れているが、その裏では視線を彷徨わせて……


 左も白、右も白、机も下着もTシャツも白……床もベッドもトイレですら……白。


「満場一致……か」

『何の話だ。で、ちゃんと聞いてるのか? 朝食後迎えに来るぞ』

「わかったわ。でも条件……この部屋から出る気はない。その新人とやらが来なさい」

『馬鹿な事を……駄目だ』

「ならお前を喰う」


 間髪入れないアンダーテイカーの言葉に、看守がたじろぐ……。

 前任の看守もこのアンダーテイカーが殺してしまった。


『上に許可を取る。待ってろ』


 それだけ言って、モニターの画面は暗転する。


「賛成多数で殺さない、今日はそう決めたわ」


 ぽい、とトレーごとゴミ箱に朝食を捨てて。

 アンダーテイカーはベッドに寝転ぶ……ふくよかな胸がピンと天井を向きシャツを張る。

 

「おいしそうな子だと良いんだけど」


 やる気につながるから。 

 そんな真っ白な部屋の中、一つだけ煌々ときらめくLEDライトがまぶしくて毛布を引き寄せ顔に被せた。


「不味そうだったら……まあ、その時よね」


 くう、となるお腹の可愛さに反比例して機嫌はどん底……空腹が何より嫌いな彼女は目を閉じ眠りに逃げる。

 毎日清潔に保たれるクリミナル収容室、きっとロウブレイカーに落ちれば汚いコンクリートの床にイカ臭いシミの壁、防寒など考えられていない鉄格子の窓……それに。

 きっと腐る前の残飯が上等なご飯。

 それだけは嫌だった。


 仕方ない、今回は少し我慢をしよう……このままでは餓死する。


「ああ、食べたい」


 ぽつりとこぼした本音の数秒後、小さな寝息が部屋に流れ始めた。




 ◆◇―――◆◇―――◆◇―――◆◇




 クリミナル収監施設『トイ・ボックス』その通用口をくぐる金髪に黒目の珍しい容姿に中肉中背、Tシャツの上にブラウス、Gパンを履いた女性。

 まだ幼さが残る顔に反比例して、釣り気味の目元にきびきびとした動作が彼女の気の強さを表しているようだった。


「面談予定のマリオネットマスター。マリア・神守です」


 不法侵入と脱走を防ぐために通用口はわざと小さく作られており、そこを通る際はカメラで奥の監視室と直通通話が強制的に繋がれる。


『身分証と面談時間を』


 マリアが声のする方へ視線を向けると、遠隔で発砲できる可動式銃座に乗った銃身とカメラがこちらを見ていた。


「マリオネットアカデミー『善人の道化師』発行の卒業証書と面談予定時間は今から15分後、10時20分です。卒業証書の取り出しにバックを開けますが良いですか?」

『許可する』

「……」


 無言でマリアはB5サイズの特殊厚紙に印字がされた卒業証書を取り出してカメラに向ける。


「……(これでなんかの間違いで偽物だと判断されればハチの巣か)」


 物騒な考えだが、この街ではこれくらい慎重でないと警官だろうが市長だろうが権力者はすぐに死んでしまう場所だ。

 落ち着いて深呼吸をしている間に確認が済んだようで目の前のドアのロックが外れる音がする。


『マリア・神守、確認が取れた……ようこそトイ・ボックスへ。その扉の向こうに案内役が居る。彼の指示に従え』

「了解」


 卒業証書をバッグにしまい、ドアノブに手をかけるととても重く……両手でやっと捻る事が出来た。

 全力で足を踏ん張り引っ張る。


 ――ぎぎぃぎぎぎぎぎ!!


 耳を劈く金切り音、扉もとてつもなく重く何とか一分がかりで自分の通れる程度の隙間が開いた。


「重い……何なのよこれは」


 よく見れば蝶番は錆びて、油を何年も差してない様に見えるし微妙に扉がゆがんでいたのか内枠にはドア本体とこすれた跡がくっきりと出ていた。


「1分ちょっとか……今年の新人は優秀だな」


 扉をくぐると灰色のコンクリート壁にもたれかかり、腕時計を見ている男性がいる。

 

「案内役のカイだ……今年でマリオネットマスタ―としては6年目、同期は全員死んだ。質問は?」


 左目に黒い眼帯をして、マリオネットマスターの制服である黒いワイシャツに赤のネクタイ、濃紺のスラックスを履いて金髪を揺らしていた。


「先日卒業が認められ! 本日からマリオネットマスターとしてトイボックスに配属されましたマリア・神守です! 現在質問一つ、要望が一つあります!」


 びしっと踵を合わせ、右手を額に当てマリアは教わった通りの挨拶をする。

 

「言ってみろ」


 そんなマリアをカイは面倒くさそうにため息をつきながら促した。


「このドアは自動では締まらないのでしょうか!!」


 ……沈黙が場を支配する。


「後、着任後……ぜひ自分にこのドアの整備を命じていただけないでしょうか!!」

「そのドアの立て付けと錆はわざとだ、整備は却下する。ドアは自分で締めろ、一分以内だ」

「了解!」


 そこでようやくカイは腕時計からマリアに視線を送る。

 金髪と珍しい黒い瞳。体格は並だが……Tシャツから覗く二の腕はしっかりと引き締まっており。大の大人の男性でもコツがつかめないと数分かかるこのドアの開閉。


「悪くない、馬鹿だが」

「はい?」

「頭が悪いと言った。アカデミーからは現実を叩き込んでほしいと希望が来ている。頭以外はマシな結果だ」

「あ、あはは……ド畜生」


 何とかけたたましい音と共にドアを閉めたマリアが小さな声で悪態をつく。


「それがすんだら制服に着替えろ。その後面談だ……」


 踵を返し、女子更衣室へ向かいカイは歩き始めた。

 その背を追いながらマリアは施設の中をあちこち見る。


 清潔で綺麗な廊下、窓は収監施設なので一階には無いと聞いていた。

 壁も天井もまるで塗りたてのように真っ白で、綺麗。


「質問、しても良いですか?」

「歩きながら答えられる内容なら」

「なぜこんなきれいに?」

「クリミナルに綺麗好きが居るからだ、汚した場合ペナルティが課せられる。気を付ける様に」

「……了解」


 これは職員の努力ではなく犯罪者のこだわりと知って、マリアは聞かなければよかったと肩を落とす。

 そんな雰囲気を察して、カイは言葉を続けた。


「マリオネットマスターは……クリミナルを人として見てはならない。お前はその一点、まず俺から合格をもぎ取った。良い新人だ」


 思わぬ言葉にマリアが顔を上げる。


「は、はい」

「合格のご褒美に一つ質問してやる。答えろ」

「はいっ!」

「お前は本来、警察官志望だな……なぜだ」

「そ、それは……母が、警察官だったからです……」

「三年前に殉職したんだったな……だから疑問に思った」

「……」

「クリミナル・ロウブレイカー法案が嫌いか?」


 マリアの手がギュッと握りしめられた。

 歩みはいつの間にか止まり、カイはマリアの顔を直視する。


「嫌い、です……」

「だろうな……だからこそお前はふさわしい」

「どういう、意味ですか?」

「いずれ分かる」


 それ以上カイは口を開かなかった。

 ただ……


「…………(さっきよりゆっくり歩いてくれている?)」


 大柄なカイの歩く速度は速い、少し小走りになってやっと追いつけるマリアに合わせてくれているようだ。


「……(案外優しいのかも)」


 キツい第一印象だったが、思ったよりも面倒見がいいのかもしれない。

 そう思うマリアは顔には出さずただただその背を追う。


 しばらく一直線の廊下を進んだ後、鉄格子の扉の手前に女子更衣室と書かれた札が見えた。


「ここだ、定期的に更衣室の場所はローテーションする。下着や私物は最低限、ローテーションのタイミングは不定期、保管は6時間だ。良いな」

「了解」


 そのまま敬礼するマリアが一向に動かないのを見て、カイは首をかしげる。


「早く着替えろ」


 たっぷり一分待ってからカイは促したが……


「いえ、その……カイ先輩」

「なんだ?」

「そこからだと……その、中が見えると思うのですが?」


 もじもじしながらマリアが思った事を口にする。

 ふと、右に顔を向けると確かにドアの上に備えつけられている確認用のガラス窓……たまたまだろうか? 着替え中は中のブラインドを下せるが……職員の女性が一人着替えていて目が合った。


「確かに、俺の配慮が足りなかった……謝る。すまなかった……ついでに一つ頼まれてくれ。中にいる職員に不可抗力だと」


 微妙に頬を赤らめカイは足早に立ち去る。

 少し離れたところが給湯室なのか、自動販売機で何か飲み物を買う音が響いた。


「了解です。カイ先輩」


 意外と何とかなりそうだとマリアが気楽だったのはここまでだった。

 しばらく経って……


 ――がちゃ


「カイ先輩、着替え終わりました」

「ああ……助かった。飲め」


 カイと同じように黒いワイシャツに赤のネクタイ、濃紺のスラックスに着替えたマリアに缶コーヒーが一本、放り投げられた。


 慌ててキャッチしようと思ったマリアだが、実は若干不器用で取り落としてしゃがみ込む。


「……不器用なのか?」

「きゅ、球技全般が大の苦手でして」

「そうか、次は気を付ける」


 流石に中にいた職員をしっかり説得してくれたマリアを今だけは無下に扱えない。

 そんなカイは改めて鉄格子に向き合う。


「ここの鉄格子から先はクリミナルの収容所区画。決まりは分かっているな?」

「はっ!」

「言ってみろ」

「一つ、クリミナルに触れてはならない。一つ、クリミナルと交渉をしてはならない。一つ、クリミナルとの契約を破ってはならない」

「よろしい、では入る……気をつけろ」


 壁に備え付けてある監視カメラに向かい、カイは声をかける。


「アンダーテイカーに面談だ、開錠してくれ」


 すると、収容所区画側から一人の女性が歩いてきた。


『アンダーテイカーが看守を気絶させて出歩いてる、そろそろそこにつく』


 白いショーツに白いTシャツを身に着けた黒髪の女性はふらふらと、目元が隠れて腰までなびく黒髪を揺らし……鉄格子の前で止まる。


「今来た、何があった」

『朝飯の配膳、間違えたらしい……腹を空かせているから気をつけろ。新米の嬢ちゃんを下げて面談は後日……』


そこまで監視室の職員がしゃべると、不意にアンダーテイカーは顔を上げた。


「代わりのご飯を持ってきてくれたら大人しく戻る。おやつもくれたら面談もおとなしくする」


 ―― 一つ、クリミナルと交渉をしてはならない。


「ことわ「わかった、すぐ用意する」」


 マリアがアンダーテイカーに拒否の言葉を言おうとすると、カイはとっさにその口を手で塞ぎ……アンダーテイカーへ了承の旨を伝える。


「……カイは利口。長生きのコツ、そのアバズレに教えるといいわ」

「これから鍛える」

「そう……じゃあ、持ってきて」


 ぺたん、とその場に座り込んでご飯を待つアンダーテイカー。

 どこからどう見ても丸腰で……拘束服すら来ていない。


「わかった、そこから動くな……マリア。ゆっくりと下がれ」

「……(コクコク)」


 手に伝わる感触でマリアが頷いたのを確認し、カイはアンダーテイカーから目を離さずにゆっくりと下がる。


「そんなに警戒はいらない。邪魔はしないから……早く頂戴。ほら」


 べろん、と口を開けて長い舌を出し。

 ぎざぎざの鋸刃のような歯を見せつける。


「……わかった。一つだけ、謝ろう。配膳を間違えてすまなかった」

「良いよ。お前は礼儀正しい……許す」

「……ふう」


 ようやくカイは緊張を解き、マリアを連れて足早にその場を離れる。

 長い直線の廊下を曲がりアンダーテイカーの視界から完全に抜けた後、カイはマリアの口から手を放した。


「なんで……言う事を……」


 マリアの瞳に燃える怒りに、カイはため息を交えながら答える。


「死ぬところだったからだ」

「あんな素手のクリミナル一人!!」

「そう言った左遷組は今月全員死んだ。あいつの食事は契約で決まっている。間違えたのはこっちだ……覚えておけ。クリミナルとの契約を破ってはならない、これが最優先だ。間違えるな」

「……了解、しました」


 ガシャン!


 ――まーだー?


「時間をくれ、今電話している」


 カイは手早く端末を操作して食堂に連絡を入れる。

 数秒しない内に担当の調理師が電話に出た。


『確認してます。3分以内で届けると伝えてください』

「わかった」


 監視カメラでモニタリングしてくれている監視室からすでに連絡がいっているらしい。

 スムーズに最小限のやり取りでカイは端末を切り、アンダーテイカーへ大声で伝える。


「三分で出来上がる! そうしたら持っていく!」


 ――わかったー。


 そんなやり取りの一つ一つが……マリアには非常に苛立たしかった。

 反対に……アンダーテイカーはと言うと……。


「生意気……」


 べろり、と口元を舐める。

 彼女の笑う低い声は数分後、カイが食事用のトレーと共に現れるまで続いたのだった。


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