第50話 それでも俺は好きとは言えない
件の土曜日がやって来た。
俺たちは会場となる会議室前で、資料の確認がてら出欠をとっていた。
「三好先生。委員会メンバー、全員揃っています」
「そうか、分かった。資料の確認は済んだか?」
こちらを振り向いた三好 京子と宿毛 鈴に対して頷きで返す。
俺たちが持って来ている資料は、主に自分たちの立場を整理し、文章として纏めたり、事前に予測した質問とそれに対する返答例を書いた、言ってしまえば台本の域を出ない物だ。
でもそれで良い。俺たちは別にプレゼンテーションをしに行くわけじゃない。あくまで異議申し立てをしに行くだけだ。
「会議室に入る前に、とある人物からお前たちに伝言がある。酔っている奴は嫌いだ、だそうだ」
「だそうだって……。伝言というより感想じゃないですか。それに誰からの伝言なんですか?」
「本人からの頼みで秘密だ。まあ、ヒントをやるとすれば、お前の嫌いな人間の中のひとりだ」
「俺の? 誰だ……? てか、何で先生が俺の嫌いな人間を知ってるんですか」
「まあまあ、そこは気にすることは無い。それより、もう一つ、私からお前たちに伝えたいことがある。すまなかった。私が不甲斐無い所為でこんなことになってしまった。申し訳ない」
「いいえ、先生。先生の所為じゃありません。もとはと言えば、この人間嫌いで自分嫌いな変人の所為ですから」
宿毛がそう言いながら俺に指を立てる。
相変わらず口の悪さは健在のようだ。てか俺だけの所為じゃないだろ! 言いたくは無いけど先生にも非はあるし、そう言う宿毛だって委員会設立の原因の一人な訳だから、俺だけが攻められるのはおかしい。今すぐにでも異議を唱えたい。
「でも……松瀬川君が居なければ私は救われることは無かったし、先生があの委員会を作ってくれてなかったら、亀水さんとは仲直りをする事も無かったかもしれない。それに、好きな人も出来なかった……。だから私の居場所の一つを無くしたくないです」
「そうだな……。私も全力でお前たちを支えよう。生徒の背中を押してやるのも教師の務めだ」
亀水は変わっていた。
自分と言う殻に閉じこもり、群れの中で生きることに精一杯だった彼女は、他人から逃げすに周囲を見渡すことが出来るようになった。
宿毛も変わった。
他人を安易に近づけず、客観的な視点を持っていた彼女は、前よりも素直で少し我儘になった。
俺が変わろうとしている。
自分の事が嫌いで、そんな自分を誰かに知られたくなくて他人から逃げ続けていた俺は、好きな人に好きだと言う為に自分と向き合おうとしている。
人は変われる。衝撃と意志さえあれば何度でも、どんな形にも変われる。俺は……俺たちは変わりたいと願う人にきっかけを作ってやれる存在になりたい。
「それじゃあ、鈴ちゃん。松瀬川君。行こっか」
亀水の言葉に俺と宿毛は頷く。
三好 京子に先導される形で会議室へと入室する。すると直ぐに亀水 巴と目が合う。
三好 京子は俺達が着席するまで俺達の事を目で追った。そして彼女の視線が外れた直後、進行役である保護者会会長の長生 勝太郎が話し始める。
長生 勝太郎は今回の保護者会の議題を発表した後、議題についての補足を加える。
「———これについて、まずは相談委員会の生徒達の考えを聞いて頂きたい」
「我々の考えを述べる前に自己紹介をさせて頂きます。一年一組、宿毛 鈴です。そして私の隣に座っているのが、同じく一年で二組の松瀬川 重信。その更に隣が同じく二組の亀水 咫夜です」
俺と亀水は、宿毛の紹介に合わせてこの場に居る保護者達に一礼を行う。
「今回の騒ぎについてですが、私達は委員会解散に対して反対の立場ではありますが、あの学校新聞を作った生徒とは無関係です。何度かその生徒とは接触していますが、作成するよう指示したり何かしらの関与を行ったと言うのはありません」
宿毛がこちらの主張を述べた直後、亀水 巴がすぐさま質問して来た。
「私もあの記事は見ました。驚きました。学生が……それも高校生があんな事をするとは思いませんでした。ですがあの記事の内容は明らかにあなた達の肩を持つような書き方をされていました。本当に関係していないのですね?」
「はい。あの記事の内容はあくまで問題を問題として取り上げたに過ぎません。それに肩を持つような書き方をしていると言うご指摘でしたが、あれはどちらかと言うと、我々の事を利用していると言った方が正しいと思います」
「利用するも何も、そもそも問題になっていないのに問題として取り上げられるのは、こちらとしても困るのです」
こんな舌戦が繰り広げられている最中、俺は周囲の人間の様子を見て、入室前の三好 京子の言葉を思い出していた。
亀水母のあの異様なやる気は置いておいて、問題は彼女の周りの保護者だ。二、三年生の保護者は呆れた顔をしているが、彼女と同じ一年生の保護者は熱心に彼女の言葉を聞いている。先生が言っていた酔っている奴は嫌いだというのは、こいつらの事か? だったらタチが悪い。やる気の無い無能よりやる気のある無能の方が危険だ。勝太郎さんが事前に言っていた少なくとも味方は居ないと言うのはこれが原因か。
今の保護者会の状況は、亀水母とその信者達が暴走しており、他学年の保護者達はやる気が無い。
よくもまあ、こんな体制で今までやって来たものだ。高すぎるリーダーシップは他を腐らせると言うのが良く分かる。
「お母さん……」
そう呟く声が聞こえて隣を見てみれば、亀水が母親の事を悲し気な眼差しで見ていた。その表情を見た俺の中に、妙な正義感が生まれた。
「ですから、我々は―――」
「宿毛。落ち着け」
「松瀬川君……」
気持ちがヒートアップしつつあった宿毛を制し、自分自身も状況を整理する為に落ち着かせる。
宿毛が熱くなるのも分かるが、今の俺たちの相手は亀水母では無い。
「副会長。何故、あなたはそうまでしてこの委員会を無くそうとするのか、我々には理解しかねます」
「無くそうとはしていませんよ。ただ必要が無いから、無駄を無くそうとしているんですよ、松瀬川君」
「俺たちは不必要だと?」
「そうです。それは本来、あなた達がやる事ではありません。学生は学生らしい生活を送るべきなんです」
「俺たちのこれが学生らしいかどうかは置いておいて、やるべき事かどうかと問われれば、俺も副会長と同意見です。ですが、需要はあります」
「需要?」
「委員会の活動記録は読まれましたか?」
「ええ。勿論、読みました」
「その活動記録には、実際に教師相手では話しづらいと言って来た生徒もいます。今回は担任である三好先生が、委員会申請の対応に長く追われていた為、代理として俺たちが受けた相談も複数あります。しかしだとしても、先ほど言いましたが教師に、更には家族にも大人にも相談しづらいと言う生徒は存在します。そういった人たちに手を差し伸べることを許しては貰えませんか?」
俺たちの相手は亀水 巴でも、学校側の人間でも無い。ましてや亀水 巴の周りにいる泥酔者でも、彼らを呆れた顔で見つめる素面の奴らでも無い。
真に相手すべきは、人間の善意だ。
人間の意思には必ず方向を表す矢印が存在する。それは悪意だろうが善意だろうが関係無い。俺たちがやるべきはその矢印の向きを変える事だ。
今は学校側への善意からなる彼らの意思を、今度は生徒側へと傾ければ、後はドミノ倒しのように事が運ぶ筈だ。
敵を作らない。自分も犠牲にならない。平和的な方法だと自信を持って言える、が―――。
「駄目です」
亀水 巴は思っていたよりも合理的な人間のようだ。
「それを踏まえた上で教師、或いはカウンセラーが対応する事でしょう?」
手強い……。でもそんなだから実の娘があんな悲しそうな眼で見るんだ。
俺はあの瞬間、亀水のあの表情を見て、もうあんな顔をさせたくないと思った。だから俺は亀水 巴を悪役にはさせない。
「あの……。自分は相談委員会、あっても良いと思います……」
そう口にしたのは、亀水母に酔っていた一年生の保護者の一人だ。
亀水 巴はその人の事をギロリと鋭い眼光で睨むが、その保護者の言葉を皮切りに、次々と同じ様な意見を持つ者が出て来た。それは一年生の保護者だけに留まらず、今まで沈黙していた二、三年生の保護者からも続々と声が挙がる。
亀水 巴は合理的だ。だがそれは立場と言う物があるからで、そんなものが無い人間は、意外と自分の気持ちに正直だ。
この場に居る立場と言う物を持つ人間は、副会長である亀水 巴と会長である長生 勝太郎。それから校長と教頭、教師である三好 京子のみである。
保護者は何処まで行っても保護者だ。我が子の為となれば、社会性なんて簡単に捨てれる。
「でも―――」
「副会長」
尚も俺たちに噛み付こうとする亀水 巴に対して、ここまで様子を窺っていた長生 勝太郎が動いた。
「もう、良いんじゃないのかな?」
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