第42話 恋の切れ目は突然に

 笑顔、笑顔、何処を見ても笑顔。閉鎖された空間で、統一された服装に身を包み、限られた時間を仲間と過ごす。長い人生に於いて半分にも満たないこの時間が、彼ら彼女らには掛け替えのない思い出になる。それは青春と言うラベルが貼られているからでも無く、若さと言う取り返しのつかないものを犠牲にしているからでも無い。彼ら彼女らはただ単純に楽しんでいるだけなのだ。

 楽しい時間は一瞬だ。だが楽しい瞬間こそ、すぐには忘れたりしない。これから訪れるであろう苦難や悲しみを彼ら彼女らはこの一瞬を糧に乗り越えていく。そんな支えにもなる一瞬は、果たして俺に訪れるのだろうか……。


「あ! 松瀬川君!」


 何となく見回りをしていた俺は、いつの間にか自分の教室の前までやって来ていた。


「亀水か……」

「どう? 見回りは順調?」

「まあな。そう言うそっちは―――順調そうだな」

「うん!」


 教室の前にある程度の列が出来ているが、大して慌ただしくも無い。きっと上手く捌けているのだろう。


「ねぇねぇ、松瀬川君」

「何だ?」


 肩をちょんちょんと突っつく亀水に視線を戻すと、彼女はその身に纏ったメイド服を見せつけるようにその場でくるりと回って見せる。


「どう?」

「どうって……。ロングスカートだし、露出も少ないから合格だ」

「そうじゃなくて! 風紀委員的な目線じゃなくて!」

「はぁ……。似合ってるよ……」

「ふふっ、ありがと」


 全く……。彼女には敵わないぜ……。


「あ! そうだ! 松瀬川君に見せたいものがあるの」


 無邪気にはしゃぐ亀水に手を引かれるまま、教室もとい店内へと入る。すると彼女は、俺を独り置いてバックヤードへと向かった。

 ほんの数秒の後、彼女は何故か宿毛を連れてバックヤードから出て来た。


「じゃーん! どう? 似合ってるでしょ?」

「ちょ、ちょっと、咫夜さん……」


 引っ張り出された宿毛は、何故か亀水と同じメイド服を着ていた。


「どうって言われても……」


 顔を逸らし、居心地悪そうにモジモジとする宿毛。

 服のデザインは亀水と全くの同じなのに、宿毛が持つ潜在的な気品の高さから、その姿は亀水以上に似合っていた。


「似合ってるぞ?」

「あ、ありがと……」


 耳まで真っ赤に染めた宿毛の顔がとても珍しくて、俺はついついじっと見てしまう。


「松瀬川君? 鈴ちゃんの事、見過ぎじゃない?」

「え? い、いやいや。どうして宿毛がここに、しかもメイド服なんか着てるのかと思ってな」

「それが……。遊びにここに来たら咫夜さんに誘われて……。気が付いたらこんなことに……」

「そりゃあ……ドンマイだな」


 そんな他愛もない雑談をしていると、教室に新たな客が入って来た。

 亀水がそちらの方を何気無しにちらりと見ると、驚いたようにその客の方を二度見した。


「お母さん!?」


 俺はその言葉に肩をビクつかせた。


「咫夜。どう? 上手くやってる?」

「うん!」

「そちらのお二人は?」

「えっとね、あたしの友達なんだけどね……」

「宿毛 鈴です。咫夜さんにはいつもお世話になってます」

「あら。丁寧にありがとう。仲直りが出来て良かったわ」

「ええ。過去にはあんなことがありましたが、今ではお互い、良い友人関係を築いています」

「それは良かったわ。それで? もう一人の方は?」


 完全に逃げるタイミングを失った……。

 亀水 巴。亀水 咫夜の母親であり、保護者会の副会長である彼女に、俺は負い目を感じていた。

 逃げたい。でもそれじゃあいつまで経っても俺は変われない。


「松瀬川……重信です……」


 俺の名前を聞いた途端、亀水母の表情が変わった。


「あなたが……。よくもまあ抜け抜けと、娘に近づけますね」


 静かな怒りを込める亀水母。

 当然の事だ。例え自分の娘に非があったとは言え、娘を傷つけた張本人が娘の友人として隣に居ることを許す親が何処に居るか。

 腐っても親は親。己の子が愚かでも愛する。それが無償の愛、親と言うものだ。


「お母さん。あたしと松瀬川君はもう、お互いに和解したんだよ?」

「だとしても、あなたをあそこまで追い込んだ張本人を、親である私が許せる訳無いでしょう?」

「でもお母さん……」

「松瀬川君。お願いだから娘とは縁を切ってちょうだい。娘の為にも、あなたの為にもね」


 そう言って亀水母は席に着いて注文を取る。

 この何とも言えない空気感では、俺の存在は邪魔だろう。今はさっさと退散する方が吉だ。


「……仕事に戻る」

「うん……」


 こうなる事は知っていた。予測出来ていた。だから俺も彼女たちも、亀水 巴を認識した直後に普段通りでは無くなった。

 親の愛は子には伝わらないなんて言うが、俺たち子供はそこまで馬鹿じゃない。言葉に出来なくても何となく感じ取ってはいるのだ。母親に訴えるような亀水のあの表情も、あの宿毛が反論しなかった理由もそこにある。

 やはり俺は彼女を好きになってはいけないのか? やはり俺は彼女から逃げなければいけないのだろうか?

 この俺の中に生まれた恋心は一生、報われぬまま自然消滅していくしかないのか?

 文化祭と言う短い時間では、この問いの答えは出てこなかった。



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