第55話 そうか。あれは悲しいんだな

 俺は、ステージで歌うアオを黙って見ていた。

 

 夏帆かほさん率いる伝説的バンド。Tre Un Lineトレウンライン。その真ん中で、アオはギターを弾きながら、一心不乱に歌っていた。

 何度も聞いたことのある歌声。けれど、初めて聞くような歌声だった。

 

 アオの頭上では『ロックミュージック研究会フェス』の横断幕が誇らしげに揺れている。

 ステージ前のフロアには、溢れんばかりの観客が、揉みくちゃになりながら音楽を浴びている。

 

『ロックミュージック研究会フェス』というイベントの開催告知は、割と早い段階から打っていた。しかし、Tre Un Lineトレウンラインやロックミュージック研究会といった有名バンドが出演することは、一切出していない。先輩たちが若返ることを想定していたからだ。トレウラやロックミュージック研究会目当てに来た客が戸惑ったり、騙されたと怒ったりしないようにするためだった。

 それでも、これほどの客が集まっているのは、アナーキーが元々、集客の多いライブハウスだったからだろう。


 ステージ上のアオは、別人のようだった。鬼気迫るほどに真剣な眼差しで歌っている。頭を振るたびに、青く染まった髪が彗星のように流れた。


「アオちゃん、あんなに歌が上手かったんだね」


 隣でひよりが呟くのが聴こえる。爆音の中でもよく通る声だった。

 

 ひよりの声は、朝起きたら驚くほど自然に戻っていた。あまりにも自然すぎて、声が出なかったのが嘘なんじゃないかと思えたほどだ。両親が泣いて喜んだことで嘘じゃないと分かった。

 肝心のひよりは、あっけらかんとしていた。「だって、戻るって信じてたし」と言ったひよりは、いつも通りのひよりだった。


「正直、驚いてる。弾き語りしてるのを見たことは、何度もあるんだけどな。そのときも確かに上手くて、良い声だなと思ったけど、バンドになるとこうも変わるんだな」


 アオの歌声は、そのとき一緒に鳴っている音によって自在に変化するような不思議な声だった。こうして聞くと、確かに似てはいるが、ひよりの声とは種類が違う。

 アオの声は、周りとの調和に長けている。一方でひよりの声は、周りを引き上げるような声だった。


「アオちゃん、すごいね。だって、あのトレウラのセンターで歌ってるんだよ? 信じられない」


「そうだな。見た目こそみんな高校生みたいだけど、中身はプロ中のプロなんだもんな」


「うん。当たり前だけど、演奏、すごく上手いよね。でも、アオちゃんの歌はそれに全然劣ってない。すごいなぁ」


 素直に感心するひよりだって負けないくらい上手いのに、と思う。


 ステージ上のアオにもう一度目を向ける。必死で歌う姿は、俺の胸に熱いものを芽生えさせた。いや、きっと俺だけじゃない。今、このステージを見ている者全てに何か熱いものを産む、不思議な歌だった。


「でも、なんだか悲しそう……」

 

 ひよりの声が戻ったのと同じくらい自然に、アオの姿は誰からも見えるようになっていた。

 昨日、月明かりだけが頼りの薄暗いカフェスペースで、ひよりと話すという前兆を見ている分、ひよりの声よりもずっと当たり前のように、今までずっとそこにいて、誰からも愛されていたように錯覚する。

 でも、ステージで歌うアオはそれを否定していた。

 

『私は一人だ』

『私は孤独だ』

『寂しい。寂しくてしょうがない』


 実際の歌詞はそんな風ではないが、そんな風に歌っているように感じられる。ステージを見ていると、そんなアオな声を打ち消したくなる。


『お前は一人なんかじゃない』

『右を、左を、後ろを、そして、前をよく見てみろ。こんなにも多くの人に囲まれて、見守られて、お前は歌っているじゃないか』


 そう思うと胸と目頭が熱くなる。


 俺たちの出番は、夏帆さんの独断で決まった順番から言えば、一番最後だ。まだ、しばらく時間がある。

 もっとステージを見ていたいのに、直視していられない。そんななんとも言えない感情から、俺は一度カフェスペースに上がることにした。黙ってひよりがついてくる気配がある。そして、近くにいた悠治ゆうじ井口いぐちさんもこちらに向かってくるのが見えた。


「俺の願いは、まだ叶ってない」


 今日、一緒にステージに立つ三人に向けて、俺はなんの前振りもなく告げた。具体的に何か伝えたいことがあったわけではない。でも、何かうっすらと、掴めない霞のような思いが俺の胸にはあった。何かを口にすることでそれが実態となってくれたらいいのに、という願いもあった。


「そうなのか? でも、先輩たちは俺たちと同級生って言っても通じるような見た目になってるし、アオは俺の目にも見えるし、何より、ひよりちゃんの声が戻ってるんだぞ? これ以上、お前は何を望むんだ?」


 確かに悠治の言うとおりだ。ひよりの声が戻っているのだから、はたから見れば俺の願いは叶ったと言えるのかもしれない。けれど俺の願いは、ひよりの声を戻すことだけではない。それだけではなくなっていた。


「アオちゃんのことだね?」


 ひよりが俺の心中を掬い上げるように、澄んだ声で言った。


「ステージ上のアオちゃん、なんだか悲しそうだもんね」


「言われてみれば、確かに。あんまり楽しそうではないかもな。必死なだけなんだと思ってたけど、そうか。あれは悲しいんだな」


 井口さんは納得したように深く頷いて言った。


「うーん、まぁ、そんな感じは確かにしたけど、それがなんなんだ? アオは元々あんな風に歌うボーカリストってだけじゃないのか?」


「そんなことはない」


 それだけは断言できる。〈ロックミュージック研究会〉の部室で、何度も一緒にギターを鳴らしたから分かる。アオは、本来楽しそうに歌う。天真爛漫な性格そのままに、聞いているこちらが楽しくなるように歌う。

 確かに悲しげに歌う時もあったが、それはアオの歌の本来の姿ではない。本当はもっと楽しそうに、会場全体を明るく照らすように歌うはずなのだ。


「あいつは、きっとまだ今日を楽しめてない」


 それぞれが何かを考えるように黙り込む。俺はそんな沈黙を破るように告げる。


「今日の俺たちのライブ。アオにも一緒にステージに立ってもらいたいと思ってる」


 本当に直前まで、考えてもいなかったことが口をついて出ていた。

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