第51話 たったの五文字。けれど、それだけで十分だった。

『〈ロックミュージック研究会〉のことは、よく分かったよ。OBやOGにすごい人たちがいることも、〈ロックミュージック研究会〉の会長には願いを叶える力があって、私の声は会長になった人の願いのせいで出なくなってしまったってことも。

 全然音楽に興味がなかったそうくんが、突然〈ロックミュージック研究会〉に入る、なんて言い出して、会長になった理由も、よく分かった。

 

 それに、奏くんが急にギターを弾き出した理由も分かったよ。

 買ってもらってすぐに挫折しちゃって、埃を被ってたのに、急に弾こうと思うだなんて、どうしたのかなって思ってたんだけど、謎が解けた。私のせいで、私の声が出なくなったせいで、奏くんは音楽を嫌いになっちゃったんだ思ってたから、ギターを弾く奏くんを見て、すごく嬉しかったし、安心したんだ。それに、それだけじゃなくて、一緒にライブをしたいって言ってくれるなんて。アオちゃんに感謝しなくちゃいけないね』


 俺はひよりが時間をかけて打ち込んだタブレットの文面を、ひよりが打ち込んだのと同じくらいの時間をかけて読んだ。

 一度読み終えると、もう一度最初から読み直して、何度か読み直した後で、最後の一文に目が釘付けになった。

 

〈ロックミュージック研究会〉の説明をする中で、当然、会長に宿る不思議な力の説明はしている。

 その力の根源がアオで、そのアオが当時の会長だった青山あおやまさんの願いを叶えてしまったことで、ひよりの声が出なくなってしまったことも説明していた。それなのに、ひよりは、俺がひよりをライブに誘うキッカケになった、というたったそれだけの理由で、『アオちゃんに感謝しなくちゃいけないね』と打ち込んでいた。

 

 目頭が熱くなる。

 

 ひよりは、声が出なくなって、歌えなくなってしまったから、殻に閉じこもってしまったのだとばかり思っていた。だけど、そうじゃなかった。原因は俺だった。俺の振る舞いにあった。

 

 全く気にしていないわけではなかったと思うが、ひよりは、声が出なくなったこと自体を受け入れ、乗り越えようとしていたのだろう。いつも明るく前向きなひよりの性格を思えば、当然だった。

 鳴らない声帯と向き合って、それでもどうにか元に戻るように闘っていた。例えそれが誰かのせいであったとしても、その誰かを恨むようなことはしなかった。


 ひよりの心を閉ざしてしまった理由は、俺が音楽を憎んでしまったことにあった。俺のそういう態度や言葉が、ひよりの心を追い詰めていたのかもしれない。ひよりのせいで音楽を憎むようになったと思わせていたのかもしれない。

 そう思うと情けなくて仕方がない。

 ひよりは、幼い頃から言っていたじゃないか。俺が弾く伴奏に合わせて歌いたい、と。それは俺が思っていたよりも、ずっと本気で切実な思いだったのだ。


 目の前のひよりは、かつて俺がその歌声を褒めたときと同じように少し照れたような笑みを浮かべていた。

 半ば呆然とその顔を見ていると、ひよりはまたタブレットを手元に引き寄せて、何か文字を打ち込み始めた。

 さっきと同じくらい時間をかけて打ち込んでいる。打ち込み終わると、ふうっと息を吐いてからタブレットの画面をこちらに向けた。

 

『アオちゃんのために、奏くんは、ライブをするんだよね? 先輩たちには、アオちゃんの力で高校生になってもらって。アオちゃんが夢見ているようなライブに、奏くんはしたいと思ってるんだよね。それに加えて奏くんは、私の声を元に戻すために、私も〈ロックミュージック研究会〉の一員になって、ライブに出る必要があると思ってる。そうだよね? でも、部外者の私がそのライブに参加していいの? もちろん、奏くんがライブをやろうって誘ってくれたのは嬉しいんだけど、でも、私、邪魔じゃないかな? 〈ロックミュージック研究会〉は、奏くんや先輩たち、それにアオちゃんの大切な場所でしょ? そこに奏くんの妹だからっていうだけの理由で参加しちゃっていいのかな……』


「いいに決まってる!」


 反射的に声が出る。掲げられたタブレットに写る文面を、さっきのように時間をかけて読むことはしなかった。


「お前と一緒にライブをする。お前も含めた皆でライブをする。それが俺の願いなんだ。お前が参加しないんじゃ、俺の──、〈ロックミュージック研究会〉の会長の心からの願いにならない。お前が参加しないんじゃ、願いは叶わない。ひよりが参加しないんじゃ、意味がないんだよ。反対する人なんかきっといない。俺が反対なんかさせない。だから、ひより。一緒にライブをしよう」


 思わず感情的になってしまった俺を、ひよりは優しく見つめていた。久しぶりにひよりのそういう顔を見た気がする。


『ありがとう』


 向けられたタブレットには、ただそれだけが打ち込まれていた。

 たったの五文字。けれど、それだけで十分だった。


「〈ロックミュージック研究会〉に、入ってくれるか?」


 改めて訊ねた俺にひよりはゆっくりと、確かに頷いた。


『喜んで。やるからには最高のライブにしないとね。その前に、私は声をなんとかしなくちゃか。でも、心配しないで。必ず前みたいに歌えるようになるから』


 タブレットには、迷いのないひよりの言葉が打ち込まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る