第五十二話 ~目覚める本性~
莉緒の視界が真っ暗になった。
温かで柔らかな感触。こんな時だと言うのにどこかほっとしてしまいそうになる感触は莉緒の体を無理矢理その場所から押し出した。
「うぐっ……!」
そして聞こえてくるのは痛みに震える苦悶の声。視界を塞がれた莉緒の手にやけに温かいぬるりとした液体が滴ってくる。
暗かった視界が開ける。
「津羽……音……?」
覆い被さっていた津羽音は少しだけ口元を綻ばせると莉緒の胸に倒れ込んできた。
赤く染まった瞳に涙を浮かべながら、津羽音は必死に莉緒へと手を伸ばす。
「ごめ、んよ。やっと……体が動いて、くれたんだ……」
謝られる理由なんてなかった。
戦闘訓練をしたと言っても、こんな無茶苦茶な場面は想定していない。訓練を積んだ兵士が初陣では体が竦んで動けなくなるのと一緒だ。
だから、莉緒はリターナーを殺すための武装をしている相手と守るべき津羽音を闘わせるつもりはなかった。
判断は間違っていなかったと思う。
甘かった部分があるとするなら、その対応を津羽音がどう思うのか、莉緒の想像が足りていなかったということだろう。
砕けるほど力強く歯を噛み締めながら、嗚咽にも近い莉緒の言葉が夜の街に零れる。
「なんで出てきた……! 俺に任せてくれればよかったんだ‼」
「君が、言ったんじゃないか。闘うときは一緒……だって……」
津羽音の背中には執行者が斬り裂いていった横一文字の切り傷が刻まれていた。心臓の鼓動に合わせ、その傷口からは血が溢れ出ていく。
素人が見ても致命傷だとわかる怪我だった。
「巻き込んで……ごめん」
「謝んなくていい……決めたのは俺だ」
「生きられなくて……ごめん」
「…………大丈夫だ。絶対に死なせない。何をしてでも俺が絶対に助けるから」
根拠のない励まし。津羽音にだってそれくらいはわかる。だけど最後の力を振り絞って津羽音は莉緒に笑いかけた。
「そう、か……じゃあ、また会える?」
「当たり前だろ」
「……ありがとう」
涙が一滴が零れ落ち、津羽音の目が完全に閉じる。
莉緒がゆっくりと息を吸い込み、溢れそうになった感情を強引に自分の中へと押し込んだ。
そして、彼は正真正銘最後の手札を切る。
「お前もさっさと後を追えよ‼」
うざったい獲物が生き永らえたことに苛立った様子で、引き戻された執行者を鈴無は力任せに振り払う。
そちらに一切目を向けることなく、莉緒は腕だけを執行者へと突き出した。
バギャギャギャギャギャ……っと、関節から音を立てながら、執行者が莉緒によって受け止められる。
「え?」
鈴無の口から出たのは呆けたような疑問の音。
自分が見ているものが信じられない。生身で執行者を受け止められるはずがない。いや、武器を持っていたとしてもだ。真っ向から受け止めることなど出来るはずがないのだ。
「なんだ……なんなんだよ……お前ぇ‼」
一方的に蹂躙するだけのはずだった相手。奇策を打たせなければ、これだけ痛めつければ、負けるはずがないと思っていた相手に怯えている。
その事実が鈴無を苛立たせる。
冷静な判断が出来なくなった時点で、戦いの勝敗は決した。
「お前は邪魔だ」
普段の軽薄さを微塵も感じさせない声色は底の知れない冷たさを感じさせた。
掴んでいた執行者が握力だけでバギッと音を立てながらヒビを生む。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ⁉」
恐怖からヒステリックに叫びを上げ、鈴無は執行者をがむしゃらに地面へと叩きつけた。
空気がびりびりと震えるほどの衝撃が生み出される瞬間、莉緒は光を放つ関節部を掴むと思い切り引っ張った。
力負けした鈴無の体が強引に前へとつんのめる。
「ひっ……‼」
鈴無は恐怖に顔を歪ませた。
一方的に力負けしたのも十分な恐怖だったが、それよりも明確な恐怖が眼前に迫っていた。
鈴無がバランスを崩すと同時に莉緒は掴んでいた執行者を鈴無へと投げ返していたのだ。
いくら気付いたところで鈴無はもう怯えることしか出来ない。
執行者の光が臨界し、悲鳴を上げることも許されないまま鈴無は自身が生み出した衝撃波に引き裂かれ、地面へと倒れ伏した。
「な、なんだこれは……? お前は何なんだ!」
一部始終を見ていた山橋のうわずった声が夜の街に響く。
その感想は尤もだ。
そもそも莉緒はリターナーとしてこの街に登録すらされていない。
莉緒の瞳が赤化しただけでも驚愕だったというのに、そんな男が執行者を装備したリターナーを真っ向から性能でねじ伏せたのだ。
得体の知れない化け物を前にして、理性を保てているだけ、山橋は優秀とすら言える。
正体不明のリターナーは底冷えするほど感情の薄い声で山橋に応えた。
「……俺か?」
間違いなく狂気を孕んだ瞳を彼女は受け入れてくれるのだろうか。
彼女から見て、この眼はどう映るのだろうか。
そんなことを思いながら、莉緒は紅く光り輝く両の目で山橋を射抜いた。
「俺は燕翔。
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