第42話 まだ夫のことを愛している?

 馬車で王子の別荘へ連れて行かれたのは覚えている。だが、運び込まれた部屋はどこかわからなかった。

 

 一条の光も差さぬよう、しっかりと分厚い緋色のカーテンが締め切られ、壁紙も絨毯じゅうたんも真紅、寝台も赤いその空間は、血で染め上げられたかのようだった。

 アガーテが絶句していると、黒のガウンだけを羽織った王子が、後ろから抱きついてきた。


「アガーテ」

「殿下、その」

「愛してる」


 その声音に振り向くと、王子が涙を流していた。


「この感情が許されないことも知っている。貴女が本来、レーヴェンタール伯爵の妻として平穏に一生を送るのが幸福なのであろうということも、なんとなく気づいた。だが、……では、この己をも破壊してしまいそうな気持ちはどこへ行けばいい?」

「殿下」

「貴女は私の妻だ。だが、世間はきっと私の妻だと貴女を認めはしない。エッテがいるからだ」


 本当に、随分と感情の機微をわかるようになってきた、大人になった顔をしている。魅惑的なほど。初夜で気がはやった子供とは思えないほど。


「ジークマリンゲン大公女とお幸せにお過ごしください」

「エッテは嫌いではないが、貴女がいるので愛することはできない」

「わがままを仰せられますな。わたくしは殿下の妻ではありません」

「妻だ」


 いきなり、アガーテの裳裾がめくられて、深紅の寝台の上にふたりで倒れ込んだ。


「……あ、ぁあっ、可愛い方、だめ」

「だめ、ではないだろう? 僕が欲しくてたまらない癖に」

「お許しください」

「貴女は貞淑だな。まだ夫のことを愛している?」

 

 アガーテは静かに頷いた。


「僕のことは?」


 何も答えることが出来ない。この子が愛おしいという感情は持っている。愛しているかというとわからない。

 王子は笑いながら息を吐いた。


「では、僕は貴方の前で毒を飲むか手首を切るかして死んでしまおうか。兄上にも嫌われてしまったようだし……」

「おやめください! ゴットフリートさま」


 アガーテはゴットフリートを抱きしめた。まただ。自分より背の高くしっかりした体格の王子が、ひどくはかなげに見える。

 

「おやめください」


 ゴットフリートのさらりとした金糸のような髪を、優しく撫でた。額にくちづけて、もう一度繰り返す。


「やめてください」


 ほだされてしまう。


「貴女のために? 愛してもくれない女のために生きるのか?」

「いいえ、あなたを愛しくは思っております。あなたを生かして差し上げたいとは思っております」

「生かしてくれるのか? では――」


 ゴットフリートは微笑みながらアガーテのあちこちに口づけ、服を乱暴にすべて脱がせた。アガーテも、それを手伝っていた。


 その夜は、ふたりとも理性を失い、ひどく激しく愛し合ってしまった。

 アガーテは自分の肉体の秘密をゴットフリートに教えてしまっていたし、ゴットフリートはアガーテの秘奥を、奥の奥まで探検していった。

 お互いがお互いをひどく求めあっていく。


 青年は理性を失くした女を腕に閉じ込めながら、満足げな表情を浮かべた。


「……貴女は、あの夫のものじゃない、僕のものだ。僕の子を産むんだ」

「こども……?」

「そう。貴女との愛の証しが欲しい。僕の子を産んでくれ、アガーテ。一緒に育てよう」


 そして、男は、丹念に女の畑に種をばら撒いていった。

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