怪物の譜

3-1. 決意と告白

 夜道をゆく市の背で、アロンソが小さく悲鳴をあげ、細い肩を離した。

 地面に足をつくと、膝と両手もついて荒い呼吸を続ける。

 周囲を見回し、自分が助かったことを理解してからもしばらく震えていたが、やがて徐々に落ち着いていった。

 うずくまり、男は一度地面を拳で殴った。


「チェーコ……」

「どうしたい」


「どうして俺は人狼じゃないと思った?」

「夕方はとっくに過ぎてるからね。

 お前さんが人狼なら、化けて逃げるだろうよ」


 ああ、と細い声で答える。


「グイードは、ただ、あんたを殺したかったんだよ」


 市は哀れむ口調でもなく、淡々と告げた。

 起きたことを自分で考えさせた方が良いと思った。

 アロンソが手を膝について立ち上がる。

 歩けそうだとわかると、市はアロンソを支えて橋へ向かった。


「俺の兄貴と仲間は、身包み剥がれて殺されたんだ」


 アロンソが訥々と言った。


「取られた分くらい取り返してやりたかった。

 ロレンツォに頼んだってダメさ。

 人狼退治人だとかトスカナの独立派だとかなんとか言ってるが、そんな奴らがこんな小さな村に味方してくれるわけないんだよ。

 娘のことばっかりでよ」


 吐き捨てるように若者が言った。


「人をそんなに悪く言うもんじゃないよ」

「ロレンツォが悪いとは言ってねえさ。

 親がさっさとくたばった俺には、ああいうのはわかんねえんだ」


「あっしだってそうだ。でも、親が子供を思う気持ちは何より尊いもんだろう。

 それは、あっしの故郷だってそうだったぞ」

「だとしても、今はそれどころじゃないはずだ」


 市はアロンソの言い分も理解することはできた。

 オルガは、ロレンツォがグイードと殺し合いをする計画があると言っていたが、その話を聞いたとき、市はかなり意外に感じた。

 彼が争いごとにむいているようには思えなかったからだ。


 ロレンツォの人となりを考えると、オルガが第一なのは明らかだ。

 だが、だとすると、あのオルガが言っていたことはなんだったのか。


 市にはロレンツォのことが良く分からなくなっていった。

 自分が知る、温厚で親切なロレンツォ。

 オルガが言う、闘争的なロレンツォ。

 アロンソが言う、腰抜けのロレンツォ。


 どのロレンツォが、本当のロレンツォなのか。

 どれも正しいようでもあり、間違っているようでもある。

 だが、市の思いとしては、やはり彼には娘思いの父親であってほしかった。


 オルガが最初、養父がいると言った時、仕方なくか、ことによっては卑猥な思惑があったのだろうか、という考えが頭をよぎった。

 しかし、ロレンツォに会ってからその考えはすぐに消え去った。

 彼の言葉や仕草の一つ一つから、誠実さや純粋さが伝わってきたからだ。


 なぜ、ロレンツォがオルガを大事にしているのか。

 市には、それはわからない。

 だが、わからなくてもいいと思った。

 理由などない、本当の愛情というものがこの世に存在する。

 それを信じたかった。

 

 やがて川にさしかかった。


「お前さんの理屈は知らねえが、ほかに行く場所もないだろう。

 とにかくロレンツォさんのところへ戻ろう」


 市はぼそりとそれだけを青年に告げた。

 二人で橋を渡った。


 家の前は人だかりで騒がしかった。

 集まりの中からオルガが駆け出してくる。


「お仕事、できましたか?」

「あんまり稼げなかったよ」


 市は少女に微笑むと、銀貨を一枚はじいて懐に入れた。


「アロンソさんも一緒だったんですね」


 オルガの言葉に、アロンソがふいっと目をそらしたが、それからぼそっと横を向いたまま言った。


「……この前は悪かったな」

「大丈夫ですよ。二人とも家に入ってください。

 お父さんがピサから戻る頃なんです」


 オルガの声には緊張が浮かんでいる。

 ほぼ同時に、ガラガラと車輪の音がした。

 馬車は集団へ割り込むように止まり、すぐにロレンツォが降りてきた。


「みんな家に入ってくれ。アロンソも戻ってきたな」


 ロレンツォは気まずそうに上目を使うアロンソの右手をとり、固く握りしめた。


「グイードとは何もなかったか?」

「……あった」


 アロンソのためらいがちな言葉にもロレンツォは戸惑う様子がない。

 左手で青年の腕を軽く叩いた。


「そうか。あったか」


 ロレンツォはなぜかそこで微笑を浮かべた。

 アロンソは意外な態度に戸惑い、背を追うのを忘れて立ち止まった。


 全員が家に入り、市に促されてようやくアロンソも続いた。

 ドアを後ろ手に閉じる。


 ロレンツォが窓を閉じるように告げた。

 もうすぐ満月になる蒼い月の光が遮られ、大部屋は四つ並べたガスランプの色だけに照らされた。


「話はついたぞ」


 ロレンツォが言うと、全員が口を閉じた。

 ほとんどがなんのことか理解していなかったようで、不思議そうな顔をしている。

 

「もう昨日までとは違うと思ってくれ。ここから先は、事が終わるまで一緒に行動してもらう」


 ロレンツォが太い声で切り出した。


「今日、ピサの人狼退治人のジュゼッペに会ってきた。

 そこで受け取ったものの話をする」


 すぐには誰も声を出そうとしなかった。

 取り囲む全員が顔を見合わせて、次の言葉を待つ。

 アロンソがその背中へ向かって、ぼそっと声をかけた。


「なんのことだ? 何をするって?」

「ジルドとサンドロの仇を撃つと言ってるんだ」


 その名前にアロンソが息を飲んだ。


「あんたがか?」

「私たち全員がだ」


「今まで何一つやらなかったあんたがか?」


 それを聞くと、ロレンツォは突然棚からカンパリを持ち出してガラスのコップに注ぎ、立ったまま一気に飲み干し、ダンと大きな音を立てて瓶を置いた。

 あっけに取られるアロンソを見つめながら、ロレンツォは喉の奥を擦るような低い笑い声を出した。


 全員が再び押し黙った。

 市もロレンツォがこんな笑い方をしたことに、思わず耳を引き寄せられた。


「何もしなかった? この私がか? そいつは安心したよ。実に安心した」


 ロレンツォが順番に全員を見回した。


「だったら私は、十分にグイードを油断させることができていたんだ。

 それほど臆病な腰抜けと思わせられていたんだ」


 アロンソがぽかんと口を開けていた。

 ロレンツォの態度の変わりように、何を言って良いのかわからないようだ。


「ロレンツォ、いったい何の話をしてる?」

「お前の隣りにある箱を開けてみろ」


 ロレンツォが食料品を入れる空き箱を指さした。

 

「こいつがどうした?」

「いいから開けてみろ」


 アロンソがおずおずとその箱を開け、中身を見て身をのけぞらせた。

 彼を押しのけ、別の一人が中に手を伸ばす。


「まさか」


 箱には大量の真っ黒な拳銃が入っていた。

 ストックは荒く削られているがバレルは美しく、軍隊で使われるような加工が施されている。


「なんだこれ? いつ手に入れた?」

「私が作った。全員分、一二〇丁を」


 アロンソがピストルを取り上げ、その重さを感じながら口を閉じた。


「人狼退治人に、エンフィールド銃の設計を極秘で渡してもらい、それを私の拳銃を作る技術で加工した。

 一丁作ればあとの手間は同じだった……」


 集まった男たちがざわめきながら箱に集まっていった。


「じゃあ、今日ピサに行ったってのは」


 ロレンツォが布袋を取り出す。

 紐を緩めて手を入れ、中身を取り出してがらりと机に置いた。


「マリア像から鋳造して聖別した銀の弾丸。三六〇〇発。

 私の花火は、思ったより高く売れたぞ」


 全員がそれをのぞき込む。大きな声を出した者もいた。

 誰もがこのロレンツォの大胆な行動に、それまでの表情をがらりと変えていた。


 ロレンツォがアロンソの握る銃を掴み、先端を上に向ける。


「この銃の内側には二つの溝が刻まれている。

 そして、この弾に筋がついているのがわかるか?

 それを溝に合わせて先から詰めるんだ。

 これで施条と弾丸が噛みあい、発射後の軌道を安定させられる。

 試射はピサでやった。十発撃っても狙いはほぼ狂わない」


 ロレンツォが全員の顔を見回す。


「グイードたちが人狼だろうが何だろうが関係ない。

 私達は連中よりよっぽどいい条件で戦える」


 今度はロレンツォがもう一つ、おがくずを大量に入れ込んだ箱を指さした。


「それともう一つ。パイログリセリンだ。

 こいつで連中を怯ませて射撃を食らわせる。

 使い方は難しくない。あとで教える」


 意気揚々と語るロレンツォの頬に、明らかに赤みがさしていた。


「訓練は今晩。決戦は明朝だ」


 全員が一度ずつぞの武器の作りを確かめ終わると、それから全員にトマトとモッツァレラチーズのピザが振る舞われた。


「市さん、アロンソさん、今日はもう休んでください。場所を作りましたから」


 オルガは市とアロンソにスープの入った椀を渡した。

 アロンソがおずおずとそれを手に取った。


「オルガ。ロレンツォはいつからこんなことを考えていた?」

「ジルドさんが殺された時ですよ」


「兄貴が……」

「あの日、父は家のお酒を全部捨てました。

 それまで毎日飲んでいたのに」


 オルガが静かに言った。


「でも、カンパリだけは残しておいたんです。

 ジルドさんが好きだったから。

 グイードを殺す日までこれを飲むって」


「なんで俺に言ってくれなかった?」

「グイードに気づかれたくないから。

 父は一人で銃を作れますし、私以外で知っていた人はほとんどいません」


 オルガの説明に、アロンソの顔色が輝いていく。

 ロレンツォが銃を取って話を始めた時と同じように。

 

「グイードたちを殺せるのか? 本当に?」

「はい。きっと」


 ロレンツォが、少し休めと全員に告げた。


「オルガ。市さんとアロンソを倉庫に連れていってくれ」


 オルガは二人を外へ連れて行った。

 この家にはすぐ外に倉庫が二つあり、オルガはアロンソを手前の倉庫へ、続いて市を隣の倉庫へ案内した。


 ドアを開けると、こちらの部屋には寝台がなく、ロレンツォが持ってきた荷物が入り口の脇へ積まれている。

 掃除が行き届き、黒く塗られたテーブルが一つ、椅子二脚の間に置かれていた。

 単なる倉庫ではなく、生活の場所なのだと一目で理解できる場所になっている。

 見えない市にも、その香りから、ここがオルガが普段いる場所なのだとわかった。


 壁面には様々な書籍が置いてあった。床から天井まで本で埋まっている。

 棚は倉庫の壁に漆喰で留めらており、高い天井まで、立てて整理された書籍が置かれていた。

 その半分はフランス語で書かれており、火薬に関する資料や化学的な学問に関係するものであった。その一方で宗教上の聖歌や祈祷文が書かれたものや、狼の生体について書かれていたものもあった。

 

 市に目が見えれば、この倉庫がロレンツォの秘密基地で、グイードたちに知られないように対策を練り、同時にオルガをかくまうための場所なのだと理解したであろう。


 オルガは小さな椅子を引き寄せて市を腰掛けさせると、ゆっくりと話しかけた。


「おじさん。ありがとうございます」


 市は答えず、先ほど受け取った自分の椀をテーブルの上に置いた。

 左手を椀に添えて、じっと下を向きながら、オルガへかける言葉を選んだ。


「心配じゃないのかい」

「これが、お父さんの結論なんです」


 市が深く息をついて、一度椀からスープをすくって食べたが、ほとんど味を感じなかった。


 あそこまで入念に考えていたのか。


 たしかに、鉄砲鍛冶が作った鉄砲があれだけあって、訓練の時間まで考えてあるなら。しかも、あの旧住民たちのロレンツォに対する大きな信頼があるなら。

 たしかに勝負は五分五分、もしくは多少の有利を得られる可能性はある。


 だが、と市は思う。


 多くの経験を持ち、穏やかで、娘思いな男の豹変が、市には悲しくてならなかった。

 あんな立派な人が、なぜ殺し合いを選ぶのか。

 なぜ、自分と同じような生き方へ身を投じようとするのか。


 市にはそれがわからなかった。


「殺しあいは必要なのかい。どこか、別の村に逃げ込むわけにいかないのかい」

「できません」


 市が不思議そうな顔をオルガに顔を向ける。


「どうしてなんだい」

「……おじさんは、それを聞いても後悔しませんか?」


 一呼吸を置いて、オルガは少し声を落とした。


「私はおじさんに、ここにいてくれって頼みましたけど。

 それはこの準備ができるまで、っていう意味なんです。

 だからもう、おじさんは出て行ってもかまわないんです。

 それでも聞いてくれるんですか?」


 市はその言葉に、もう戸惑いを持つのはやめることにした。

 彼女が真剣であることが、声からはっきりと伝わってきたからだ。

 ロレンツォが見せた裏の顔、オルガの覚悟を決めた態度、それらがすべて、今日の決意に裏打ちされていることがわかった。


「あっしはこの大陸に来てから、人様の暮らしには口は出さなかったし、首もつっこまずに来たんだ。

 故郷では、それでずいぶん面倒に巻き込まれたからね。

 でも、ここまで踏み込んじまったし、そうも言えないな」


 少女は何度も窮屈そうな呼吸を繰り返し、なかなか切り出すことができなかった。


 市は待った。

 どう言えばいいのか、何から順に言えばいいのか思い悩んでいることを、その呼吸の一つ一つに感じながら。

 やがてオルガはきゅっと両方の手を強く握りしめると、市の開かない両目を見つめながら小さな声を出した。


「私の本当の父親はフェルディナント一世。オーストリア帝国の皇帝です」

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