№38 生還者一名
「いやあ、ガチで死ぬかと思った」
結論から言うと、倫城先輩は生きていた。
不幸中のさいわいと言っていいのかわからないが、ぎりぎりのところで一命をとりとめたようだ。救護班には感謝しかない。
今日も元気に放課後にハルのところに顔を出しては、刃物が貫通した左わき腹をさすってさわやかに笑っている。
「大学の二次試験終わった後でよかったよ。あやうく浪人、ってか、二階級特進するとこだったわ」
「なんにせよ、あんな死亡フラグ立てておきながら復活する先輩は、やっぱすごいですよ」
本人はけろっとしているが、ハルもあのときは肝を冷やしたものだ。生存報告を受けて、腰が抜けるほど安堵したことをよく覚えている。
そんな事情を知ってか知らずか、先輩はハルの首をぐっと引き寄せると、ないしょ話のように耳元でささやいた。
「塚本に男の味を教えるまでは、死ぬわけにはいかないからな」
「……やっぱり、すごいですね」
いろんな意味で。
しかし、あの生死の境でハルに告げた言葉は本心なのだろう。仮に今ここで死にかけたとしても、先輩はハルのしあわせを願って、自分ではなく影子といっしょに添い遂げてほしいと願ったに違いない。
そういうところまで完璧超人なのが、この倫城先輩という人間なのだ。
「……えっちな看護、してくれていいんだぜ?」
「イケボでささやかないでください」
挑発するように耳に吹き込む言葉と共に、先輩をぐいーっと押しやって一定の距離を保つハル。愛されていることはうれしいが、あいにく自分はヘテロで、ホモの先輩の思いには答えることができない。
それでもなお、特攻し続ける先輩の根性というか執念は脱帽ものだった。
「そういえば先輩、傷の具合はどうなんですか?」
真面目な話を振ろうと、負傷したわき腹のことについて尋ねる。『ライムライト』のやいばは装甲服を貫通し、先輩の臓器や筋繊維、神経や血管を断裂させたはずだ。まだ回復してから数日しか経っていないし、歩くときは左足を引きずっているようにも見えた。
先輩は、うーん、とうなってから、
「傷自体はだいぶふさがってきたんだけど、どうも神経のヤバいとこ傷つけちゃったみたいで、障害が残るらしい。もう野球はできないな」
なんてことない風に語るが、それは人生の一大事と言っても過言ではない。あれだけ熱心に打ち込んでいた野球もできなくなるのだ、つらい思いをする場面も出てくるだろう。
勝手に落ち込んでいるハルの額にデコピンをして、先輩はどこまでも快活に笑った。
「ま、リハビリすればある程度は回復するみたいだし、塚本がへこむことじゃねえよ。進学で『猟犬部隊』とも距離ができるだろうし、卒業して配属されたら今度は前線じゃなくて『閣下』の下で働くことになる。体力バカが頭使う仕事するんだ、からだより脳みその方心配しねえと」
「……ふふ、たしかに」
先輩の物言いに励まされたように、ハルは小さく笑った。それを見た先輩も満足げな顔をして、
「言っとくけどな、俺は稼ぐよ? 玉の輿に乗るんなら今だぜ?」
「そこは男のプライドに関わる問題なのでお断りします」
「そういうとこも好き」
こういうやり取りができなくなるかもしれないというときには相当に取り乱したが、いざこうして愛をささやかれると、何とも言えない気持ちになる。倫城先輩も、つくづく報われない男だ。
「そういや、塚本影子はまだ学校来れないのか?」
「ええ、まあ。一応影からは出てきてるんですけど、『テンション低ぃのバカどもに指摘されんのはシャクだ』って言って学校にはまだ」
要は『元気がないのを心配されるのが面映ゆい』と言っているのだが、影子語は難しい。
その影子語を理解する数少ない人間のひとりである倫城先輩は吹き出して、
「ははっ、塚本影子らしいな……それにしても、その様子じゃ忘れてるだろ」
「え? 僕なにか忘れてましたか?」
こころ当たりがない。完全にきょとんとして問い返すと、先輩は大げさにため息をついて見せ、
「バレンタインだよ、バレンタイン。今日じゃん。塚本、俺になんか用意してくれてねえの?」
「……あっ……」
そう、今日は二月十四日。バレンタインデーだ。あまりにもいろいろありすぎてすっかり忘れていたが、逆柳とチョコフォンデュブッフェに行ってからかなりの時間が過ぎていた。あのとき話題に上ったきり、ハルの頭の中からすっかり消えてしまっていた。
「全裸にリボン巻いて、『僕がプレゼントです』ってベッタベタなベタ展開も受け入れるぜ?」
「そんな古典的展開はとっくの昔に絶滅したものと思ってましたが」
「たまにはクラシックも悪くないだろ?」
「ごめんなさい、僕はモボなので」
大正時代の言い回しを使ってするりと先輩の前をすり抜けると、ハルは足早に帰宅の途に就いた。
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