№37 今日の日はさようなら

 通夜の翌日、ハルは学校をズル休みした。


 とてもじゃないが、学校でいつものように振る舞える自信がない。今日くらいは何も考えずに過ごしたかった。


 ベッドを背もたれに、カーペットの上で膝を抱える。隣には、同じように影子が座っていた。いつもの騒がしさがウソのように、無言のハルにぴったりと肩をくっつけて付き合ってくれている。


 何も考えずに、とは言ったものの、それは無理な相談だった。考え事は山のようにある。あぶくのように浮かんでは消え、次のあぶくが浮かんできた。


「……結局、助けられなかったなあ……」


 ぽつり、こぼす。


 声の波紋が空気に広がっただけで、あとは静寂が戻ってきた。


「……僕は本当に、どうしようもないやつだ……」


 ぽつり、こぼす。


 声の波紋が空気に広がっただけで、あとは静寂が戻ってきた。


「……友達も助けられず、僕のせいで死んだようなもんだ……」


 ぽつり、こぼす。


 声の波紋が空気に広がっただけで、あとは静寂が戻ってきた。


「……僕は、僕は……」


「大丈夫だ」


 静寂は、やってこなかった。


 代わりに、影子が答え、手を握ってくる。


 強く手を握りしめ、視線を合わせないままで続けた。


「このアタシが大丈夫だっつってんだから、絶対に大丈夫だ」


「……けど……」


「うるせえ聞け。あんたは最後にあいつの友達になれた。だから、あいつはいのちをなげうってアンタを助けた。友達じゃなきゃ、そんなことできねえよ」


 友達。


 また、ハルの中に奇妙な感情が生まれる。


 それはときにハルを責めさいなみ、ときにハルの救いとなった。


 久太と過ごした時間は決して多くはない。友情をはぐくむにはあまりにも短すぎたと言ってもいい。


 しかし、ハルは久太のことを友達だと思っていた。だからこそ、あのとき久太を連れて逃げるという選択をしたし、今こうして久太の死を悼んでいる。救えなかったことを後悔し、もがき苦しんでいる。


 友達という言葉には、ハルにとってそれくらいの重みがあった。誰かに特別な感情を向けるということは、友情であれ愛情であれ、責任を負うということだ。誠実であり、困ったときにはなんの見返りも求めず助け、良くない状態になっているときは助言をする。


 そういったもろもろの責任を負うことで、初めて特別な感情を向ける資格を得ることができると、ハルは考えていた。


 だとしたら、久太はどうだったのだろう。


 あの廃教室で握手を交わしたときに、そういった責任を負うことを覚悟してくれたのだろうか?


 ハルを友達だと認め、尊重すべき存在だと思ってくれたのだろうか?


 思いは、通じ合っていたのだろうか?


「……僕は、久太の友達になれたのかな……?」


 おそるおそるつぶやいたハルに、影子が首肯を返す。


「きっと、なれた。これからもずっと、アンタとあいつは友達だ。アンタがあいつのことを忘れない限り、ずっと」


「忘れるもんか……!!」


 あふれかえる感情を、奥歯を食い締めてやり過ごそうとした。が、それは無駄に終わり、涙が堰を切ったように頬をこぼれていった。


 影子はハルのからだをぎゅっと抱きしめた。その赤いマフラーに、いくつもの涙のカケラが吸い込まれていく。


 伝わる体温に、今だけは甘えたくなった。すがるように影子を抱きしめ返し、ハルはわあわあと声を上げて泣いた。


「……絶対に、忘れない……!!……久太は、僕の友達だ……!!」


 しゃくり上げながら、おのれに刻み込むように何度も何度も繰り返す。


 そうだ、友達だ。


 いつの日も絶えることなく、友達でいよう。


 どこかで聞いた合唱曲の一節が胸をよぎり、ハルはその続きを思い出そうとした。


 今日の日はさようなら、また会う日まで。


 もう二度と会えないが、ハルの中に久太は生きている。ハルが忘れない限り、ずっと、ずっと。


 それが、友達というものだ。


「失ったものはデカい。けど、得たものもあるだろ。だったら、それを糧に前に進むしかねえ。それが、残されたアンタの使命だ」


 わかっている。心底理解している。


 久太の死を無駄にしない、それがハルにできる唯一の償いだ。


 つないだいのちを、未来に賭ける。


 そうやって、ひとは前に進んでいくのだ。


 みっともなく大泣きするハルの背中を、影子は黙ってさすってくれた。


 どんなハルでも受け入れると宣言した通りに、こんな情けない姿のハルを、影子は必死に包み込もうとしている。らしくもなく子供をあやすように、ハルのかなしみを少しでも和らげようとしてくれている。


 こんな風に影子に慰められる日が来るとは思わなかった。


 どこまでもあたたかい愛情を感じながら、ハルはしばし影子に甘えて号泣した。

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