第2話

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 森の中で二人が出会う場所は、木漏れ日が地面に影を落とす美しい木立の中であった。大樹の木陰で白獅子は気だるそうに横たわっている。彼は知性が高く身体能力も優れているが、それでも種族の特性を脱し得ない。白獅子だのなんだのといっても、結局は大きな猫なのだ。


 白獅子がウトウトしている所を邪魔しに来るのがイシルであった。


「マルドゥーク?おねむですか?」


 イシルの手が優しく白獅子の鬣をくしけずった。

 そう、イシルを助けた白い獅子はイシルによってマルドゥークと名づけられた。これは古代エルフェンの言葉で、“雪に似る”という意味だ。


 あんまりにも馴れ馴れしくしてくるようなら頭から喰らってやろう、そう思っていた彼は結局イシルに絆されてしまっていた。それは彼女が毎日籠一杯に果物を詰め込んで持ってくるからかもしれないし、彼女が白獅子の毛を手櫛でとかすのが気持ちよかったかもしれない。あるいは白獅子の知性が非常に高い事が理由かもしれない。


 知性が高ければ高いほど、イシルに敵意がない事、白獅子に純粋な感謝で接している事が分かってしまうのだ。

 そんな白獅子は妙に懐いてくるイシルがどうにもやりづらくてかなわなかった。白獅子は自身がもはやイシルを害そうとは考えていない事を渋々ながら認める。


 少なくとも、当初はイシルの事を餌としか見ていなかった白獅子の意識に何らかの変化があらわれた事は明白であった。


 そして時が経つにつれ、イシルと白い獅子マルドゥクはお互いをよく知るようになった。魔獣とエルフェン、人ならざる一匹と一人が絆を育んでいく。


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 しかし、二人の出会いは見逃されることはなかった。偶然にも二人の姿を見た王国の猟師は、自分たちの王女が強力な魔獣と交流している姿に警戒心を抱いた。イシルがマルドゥークに近づくのは危険だと考えた彼は王宮へそれを告げると、国王は斥候働きに優れた者達に命じてイシルの後を尾けさせた。


 結果として判明したのは、白く凶暴そうな獅子の魔獣と王女の交流であった。現代でこそ魔獣というものは野生の獣が魔力を扱えるようになったにすぎず、邪悪だとか邪悪でないとかは関係ないという知識が浸透している。しかし当時は魔獣とは邪悪な力に侵された闇の獣…というような誤解が広まっていた。


 王宮は魔獣…マルドゥークを危険視し、対策を講じようとする。


 王宮はイシルには内緒で、腕利きの戦士を集めて白獅子を討伐するチームを結成した。一方、イシルは新しい友人への愛着を深めていたが、二人に迫る危機には気づいていなかった。


 だが彼女に纏わりつくエレメンタルが囁くのだ、不吉を、不穏を。


「なんだか…今朝は王宮が変な感じです。風がざわめいている…」


 イシルはマルドゥークに逢う為に果物を物色していた。

 といっても食糧庫に忍び込んだとかそういう事ではなく、彼女は果物を好むため、常に部屋に新鮮なものが用意されているのだ。

 彼女はこの国の第一王女であり、王位継承権第一位のやんごとなき身分である。その気になれば果物といわず、黄金でも魔法金でも希少な霊薬でもなんでも手に入る立場だった。


 だが彼女は横暴な振る舞いをしない。

 王族として振る舞うべき時に威厳のある振る舞いを出来ないわけではないが、基本的に彼女は温厚で、柔和で、謙虚で、そしてお転婆な部分もある少女であった。


 そんな彼女の事を民は慕い、敬愛しており、彼女の両親もまた彼女に愛情を注いでいた。


 だが…


「なっ!あなたたち!一体何を…」


 部屋になだれ込んでくる近衛騎士たち。

 彼等は一様に強力な耐魔法の防具を身に着けていた。

 これは結界を張ったりだとかそういう効果を有するわけではなく、周囲の意思を拡散させる鎧である。

 魔法とは術者の意思をダイレクトに魔力に反映し、超常の現象を引き起こす奇跡であるが、耐魔法の防具はノイズを放射して周辺の意思の反映を阻害する。


 当然近衛騎士にも魔法は使えなくなるのだが、彼等は優れた体術、弓術、剣術を有しており、王国最強の魔法使いといっても過言ではないイシルといえども魔法抜きに抗う事は叶わない。


 ■


 ある日、マルドゥークはいつもの時間、いつもの場所にいた。

 特に約束を交わしたわけではないが、イシルとマルドゥークの間ではいつのまにか“あの大樹の下、中天に”というのがお約束になっていたのだ。


 しかし、今日はそこにイシルの姿はなく、日が傾きかけても来る様子はない。王宮の者達がマルドゥークに会う前にイシルを拘束してしまったのだ。彼女は魔術の才能はあるが、戦闘経験がないため、簡単に拘束することができた。

 だがイシルはすぐに自身が拘束された理由に気付く。


「待って!ここから出しなさい!わたくしにこの様な無礼を働くとは一体誰の差し金ですか!」


 激昂するイシルだが、それはフリだけである。

 自身が拘束された理由がもし“あの事”であるなら、と思うと、イシルは生きた心地がしない。


 ──わたくしが王宮を抜け出した事への単純な罰則であるといいのですが…


 貴人用の牢は特殊な金属で作られており、魔法の行使を妨げる。

 イシルは魔法を行使しようとするが上手くいかない。

 それは彼女に牢を破ろうという意思しかないからだ。

 自身をこのような目に遭わせた者達に対する強い害意を持てば、耐魔法の牢といえど耐えきれるものではない。

 更に…


「なりません。陛下の沙汰です。殿下は暫くここで謹慎するように、と」


 牢番の言葉はすげなかった。

 イシルに対して隔意があるわけではなく、意図的にそうしているのだ。さもないと彼女の命にしたがってしまうからである。

 彼女がそれだけ王国の者達から愛されていると言う事だ。


 そしてイシルが危惧している通りになった。場所と時間、王国の斥候達はイシルを尾行した際にそれらを聞いており、万全の状態でマルドゥークを待ち伏せていた。


 ■


 マルドゥークの白い鬣が騒めいた。

 魔法行使だ。


「来るぞ!盾を構えろ!」


 討伐隊の隊長が叫び、隊員達は盾を構える。


 荒々しい咆哮が大気に伝播した。

 強力な音波はマルドゥークの周囲の空気を高速で圧縮して、そのエネルギーが前方に向けていくつも放出される。


 太い樹木が圧し折れ、直撃を受けた討伐隊のメンバーは全身の骨を滅茶苦茶に砕かれて激痛の中息絶えた。

 盾などお構い無しだった。

 凄まじい威力の何かが討伐隊を打ち据える。


 圧縮空気弾だ。


 音響流体力学においては音波が流体中を伝播する際に圧力変化が生じるが、これにより流体の速度や密度が変化し、流体の圧縮や膨張が引き起こされる。


 しかしこれは通常非常に規模が小さいもので、物理的な破壊力を持たせるという事は難しい。

 だがマルドゥークには自身の破壊の意思を実現させるだけの魔力がある。魔力とは意思の、覚悟の、渇望の成就を為す為の呼び水だからだ。


 ちなみに先日、彼が大蛇を奇襲した際になぜこの魔法を使わなかったかといえば、魔力を行使すれば大蛇もまたそれを感知して、奇襲の優位が無くなるからである。


 だが討伐隊もさるものだった。

 飛び道具が衝撃波の類だと分かるや否や、三角形状、錘型、ドーム状と様々な形状の結界を張り、空気弾を耐え忍ぶ。

 ただ、結界といっても不可視の力場などではなく、ある者は石材、ある者は木材、またあるものは氷や水晶など思い思いの材質で構築された防御壁である。


 彼らの構築した防御壁は、圧縮空気弾を無傷で捌くというのは難しいが、致命的な負傷を避けるには十分な性能を有していた。


 ただ、守るだけではジリ貧は否めない。

 そう考えた隊の中で一番の業前を持つ隊長がマルドゥークを睨みつけ、両手を左右に広げる。

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