ドラゴンのしっぽ刈り②


 カバくらいある体躯の真っ白なドラゴン。

 彼女の名はヒルデガルド。エマ曰く、命名は店長だと言う話だけど。


 そんな彼女は今、あたしに夢中だ。


『いもうと! いもうと?』


「お兄ちゃんがいて、エマがいて、ヒルダがいるでしょう? ヒルダの後にイオリがいるの」


『ごはんじゃなくて?』


 ごはんから離れようよ、新お姉ちゃん。

 あたしの肩に少し長めな首を載せ、あたしの背中を鼻先で突く動作を繰り返す。それにどんな意味があるのかは、あたしにはわからないけど親愛の証であることを祈りたいわ。

 食べられちゃ、堪らないもの!


「飛べるようになったと聞いたぞ、ヒルデガルド」


『おにいちゃんみたいになるの!』


「お兄ちゃんみたいにか……」


 難しい表情はせず、難しい声音を吐く店長を見ながら、ふと気づく。

 この白いドラゴン改め新しい姉の声音を拾っているのはペンダントだわ。

 借りっ放しだと少々気を病んでいた代物だけど、店長としてもあえて貸与したままでいたのでは? このような機会があると踏んで。エマとの邂逅や、ヒルデガルドとの一コマもその一部ではないかしら?


「まあ、精進することだな」


『うん!』


 疑問なのは店長とエマも何の疑問も持たずに、ヒルデガルドとの会話に臨んでいることくらい。

 新姉ことヒルデガルドは、エマをもっともっと幼くしたような感じ。

 エマは何気に実務面では敏腕を発揮する才女であるのよね。口調というか思考がやや幼いだけで。翻って、ヒルデガルドは全体的な印象が幼い。もう幼児と言っていい。

 そんな彼女に妹扱いされる、あたしの立場は……。

 いえ、仕方ないのよ。エマがお姉ちゃん風吹かせるにはヒルデガルドとあたししかいないわけだしさ。

 ”拾った”という店長の言葉の感じを踏まえると、あまり深く聞きたくもない。絶対に重い話になるのが目に見えているから。


 その後もなんやかやあって、ヒルデガルドは元の世界に戻された。

 店長が空間の歪みらしきものをこじ開けて、そこに押し込まれるように彼女は消えていった。


「お兄ちゃんを呼ばなかっただけ、いいわ」


「アポカリプスは忙しそうだったからな」


「だってお兄ちゃんは、おばあちゃん先生を手伝っているもの。忙しくて当たり前よ」


「そんな話は初耳なんだが……。先生の下には俺の最も旧い相棒リノルとオレインも出向させているんだぞ。あいつらがいれば焼き場がどれだけ楽なことか。大体、リノルとオレインはアポカリプスの兄貴分だ。ならば、エマの長兄と次兄にあたるだろ?」


「おばあちゃん先生にエマが意見できると思うの? そういうのはおとうさんがやってよね!」


 普段の調子を見ていると、言い負かされる店長は珍しい。けど、エマを相手にすると店長は五割近い確率で敗退する。

 その敗因の多くは、まだ見ぬ店長の師匠にあるようだわ。


 そして、あたしの同僚というよりも上司にあたる人材なのか人外なのかは、他にも存在するようなのよ。

 エマが兄と呼んで憚らないアポカリプスさんと、店長が殊の外大事にしている様子のあるリノルさんとオレインさん。

 この三名はあたしの心のメモ帳に記録しておく。いずれどこかで、エマのように相まみえるかもしれない。


 ほぼ口喧嘩に等しい義理の親子の会話を聞き続けながら、休憩を終えたあたしは再び歩み始めた。山頂を越えれば当然待っているのは下りよ。

 登るよりも下る方が疲れるわね。

 ペースを維持することを念頭に置いていないと、下り坂ではいつの間にか加速してしまい体力を消耗する。一気に駆け下りたい気分だけれども、そんなことをすれば周囲の警戒が曖昧になってしまう。


 現在は店長が周囲を威嚇している影響でヤヴァい魔物は近寄りすらしないと、エマは言う。これがあたしとエマの二人だけなら阿鼻驚嘆で済むとは限らない地獄絵図だったのは間違いないわよね。

 まあでも、あたしの相棒である釘バットは今回歩行補助で杖の役目しか果たしてないけど。


 山を下りきったらまた登るの。エマが山を二つと言った意味がわかるわ。

 大きな谷を下りきって、そこからまた山道に入るのよ!



「この先ね」


「あぁ、いたいた。随分と立派だ、痩せてはいるが。てっきり野良の交配で生まれた若い雄のかと思ったんだが……」


 二つ目の山を登り切り、下りに差し掛かった頃。

 エマがこの先であると注意を促せば、店長がターゲットを捕捉したらしい。

 ただ、エマもあたしも店長の捕捉したターゲットを視認できていないのよ。何を以て店長がそう語っているのか、未だ理解できていないの。


「先行する。付いてきてもいいが、ある程度の距離は確保しておけ。いいな、エマ?」


「了解したわ。イオリのことは任せて」


 あたしの保護者は今、店長からエマに変更された。

 ゆっくりに見えていても、追うには難しい速度で店長が先を行く。

 あたしはエマに連れられて、店長の後を追ったの。


「茂みに身を隠すわ。ここから先はうざくても草木はそのままね」


「わかったわ」


 草や木、蔦の類いを切り払うこともなく進む。

 視界が制限される上に、ただ歩くことにすら邪魔にもなる。ものすごく歩きにくい。けれど、周囲の危険から身を守る意味では理想的なのだろう。 


 

パァァァァァン! パァァァァァン!



 突然、耳を抑えたくなるほど大きな音が響き渡った。ほぼ爆音ね。

 音源は言うまでもなく店長だったのだが、その音に合わせて周囲の木々が倒れていく。綺麗に横倒しになることは少なく、周囲の木々に斜めに引っ掛かる感じのものが多い。

 お陰でというのも変だが、ターゲット周辺は切株と中途半端な倒木だらけとなり、あたしとエマもターゲットも視認できている。


 そしてターゲットの真正面に立ち、片手を挙げ気軽に声を掛ける男がいた。

 もちろん、我らが店長よ。


「よぅ!」


「グラゥ?」


 まだ、距離がそこそこあるからなのか、ペンダントはターゲットの声を正しく拾ってくれてはいない。例えば、ヒルデガルドのように。

 ただ、ターゲットの容姿はヒルデガルドに似た四股のがっしりとした西洋風ドラゴンであった。ヒルデガルドのような真っ白な色合いではなく、茶色と緑が混じったような少し汚い色をしてはいるが。


「ちょいと相談なんだが……尻尾か命、どちらを差し出すか選ばせてやる」


「グワ?」


 ヒルデガルドと普通に会話していた店長だ。恐らくはターゲットとも会話は成立していると考えていい。だが、


 開いた口が塞がらないとは、たぶんこのことを言うのだわ。

 エマもあたしもターゲットのドラゴンも呆気にとられる、店長の言葉に。


「……おとうさん」


「……店長、相談でも何でもないわ。もう恐喝じゃないの!」


 ドラゴンさんは怒っていい。いや、ここは怒るべき!


「ギシャァァアアアアァァァ!」


 当然、こうなった。

 この声音はそれまでよりも大きく、あたしにはこう聞こえた。


『ふざけるなよ、角ナシ風情が!』


 と。

 だけど、その反論は店長には届かない。

 ドラゴンさんが反論の叫びをあげた瞬間には、店長はドラゴンさんの正面にはいなかったのよ。


「店長は?」


「角の有無でおとうさんを推し量るとは愚かね。おとうさんならあそこ」


 エマの指が指し示すのは、ドラゴンの頭部。側頭部から天上に向けて生える角の付け根の後ろ辺り。人間で言うと、うなじの辺りに立っていた。


 いつの間に!


「さあ、どうする? そこらの木々よろしく、この首を真っ二つにしてもいいのだが?」


パァァァァァン!


 鳴り響くは爆音。

 デコピンにしか見えない動作に、爆音が伴っている不思議。

 でも、腕が向けられた先では木が縦に真っ二つに割れた。


「グゥラァァ……」


 消沈したドラゴンの声音は聞こえてはいても、思念までは届かない。

 それでも何を言っているのか、わからなくもないわ。


「降参とな? 正しい判断だ。そも、生え変わる部分より先でしか切らんし、傷の手当てもする。それにお前さんには少し働いてもらいたいから褒美も出すつもりだ」


「グラゥ?」


「腹が減っているのだろう? でなければ木など齧りはしない。腹一杯食わせてやる。だから一瞬だけ我慢しろ、痛みすら感じる暇なく切り落としてやる」


「グルゥ」


 怒りを露わにしていたドラゴンさんは店長の話に納得したようで、一転して体を伏して大人しくなった。当然だが、店長の求めた尻尾は伸ばされたままよ。


「話が付いたみたいね。イオリ、行きましょ」


「えっ、行くの?」


「そうよ。何しに付いてきたの?」


 何しにって、あたしは観戦するために決まってるでしょ? エマは違うの?

 そう、違うのね。

 エマに手を引かれたあたしは拒絶することも出来ず、そのままずるずるとドラゴンさんの下へと連行されてしまう。


 あたしは哀れなドラゴンさんの正面にやってきてしまったの。エマは何気に腕力に優れていて、あたしがどんなに踏ん張ろうとも抵抗できなかったのよ。


「ごめんね。うちの店長がわがまま言って」


『食い物と引き換えにするには安いものよ。しばらくすればまた生えてくるわ』


 グラウと短く鳴いたドラゴンさんの意志がペンダントを介して伝わってくる。

 ドラゴンさんはドラゴンさんで納得の上、店長に尻尾を差し出すようだ。

 そうでないと命を取られかねないからね。最初のとても相談とは言えない文言が、効力を発揮しているようね。


 それにしても、このドラゴンさん。女の子?


「店長! このドラゴンさん、女の子みたいですよ?」


「ここでは成体のドラゴンは雌と決まっている。出世魚方式だな」


「優しくしてあげてくださいよ!」


「あ、ああ」


 出世魚というと代表的なのはブリかしら? 若い個体はオスで歳を経るに従いメスに変化していくというあれよね。

 ヒルデガルドに比べると、ドラゴンさんの体躯は五倍では利かない大きさを誇る。

 ヒルデガルドは幼かったにも拘らず、女の子のような物言いをしていたのに対し、このドラゴンさんは成体だからこその女の子であるらしい。店長曰くだけど。


 エマは店長の手伝いで尻尾の方に回っている。

 正面でドラゴンさんと相対するのはあたしだけだけど、このドラゴンさんも納得しているようだし、あたしに危険はないわよね。何かあれば、店長が黙っていないだろうし……いないよね?



パァァァァァン!


 また爆音が一度だけ響いた。

 たぶん、尻尾が切断された音なのでしょうね。

 一瞬だけ、呻くような声音がドラゴンさんから漏れたのよ。


「大丈夫?」


『それほど痛みはない。驚いただけだ』


 あたしでも何度聞いても慣れない、驚くくらい大きな音だからね。

 でも、痛みが無いなら何よりだわ。

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