第十話 未来への期待と不安

 

『こっちこそ頼むな、渚』

「はい。真夜君はもちろんですが、朝陽様と明乃様には本当に感謝しかありません。また直接お礼を申し上げなければなりませんね」

『まあ渚には俺もだが、親父も婆さんも借りがあるし、恩もあるんだ。そんなに気にしなくて良いと思うぞ』

「いいえ。それは私の方です。真夜君にも朝陽様達にも随分と助けて頂きました。きちんとした対応をしなければいけません」

『渚も律儀だな』


 渚の言葉に電話越しにも苦笑しているのがわかる。


『とにかく、兄貴に渚を取られないようにしっかりと力と実績を見せないとな。婆さん達がお膳立てしてくれたんだ。渚との婚姻が認められるようにするさ』


 真夜にしてみれば有って無いような条件ではあるし、弱体化から回復までのカモフラージュの一環ではあるが、渚との大切な問題であるため、手を抜くつもりはなかった。


 渚も真夜の言葉を嬉しく思っていた。しかしその隣にいる朱音は複雑そうな顔をしている。


(渚の事は良かったと思うけど、素直に喜びきれない自分が嫌になるわね)


 今までの渚の境遇を考えれば、これが最善であり致し方がないことではあるので理解しているが、感情というのは難しいものだった。


 真夜と渚が条件付きとは言え周囲に認められる下地が出来た。あんな条件などあってないようなものだ。だからこれはすでに朱音を含めた真夜の実力を知る者達からすれば決定事項である。


 翻って自分はどうだろうか。渚と同じく真夜とは恋人関係ではあるが、それは公には出来ないでいる。今、下手に騒げば余計に問題が悪化しかねない。


 渚は大切な友人であり、自分と同じ真夜の恋人である。自分も大切にされているのはわかっているが、渚に対して嫉妬してしまう。自分にない物を渚はたくさん持っているのだから。


 自己嫌悪に陥る。こんな負の感情を抱く自分自身に嫌気がさす。


『朱音』


 不意に真夜が朱音を呼ぶ。


『心配しなくても、お前を蔑ろにしねえよ。前にも言っただろ? お前を誰かに渡すつもりは無いって』


 真夜の言葉に思わず朱音はドキリとした。


『お前の考えてることなんてすぐわかるぞ。割と単純だしな』

「なっ! ちょっと! それってどういう意味よ!?」

『渚の方が先にこういう話が出て、落ち込んでんだろ?』

「別に落ち込んでないし……」


 図星をつかれ、朱音は口をとがらせて反論した。隣ではクスクスと渚が笑っている。


『そりゃ悪かったな。けどまあ、この件に関しては心配すんな。俺も許してもらえたとはいえ、二人同時に付き合うって言う不誠実な事をしてるんだ。どっちかを蔑ろにしたりしねえよ。朱音の方にもきちんと筋は通すし、絶対にお前を離さねえよ。今すぐには無理でも、近いうちに朱音の親父さんの方にも頭を下げに行くさ』


 真夜としては優柔不断な両取りを選択した事を後悔はしていないが、褒められたもので無いことも理解しているので、朱音と渚の両方に対してできる限り差を付けないように心がけていた。


 無論、完璧ではないし、どちらかを優先してしまう時もあるが、二人を不安にさせないように真夜なりに努力はしていた。


『朱音の飯が食えなくなるのも寂しいしな』

「もう! なんか真夜、最近キザっぽくない!? 前はそんな事言わなかったじゃない!」

『やかましい! 俺だって色々頑張ってんだよ! 柄じゃねえ事言ってるってのもわかってんだよ!』


 真夜も気恥ずかしいのか、電話越しに大声で叫んだ。


『とにかく朱音も絶対に逃がさねえから、覚悟しとけよ』

「……うん』


 顔を紅潮させながら、朱音はそう返事をする。渚はそんなやりとりを微笑ましく見守るのだった。



 ◆◆◆



「母様、先ほどは肝を冷やしましたよ」


 朝陽は話し合いが終わった後、一人席を外し、明乃と電話越しに話をしていた。


『だがこちらの思惑通りに話が進んだし、これからの道筋も立てられた。他にも私達の考えに隔たりがあると誤認させられただろうし、私と真夜の関係も未だに変わらずと思い込ませた。あとは段階を踏めば、問題ないところまで来た』

「それでもです。失敗したらどうするつもりだったのですか?」

『その時は別の手段でどうにかするつもりだった。それに真夜との話し合いは済んでいたからな。本気になった私の恐ろしさを京極の長老共は理解している。あの場で喧嘩別れしていても、京極渚の身柄は確保したさ』


 恨めしそうな口調で言う朝陽に、明乃は上機嫌で言う。


 先ほどまで怒りを露わにしていたのが嘘のようである。先ほどは本気で怒っていたのでは無く、激怒していたかのような演技をしていたようだ。


 今回の話し合いの結果が一番スマートでスムーズな方法であったが、失敗した場合のプランも明乃はいくつも考えていたし、あらかじめ真夜にも話をしていた。だから問題ないと明乃は言うと、朝陽は珍しくため息をついた。


「母様と真ちゃんの悪巧みには敵いませんね。二人は割と相性抜群なのではないですか?」

『ふっ、お前にそう言われるのだから中々の物だな』


 朝陽の皮肉にまんざらでもない明乃に、一体何があったのやらと朝陽は苦笑いするしか無い。明乃は真夜の状態についても、詳細は万が一誰かに聞かれてもマズいので、言葉を濁して伝える。朝陽もそれで十分に伝わった。


「そうですか。それも踏まえて、今後はさらに慎重に進めるべきですね」

『ああ。だがこれで京極渚の件は概ね片が付いた。あとは火野朱音の方もできる限り早くに対応しておきたい』


 あの場ですべての六家に対して宣言したため、渚に関しては問題ないが逆に朱音の方が面倒な話になりかねない。火野も朱音の婚姻話を進めようとしていたし、それが原因で雷坂がいらぬちょっかいをかけてきた。


 今すぐに火野も朱音の婚姻を進めようとはしないだろうが、真夜と渚の話が出たせいで、朱音にも別の話を持ちかける者が出ないとも限らない。


「朱音ちゃんの方も紅也の方に先にある程度の話を通しておきます。真ちゃんの事はすべて話せませんが、何とかなると思います。母様と真ちゃんの悪巧みのおかげで、やりやすくはなりましたから」


 文句は色々と言いたかったが、朝陽も明乃が打った一芝居のおかげで、真夜の成長の理由付けも出来たし、そのための偽装工作の修行や仕事を振る口実や朝陽や結衣は大手を振って手を貸す理由の下地も出来た。


 朱音の方も紅也に話を通して高校卒業くらいまで婚姻の話を止めておいてもらえば、成長した真夜が二人を娶るための条件を整える時間を稼いでもらえるはずだ。


「紅也も色々と思うところもあるでしょうが、あの三人のことを思えばこれが最善ですからね」

『真夜の実力が知れ渡れば、火野としては自分達の所に取り込みたいと思うだろうが、火野朱音の扱いからも嫁に出す方がいいと言う意見が主流派になるだろうしな。私の方も火野にはそれとなく牽制しておく。京極の時のように強引にはいかんが、お前がしたように真昼の婚姻と錯覚させるようにすれば、時間稼ぎはできるだろう』


 星守としても真夜を手放すのは惜しい。真夜には星守に残ってもらい、真昼の手助けをしてもらいたいと明乃も朝陽も考えていた。


「それと先ほどの六道幻那の件ですが」

『あれはブラフでは無い。まだ裏取りは取れてはいないが、事実の可能性が高い。まあかなり昔の事件なので証拠を得られるかはわからんが牽制には使える。その件や真夜の件に関しては電話では無く直接話をしたい』

「わかりました。こちらでの交渉も一段落しましたし、あとは事後処理を行ってからそちらに戻ります」

『頼む。あとしばらくは京極渚の方にも気を配れ。今更あの娘をどうこうしようとは思わないだろうが、いらぬちょっかいをかけてくる可能性もある。それともう一人。京極右京にも気をつけろ』


 明乃は少しだけ口調を強め、警戒するかのように朝陽に言った。


『奴は清丸のようなタイプでは無いが、油断ならない相手なのは間違いない。京極渚の件は奴のおかげでスムーズに運んだが、何を考えているのか読めん。それにまだ京極家の誰が生き残り、復帰できるかによっては難しい舵取りをしなければならん』

「心得ております。真夜の件を含めまだ完全に終わったわけではありませんしね」

『ああ。正念場はこれからだ。頼むぞ、朝陽』

「はい。母様もよろしくお願いします」


 そう締めくくると通話を終える。朝陽も警戒を怠るつもりは無い。まだまだ気が抜けないが、真夜が意識を取り戻し、渚の身柄も確保した。喜ばしいニュースが続く事に、多少は肩の荷が下りた。


「さて。だがまだやるべき事は多い。もう一踏ん張りしようかな。紅也とも話をしないといけないし、また飲みにでも誘って、その場で言質でも取ろうかな」


 友人の困り顔を思い浮かべながら、今一度気合いを入れ直し、朝陽は事後処理を終わらせるために奮闘するのだった。



 ◆◆◆



「ふぅっ……、何とかなったわ」


 京極右京は朝陽との交渉が一区切りしたのを理由に、うるさく騒ぐ長老衆を無視して一度自室に戻った。


 彼は壁に背を預けると、そのままずるりと座り込んだ。


「っう。かなんなぁ、僕も年かぁ……。傷が痛むわ……」


 右京は確かに力を増し、何とか動き回れてはいたが、本来ではあれば絶対安静を言い渡されるほどの傷であった。


 右京はそれでも何とか腕を動かし、お気に入りのタバコを取り出すと火を着けて、おもむろに口に運ぶ。


「あぁ、うまっ。一仕事終えた後のタバコは格別やなぁ。君もそう思う?」


 ぼんやりと右京の右肩が光ると光が人の形を作っていく。それは赤いちゃんちゃんこを着たおかっぱ頭の少女だった。身長は三十センチほどで見た目は五歳か六歳ほどで、おかっぱ頭の前髪で目が隠れている。


 その少女は右京の言葉に口をへの字にしてイヤイヤと首を横に振った。


「ありゃ、まあ君には向いてへんか。ごめんごめん、今度お供え物は奮発するんで。君には感謝しとるから」


 座敷童子。主に岩手県に伝わる妖怪で、家人に悪さを働いたり、幸運や富をもたらしてくれると言われる存在である。だがこの座敷童子は少々違っていた。


 彼女は遠い昔、星詠みの巫女として京極家に仕えていた人間だった。だが病に倒れ命を落とすことになる。


 その際、彼女は近いうちに京極家に危機が迫ることを予知した。


 多大な恩を受けた京極家の当主や一族のために、彼女は特殊な術を用いて、この土地と京極家に縛られていた座敷童子と魂を同化し、特定の人物に取り憑く事で星を詠み、京極家が繁栄するための道を、あるいは一族の危機を伝え、幸運を引き寄せ、不運をできる限り遠ざける存在となった。


 しかし同化の影響か別の要因か、星詠みの精度は落ち、自らが伝える事が出来ず、取り憑いた相手に星詠みの能力を共有し漠然とした未来を見せることしか出来なくなり、幸不幸を引き寄せる、あるいは遠ざけるのは因果を操る行為でもあったため、任意で行うことが出来なかった。


 また取り憑いた者以外に伝える術も無く、さらに取り憑いた者がそれを誰かに直接伝えた場合、星詠みで見た未来が変わってしまうと言う弊害もあった。


 何もかもが不完全な未来予知だが、座敷童子の幸運を引き寄せる能力と合わさり京極家はこの力により、代々の憑き人が行動することで危機を回避、あるいは乗り越えて吉事を手にして繁栄してきた。


 今回の六道幻那の襲撃はあまりにも相手の力が強すぎたため、より曖昧な未来しか見ることが出来なったのだが。


「けどこれで京極家も持ち直すんやろ?」


 右京の言葉にこくりと縦に頭も振る座敷童子。しかし彼女は右手の親指を一本立て、もう一つしなければならないことがあると伝える。


「……はぁ、気が重いわ。僕、こうならんようにがんばったんやけど」


 京極家は現在、当主たる清彦を欠き、また次期当主候補も見直さなければならない状況になった。


 清彦を含め、当主の娘や息子は何とか生きていたが、清彦は未だに意識が戻らず、他の子供達は意識こそ回復したが、霊力が安定していないという。


 長老衆の頼みの綱でもある清丸は、それよりもさらに深刻でいつ亡くなってもおかしくないほど衰弱しているらしい。


 また唯一五体満足な渚は、星守の養子に出すと言うことに決まった。


 これにより星守の後ろ盾と支援を確約出来たし、今後次第では次期当主と目される真昼の妻となれれば、より京極との結びつきが強くなるため、長老衆は概ね満足していたのだが、そうなれば次期当主が誰になるかで揉めるだろう。


 現時点では暫定的に右京が当主代理を務める方向で進んでいるようだが、本人としては乗り気ではない。


「それに君もいけずやね。まあ僕としてもある意味、ちょうどええ機会やろうけど……」


 それはこの星詠みの座敷童子以外で、今まで右京が京極家に秘密にしていた事でもあった。


 右京はこの年まで妻を娶っていない。独り身を貫き、清丸をはじめとした周囲の見合い話を断り続けてきた。


 そしてそれには理由があった。


「ほんまかあかんわ……、あかんなぁ……。せやけど、仕方が無いもんなぁ……」


 右京はタバコを吹かしながら、実に嫌そうな顔をする。それはどこか諦めにも似た表情だった。


「今の星守は信用できるし、渚ちゃんのこともあって協力的やろうからね。それに『真夜中に輝く星』も確信が持てたわ。あとはあの子にお願いしにいかなあかんな。はぁ、あの子のことがバレたら、長老方もうるさいやろうし、また揉めるわ」


 本当はこのまま隠し通していたかった。しかし星詠みの結果、そうも言ってられなくなった。


「京極の滅亡の危機を防いで、次は没落の危機を防いでもまだあかんの? なんでこんなに星が悪いん? ここから下手打ったら、大惨事が起こってあの子にまで影響が出るとか、これなんの罰ゲーム? それとも僕含め、これまでの京極の行いが悪かったせい?」


 肩に乗る座敷童子に問いかけるが、彼女は何も答えてくれない。むしろぷいっと顔を背ける始末だ。


「僕、あの子にまで恨まれるのは嫌なんやけど……。苦労するのが目に見えてる所に引きずりこむんは悪行やよ。はぁ、僕も兄さんの事、とやかく言えへんわ。けどまあ諦めて頭下げに行こか。それに久しぶりに顔も見たいし」


 右京は重い身体にむち打ちながら、未だに見える最悪の未来を回避するために奔走するのだった。


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