月夜に揺れる、蕾の白薔薇(7)
ノルマリスさんが口を閉ざしてしまうと、その場には静かな静かな空気しか残らなかった。呼吸をするのもためらうような、吸い込まれるような静寂。ただ柔らかな月の光と、夜の闇とが満ちているだけの夜だった。
でも、私にとってその空気は嫌なものではなかった。むしろ少し安心できるような、穏やかな空気だとすら思った。先ほどまでの、焦燥で息ができなくなるような気分よりもずっとましだ。だってノルマリスさんには私を拾った理由があったから。私が話に出てくる姫君に似ていれば、捨てられないとわかったから。この奇妙なほど穏やかで心地いい世界を壊されなくてもいいから。
「ねえ、ノルマリスさん。教えて。その姫君はどんなふうに笑うの?癖は?好みの食べ物は?お願い、私が姫君になるから、だから私を捨てないで。」
捨てられるかもしれない怖さをはやく取り払いたくて、床に座り込んで懇願する。けれど、ノルマリスさんは淡く微笑むと私の隣に膝をつき、首を微かに横に振った。
「……君は、そのままでいい。好きなものも仕草も、ゆがめなくていい。僕は姫君と違う君でも捨てたりなんかしない。その上で、もし君が、僕に何かしてくれるのなら。僕に微笑んでくれ。どうしようもなく醜い僕に、赦しを与えてはくれないか?」
ノルマリスさんと一緒に生活していても、私はノルマリスさんに笑いかけたことはおろか、真顔以外見せたことがなかった。どんな表情をすればいいのか、私にはわからなかったから。お母さんは、私が笑うと不愉快そうに顔をしかめていた。私が泣けば面倒そうな、うっとうしそうな顔をした。村人たちも大体同じような反応だった。結局どんな顔をしても、お母さんが笑ってくれることはなかったから、私は真顔以外できなくなってしまった。
けれど、ノルマリスさんが望むなら。この、今までの村人とは違う美しい人が願ってくれるなら。私は笑える。ノルマリスさんが愛した姫君に似た顔で、笑ってみせる。それだけがきっと、こんな私を見捨てずにいてくれるノルマリスさんに報いるたった一つの方法だから。
「……どう、ですか?」
「っ、とても、とても……綺麗だ。」
口の端を意識してほんの僅か上げただけの、不器用な笑い方。微笑むと言うよりも、唇をゆがめたと言った方が正しいような微妙な表情。ろくな物を食べてこなかったせいでこけた頬も、美しいとは言い難い濁った瞳も、さぞ拙く醜く見えただろうに。
それでも、ノルマリスさんは、泣きそうな顔で笑ってくれた。
それだけで、私に意味があるように思えた。
親殺しの、罪人の、生きることに固執していただけの私にも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます