第33話 あ


 体育祭のダンスはソーラン節に決まった。


 誰が選んだか知らないけど無難なチョイスだ。振り付けは動画サイトに載っている。振り付けを考える時間をそのまま練習に当てられるからパフォーマンスの向上につながる。


 懸念と言えば使い古されていることくらいだけど、これは特に気にする必要もないだろう。徒の大半はソーラン節を知らないし、父兄とは三年で入れ替わる。メリットの方がはるかに大きい。


 ダンスの題材を知らされた放課後に練習の予定が定められた。教室で体操着を身にまとい、友人と一緒に教室を後にする。


 廊下には体操着姿が点在している。


 港廉高校は学年ごとに体操着の色が違う。一年生のようだ。情けない姿は見せられない。意識して背筋が伸びる。


「なーに緊張してんだよ!」


 背中に衝撃が走った。反射的に右足が前に出る。


 振り替えると丸田が普段通りすぎる笑みを浮かべていた。


「静かにしろ。一年生がいるんだぞ」

「何だお前、もしかして一年生がいるから見栄張りたかったのか?」


 丸田が目を丸くした。


 声がでかいせいで前方にいる何人かが振り向いた。耳たぶが微かに熱を帯びて反射的に反論する。


「違う。俺たちは二年生なんだ、下級生の模範となる立ち振る舞いをだな」

「見栄張りたい気持ちは分かるけどカチコチなのもだっせえぞ? 

「別にカチってないし」

「じゃあコチってんのか?」

「コチってもないし」

「じゃあ緊張してんだな。心配いらねえよ。俺たちには取っておきな方法があるじゃねえか」

「そんなのあるのか?」

「ああ、簡単だぜ」


 丸田が得意げに笑んだ。


 知らなかった。下級生から尊敬の念を勝ち取るのがそんなに容易だったとは。

そんな方法を丸田が知っていて、俺が知らなかったことは屈辱だけど、この際四の五の言ってはいられない。


「聞こうじゃないか。その簡単とやらの方法を」

「タダで?」

「……後でジュースおごってやる」

「よかろう」

 

 あコホンと。丸田がもったいつけて喉を鳴らした。


「ずばりだな、燈香や魚見と仲良く話してりゃいいんだよ」

「何だそりゃ」

「考えてもみろ。燈香と魚見は人気あるだろ?」

「まあな」


 二人とも綺麗だし、スタイルもいいから同級生の枠を超えて人気がある。男子だけでなく女子にも憧憬を向けられるタイプだ。二人と言葉を交わすところを見せれば、下級生は俺たちにも一目を置くこと間違いなし――。


「ってまさか、二人をダシにしようってことか?」

「虎の威を借るキツネとも言う」


 丸田が得意げに胸を張った。


 マジかこいつ。堂々と他人頼りを宣言して恥ずかしくないのか?


「そんなだからモテないんだぞ」

「うっせえよばーか!」


 パァンと背中に衝撃が走った。


 俺は苦笑いで応じて視線を前に戻す。下級生の背中に続いて目的の場に足を運んだ。


 教室前には人が集まっている。燈香と魚見の姿もあった。特に燈香は文化祭の演劇で目立っただけに、周囲には人だかりができている。集まっているのは女子ばかりだけど、離れた位置で熱のある視線を送る男子もいる。


 肩に手が置かれた。


「な?」

「なじゃない。恥を知れ恥を」


 こんな状況で接点をアピールするとかどんな罰ゲームだ。大体つながりがあると知れたら次は紹介して、の流れになるに決まってる。


 面倒ごとはごめんだ。俺は廊下の隅に寄って知らぬ存ぜぬをつらぬく。視界の隅に明るい色が映って横目を振る。


「あ」


 同じつぶやきが口から出た。長身の同級生がきまり悪そうに視線を逸らす。


「……よう」

「……ああ」


 ぎこちないあいさつを交わして、どうすればいいか思考をめぐらせる。


 観なかったことにして練習を待つか、歩み寄って他愛もない話をするか。


 迷う間に長い足が廊下の床を踏み鳴らした。見る見るうちに距離が詰まって背筋を正す。


「赤組なんだな」

「ああ」

「秋村さん、人気だな」

「演劇で目立ってたからな」


 つぶてのような言葉を交換して奇妙な沈黙が舞い降りた。気まずさから逃げるように視線が教室に向く。


「聞いたよ。別れたんだってな」


 俺は視線を浮谷さんに戻した。


「燈香から聞いたのか?」

「ああ」

「そうか」


 当事者の燈香が伝えたなら何も言えない。短く答えるにとどめた。


「それで、燈香とは付き合ってるのか?」


 長身がかぶりを振った。


「いや、しばらく色恋からは距離を置きたいって言われたよ」


 胸の奥でじわっと熱いものが広がる。


 別れてすぐ浮谷さんと付き合われたら、まるで俺が燈香に捨てられたみたいだ。これでクラスメイトからとやかく言われる心配はなくなった。


「オレが言うのもなんだけどさ、本当に別れてよかったのか?」

「別れてほしかったんじゃないのか?」

「そりゃそうだけどさ、やっぱ気になるだろ。もし俺たちを気にして別れたんなら責任の一端は感じるっての」


 俺は思わず目をしばたかせた。


 やけに落ち着きがない理由が垣間見えて、思わず小さく笑った。


「な、何で笑うんだよ? 俺が責任感じちゃおかしいか?」

「いや、ちょっと意外だったんだ。浮谷さんはもっとサバサバしてる人だと思ってたから」

「俺だってそう思ってたよ。交際を続けるか別れるか決めろつったの俺だし、気にしない方が薄情だろ」


 浮谷さんがそっぽを向いた。


 気にする人ばかりじゃないことを知っている。俺は燈香にふさわしくないと陰口を叩いていた人は、俺たちの顛末を知るなりほくそ笑むだろう。


 浮谷さんはそうしなかった。俺に対してはっきり嫌いだと告げたのに、自身の言動を反省して俺に確認を入れてきた。それだけでも十分だ。


「燈香と付き合ったのが浮谷さんでよかったよ」

「何だよそれ、振られた俺に対する嫌味か?」

「悪い方に取るなよ。これでも褒めたつもりなんだぞ?」

「そうかよ。やっぱ俺お前のこと嫌いだわ」


 浮谷さんが吐き捨てるように告げて背を向ける。元来た廊下を戻って別の三年生の教室に踏み入る。


 ちょうど俺の方でも号令がかかり、パフォーマンスの練習にしゃれこんだ。

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