番外編 美術の授業 【前編】

 私、浅茅あそうりつは字が下手だし、歌も楽器も上手くない。

 そういう理由で、芸術選択は書道でも音楽でもなく美術を選んだ。

 と言っても、絵も得意じゃない。現代美術なんて理解不能だ。

 結局、どれを選んでも、私にふさわしいというか性に合った芸術選択科目はなかった。

 それでも美術を選択していてよかったとは思う。

 親友の二人、ケイとユキノが一緒だし、何より最愛の彼女ミカがいるからだ。

 ミカ――クラスでは『翻訳ほんやくさん』と呼ばれているかみありすみがいるだけで、私は退屈な美術の授業をがんばれる。

 もっとも、私がミカと付き合っていることはケイとユキノを除くクラスのみんなには秘密にしているので、大っぴらに話しかけたりイチャついたりはできないけれど。そういうのは彼女と二人きりになれる放課後の第二図書室で好きなだけできるし、普段はただのクラスメイトを装っている。


「今日は人物デッサンをやるぞー。鉛筆か木炭、好きなほうを選べー」


 授業が始まり、担当の教師が教壇に立って課題内容の説明を始めた。体育教師のほうが似合う無駄に声がデカい筋肉ダルマで、ちょっと頭髪が寂しい中年男性だ。決して美男とは言えないが、ノリが軽く接しやすいので生徒の評判は悪くない。

 芸術の授業は二限連続で設定されているので、今日は前半に一人、後半に一人をモデルにして描くらしい。


「人物画は自信ないなー。というか絵は苦手なんだよ……」


 ケイが開始早々弱音を吐いた。


「だったらなんで美術を選んだの?」

「書道は小学生のころからずっとやってて飽きてるし、音楽は絵を描く以上に苦手だから、消去法で美術にするしかなかったわけで。リッちゃんと同じだよー」


 ユキノがド正論で問い詰めると、ケイはそんな風に答えた。

 まあ、美術ってそんな感じで流れてくる人、多いよね。

 とか思っていると。


「ああ、ごめんね。リッちゃんは字も下手だから美術に逃げるしかなかったんだよね。書道って選択肢もなかったリッちゃんと一緒にしちゃいけませんでしたなー」

「おう、ケンカ売っとんのかワレ」


 ケイの言い草に思わずツッコミの声が大きくなる。その途端、教師に目を付けられた。


「コラ、浅茅! 話を聞いているのか!」

「すみません! 聞いてません!」

「いっそ清々しいなお前……。ったく……じゃあ、前半のモデルは浅茅でいいな?」

「は……? えぇぇぇぇッ⁉」


 まさかのご指名。ウソでしょ?


「せ、先生! こういうのはもっとモデルに適した人がいいと思うんですけど!」

「例えば?」

「ええと……」


 言われて部屋を見回し、無意識にミカのところで視線を止める。

 するとミカはものすごい勢いで首を横に振って拒否した。まあ、超人見知りなミカならそうだろうなと。

 他に誰か――と思ったそのときだった。


「あ」


 予兆もなくに気づいた。神託、あるいは天啓と言ってもいい。私は巫女ではないけど。


「先生!」

「何だ、浅茅?」

「モデルをやるってことは私、ってことですか?」

「そうだな」


 おおおおっ! それは絵が苦手な私にとって朗報……っ! 僥倖ぎょうこう……っ!


「しょーがねぇ、私が一肌脱いでやんよぅ!」

「おお、やってくれるか、浅茅」

「やりますっ! できれば描きたくないんで!」

「だから正直が過ぎるんだよお前……」


 呆れる教師を、なぜかケイとユキノが「まあまあ」となだめていた。

 正直が過ぎるとか言われても、それが浅茅律子わたしという人間なんだからしかたないじゃないか。

 そう思うよね、とミカのほうを見ると、部屋の片隅にいるミカが両手で口を塞いで笑いを堪え、ぷるぷる肩を震わせていた。なんだかものすごくウケてらっしゃるご様子。超可愛い。大好き。

 ともかく、モデルになれば一回分のデッサンをパスできる。まさに役得。


「ところでセンセー」

「ん? なんだ、白川?」


 さっと手を挙げ、白川ケイが質問する。


「リッちゃんをどこまで脱がせますかー?」

「……はぁ? 何を言ってる?」

「冬も近づくこの季節ですし、全裸フルヌードはさすがに寒いと思いますので下着で勘弁してあげてください」

「脱がんでいい! 俺をクビにしたいのか貴様!」


 ケイの小粋なジョークにマジギレして、教師は大声を上げた。

 この程度でキレるとは、まだまだ修行が足りとらんな……とケイが呟くと、その隣でユキノが「うむ」と偉そうに同意していた。どこの師匠だ君たちは。

 まず君たちがおかしいんだからね? 美術教師の反応が普通だからね?


「脱がなくていいんだってさ、リッちゃん。せっかくの勝負下着なのに残念だったねー」

「普通の安い下着だよ。全然勝負してないよ。残念なのはケイの頭ん中だよ」

「ちゃんと韻を踏んで突っ込むリッちゃん素敵よ。音楽に行けばよかったのに」

「はいはい」


 やれやれとため息をついて、私は教壇に上がった。

 大体、私の全裸を見ていいのは家族の他はミカだけだ。地獄に落ちても忘れるな。


「よーし、じゃあ始めるぞ。なるべく細かく描き込むように。浅茅の服のシワや表情、髪なんかも丁寧にな。時間は四十分だ」


 気を取り直した教師がデッサン開始の宣言をした。



 ポーズは好きにしていいと言われたので、椅子に座って前かがみになり、肘をついて顎を乗せる格好――『考える人』を真似ることにした。それで椅子の位置を調節して正面にミカが来るようにする。これで四十分はミカを堂々と見つめていられるという寸法だ。眼福眼福。


「リッちゃーん。顔がニヤけてるよ。さっきの表情に戻して」


 一生懸命スケッチブックに鉛筆を走らせるミカをじっくり網膜に焼き付けて堪能していると、ユキノからお叱りが飛んできた。


「え? ごめん」


 慌てて表情を引き締める。

 私に見つめられて照れながら描くミカが可愛すぎて、つい頬が緩んでしまっていたらしい。これじゃあクラスのみんなにミカとの関係を知られてしまう。それはまずい。あまり見ないようにしないと。

 でも、可愛いミカをじっくり見ていたい。見るとバレるかもしれない……あああ、これは困った。どうすればいいんだ、私は。


「時間だ。浅茅、お疲れ様」

「え……?」


 葛藤している間に四十分経っていたらしい。

 このポーズだと考え事をするのに捗りすぎて、時間の経過を忘れてしまうようだ。まるで時間をすっ飛ばされたような感覚で、銀の戦車の人もこんな感じだったのだろうかと思ってしまう。

 ちくしょう、三分くらいしかミカを見つめられなかったじゃないか……ユキノめ。余計な茶々を入れよってからに。覚えてなさいよ。


「よーし、休憩を挟んだら後半に行くぞ。モデルは……」

「はい先生! 東藤ユキノさんがいいと思います!」

「り、リッちゃん⁉ 何を……⁉」

「陸上で鍛えられた、強靭でありながらしなやかな彼女のボディはモデルにぴったりだと思います。みんなはどう思う? 最高のモデルだと思わんかね?」


 同意を求めるように周囲に視線を巡らせる。大半がモデルになりたくないと思っているだろうし、ユキノに押し付けやすいように誘導してやれば、同意を取り付けるのはそう難しくない。

 そしてこれだけの数にうなずかれてはユキノも断りづらくなる。

 秘技『みんながこう言ってるんだし断らないよね?』作戦! 通称『押し付け』! 文化祭で『ショタ執事』を嫌がるケイに使った奥義だ。

 声は上がらないが、明らかにみんなが賛成の意志を示す顔をしていた。

 ユキノはその雰囲気を察し、泣きそうな顔でケイにすがる。


「ケイぃ……リッちゃんをなんとかしてよぅ……」

「リッちゃんが言い出したら聞かないのは周知の事実だよ。知ってるでしょ、リッちゃんを表す四字熟語を」

「うぅ……『唯我独尊オレサマスゲェ』だっけ」

「違うよ! 『猪突猛進まっしぐら』だよ! というか何そのアタマ悪そうなルビ⁉」


 ユキノの勘違いに思わずツッコミを入れる。最近ボケかたがケイに似てきたな……この子。


「ケイはどう思う? 私がモデルになるのは?」

「いいんじゃないかな。何事も経験ですじゃ、ユキノ殿」

「ケイ……お前もか!」

「まあまあ、ユキノカエサル殿。あとでアイスを奢りますゆえ、やってくださらぬか」

「うー……わかった。約束だからね。絶対だからね、ケイブルータス

「安心めされ。お金を出すのは指名したリッちゃんじゃ。好きなだけ食らうがよい」

「またそんな勝手に……」


 まあ、無理にやらせることになりそうだから、ちょっとくらいは大目にみてやるか。





 ―――― 後半に続く ――――


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