第8話 二人の会話
「お友達を飛び越えて
信じられん、とケイは顔をひきつらせて呟いた。
まあ、自分でも後がないからと思い切りすぎたと思うのでわからなくもないけど。
しかし、きちんと想いは伝えられたし、謝ることもできたし、ハンカチの弁償もできた。私としてはそれで十分。これで思い残すことなく学生生活を送れるというものだ。
「ケイさんや、ほんにこの子はしょうがない
「んだ。困った子じゃ……」
二人がしわがれ声の
「何これ。何なの?」
唐突に始まった小芝居に戸惑う私。
「いや、何なの、じゃなくてね? 告白なんてしちゃったら余計に気まずくなるでしょうに。嫌がられたらどうしようとか、その辺のことまで考えなかったの?」
急にしゃきっとした口調に戻ってユキノが問い詰めてくる。
いや、他ならぬ君がそれを言うのか。
「言いたいことを言えってアドバイスしたの、ユキノさんじゃないですかァ!」
「アホぅ! 限度があるわ! それに言いかたを考えないと大事故になるとも言ったよね!」
「…………あ」
「忘れてやがったよコイツぅぅぅぅ! 終わったぁぁぁッ!」
うわあああ、と頭を抱え、ユキノはその場にうずくまった。いきなり叫びだした彼女を何事だとクラスメイトたちが注目する。もちろん翻訳さんもビックリしている。
ひょっとしてユキノは、以前言っていた『火の粉』を心配しているのだろうか。
昨日、翻訳さんと話した印象だとそんなことをするようには感じなかったし、大丈夫だと思うけれど。
「まあまあ落ち着きなされ、ユキノ殿。
「ケイ殿……」
「それに、いまさらリッちゃんに
「うぅ……御意に御座います……。
ケイの意味不明な小芝居にしっかり乗って、最後はちょっと素に戻りながら二人は連れ立って教室を出ていった。もうすぐショートホームルームが始まるんだけど……学食に行って戻るくらいの時間はあるか。というか、ケイの言い草酷くない?
二人に置き去りにされ、ぽつんと残った私は自席に向かった。
一時間目は数学か。佐藤女史の気の抜けない授業が始まると思うと、少々気が重い。
「おはようございます」
教科書を用意していると、不意に翻訳さんの囁くような声が降ってきて、白くて小さな手が机に紙片を置いていった。顔を上げたときには彼女の背中が遠ざかるところで、足早に席に戻り、また猫背になってノートに覆いかぶさった。この紙片を渡すために私が一人になるのを待っていたようだ。
『放課後、少し話しませんか』
ドキドキしながら紙片を開くと、綺麗に整った字でそう書いてあった。
私は思わずグッと拳を握って、声を出さずに雄叫びを上げた。
放課後になり、教室に残っているのは私と翻訳さんだけになった。
この機会を逃さずキッチリ全裸土下座でもなんでもして謝っておきなさい! とユキノから厳命されたが、多分、全裸も謝罪も必要ない。
彼女は怒って文句をぶつけるよりも、距離を置いて関わりを断つことを選ぶ印象だ。だから、私のほうから近づかないと約束して挨拶もやめたのに、それをなかったことにするようなメモを寄越した時点で、彼女に怒りの気持ちはないはずだ。この呼び出しはもっと違う意味のものだろう。
「呼び出したりして、ごめんなさい」
「ううん、全然。むしろ、また
思っていることをそのまま伝えると、彼女は照れたように笑った。
「それで、話って?」
「ええと……そうそう、朗読会の物語のことなんですけど」
と、慌てて水色の表紙のノートを取り出す。ページをめくると、几帳面で綺麗な文字がずらりと並んで物語を綴っていた。
「実はこの物語、プロが書いたものじゃないんです」
「……?」
何の話だろう。
「趣味で小説を書いて、それをSNSなどに投稿している人が、海外にはたくさんいるんです。私はそういう人たちの物語を読んで、面白いと思ったものを和訳して、日本の人に読んでもらえるように小説投稿サイトに載せているんです。もちろん作者のかたと連絡を取って、許可をいただいてからですけれど」
「へぇ……。あ、いつも上有住さんが何かを和訳しているのって、これ?」
「そうです。ですので、朗読会の物語を
「なるほど……道理で検索してもヒットしなかったわけだ」
朗読会の『魔法使い』の正体を知る手掛かりになるかと、あのときの演目を調べて空振りに終わった理由がわかった。
しかし、どうして今、こんな話をするのかわからない。演目について質問した覚えも、その気配を見せた覚えもないのに。
わからないが……無口なはずの彼女が饒舌に話す姿は非常に興味深い。なにぶんにも彼女の声に魂を持っていかれている私だ。内容が何であれ、彼女の話を聞いているだけで心が満たされて幸せな気分になっていく。まさに至福の時間。
「調べてもわからない、誰も知らない、聞いたこともない作品でしたものね」
小さく笑って、彼女は言った。
……そうか。思い出した。
朗読会の感想を伝えたとき、聞いたことのない作品がどうのと言ったっけ。
だから彼女は、わざわざ誰の作品なのかを解説してくれたのだろう。律儀というか、丁寧というか……膝の手当てをしてくれたことでわかっていたけど、親切で優しい人だ。
「それに、朗読会用に少し編集してタイトルも変えましたから、なおのこと検索には引っかからないと思います。原作和訳を読むのでしたら、投稿サイトで『
「それが上有住さんのペンネーム? 私なんかに教えちゃっていいの?」
「構いません。みなさんに知っていただくために公開しているのですから」
ネット上の匿名公開と、中の人を知ったうえでの公開は全然違うと思うんだけど……言わないでおこう。ただ彼女が私に秘密を打ち明けてくれたという事実が嬉しい。それでいいじゃないか。
「…………」
「…………」
唐突に会話が途切れる。
互いに無言のまま、窓の向こうの景色に目をやる。夏の気配に包まれつつある街が広がっていて、心なしか眩しく見えた。もうすぐ暑くなるのかなぁ。
「…………」
彼女が何やら言いたげに横目でちらちらと私を見ていることは気がついていた。
この呼び出しの本題が無名作家の紹介ではないことも、初めからわかっていた。
そんなどうでもいい用向きで、酷い人見知りの彼女がコンタクトを取ってくるわけがないのは、ケイほどの洞察力がなくてもわかる。
やがて。
「あの……浅茅さん……」
意を決したように、彼女は口を開いた。
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