14話 7月27日 記憶の断片 八神大智

 気がついたとき、また真っ白な天井が見えた。前回と違うのは記憶があるということだった。と言っても、海から救助された後の記憶だったが……。


 俺は病室のベッドに上半身を起こした状態で、一人物思いにふけっていた。


 意識を失う寸前、ほんの一部だが記憶を思い出したのかもしれないのだ。言い争うエミリアさんと楠さんを見ていたら、脳裏にふたりの姿が突然浮かんだ。


 その中でもふたりは同じように言い争いをしていた。

 また始まった……。と、俺は半ばあきれながらそんな彼女たちを眺めている。


 周囲にはモニターやら何かしらの機材が多数設置されていたが用途はわからない。それと彼女たちの他にも数人の人影が見える。しかし、それはぼやけていてはっきりと見てとることができなかった。水の中で目を開けて見ているような感じだ。人であることはわかるが性別まではわからない。声も同じで、エミリアさんと楠さん以外の声はくぐもっていて聞き取ることができない。


 そのとき背後から誰かが近づいてくる気配を感じた。俺が振り返るとそこに立っていたのは——。


 そこで俺は気を失ったらしい。一瞬その人物の顔が見えたような気がしたが、今はもう全く思い出せない。


 主治医の先生にその内容を話してみたところ、おそらく記憶の一部が何らかの影響でよみがえったのではないかとのことだった。


 昼食を食べ終えた昼下がり。外には容赦ない夏の日差しが照り付けている。そんな事とは全く無縁であるように、俺がいる病室内は快適な温度に空調管理されている。本来であれば今頃は片平で品出しでもやっていたころだろう。


 意識を失っている間に日付は変わっていた。二十時間以上目が覚めなかったらしい。


 意識が戻ったあと、軽い検査受けたが異常は見られなかった。体調にも問題がないようなら午後には退院できるそうだ。今のところ何ともないのでこのまま退院できるだろう。


 とりあえず片平にはすぐにでも顔を出さないと。みんなに迷惑をかけてしまったからな。それとエミリアさんと楠さんのことも気になる。あの時は驚きのあまり何も話す事ができなかったが、改めて話をしないといけない。


 あの時見た光景が記憶の一部だとしたら——。エミリアさんと楠さんは俺の事を知っていたことに間違いはない。そうなるとあのふたりは初対面ではなくお互いを知っていたことになる。そんなふたりに俺は結婚詐欺を働いたのか? そんなわけはない!


 あれこれ考えてみるが納得のいく答えが見つからない。モヤモヤする頭の中で、ふとシンプルな一つの考えが浮かんだ。


 ふたりが嘘をついている……。


 あまりにも単純で思いつかなかった。ふたりが知り合い通しなら共謀して俺を騙すことなど簡単だ。なにせ俺には記憶がないのだから。しかしそうすると動機がまったくわからない。こればかりは記憶が戻らないとどうにもならないだろう。


 とにかく片平に戻って状況を確認しないと何も始まらない。そして、エミリアさんと楠さんは間違いなく俺の事を知っている。ふたりから本当の事を聞き出すしかない。



 午後三時ごろには無事退院することができた。その足ですぐ片平に向かう。店長には事前にその事は伝えてある。それと七瀬さんが途中まで迎えに来てくれるらしい。店長の話だとかなり心配してくれていたようだ。


 自分の発言が原因で八神さんが倒れてしまったと、かなり落ち込んでいるらしかった。

 確かにあの時はショックを受けたが、そのおかげで記憶の断片を思い出す事ができた。結果オーライということにして、七瀬さんには早く元気な姿を見せてあげないと。


 大通りをそれて脇道へと入る。この先にある公園を突っ切ると片平への近道になるらしい。七瀬さんに教えてもらった。七瀬さんとはその公園で待ち合わせをしている。


 大通りとくらべると人気ひとけの全くない道をしばらく進む。間もなく前方に公園が見えてきた。


 公園というよりは広場といったほうがしっくりくる。広さもさることながら、遊具もブランコ、鉄棒、ジャングルジムと、この三種類しかない。定番の砂場やすべり台は設置されていない。ベンチなんかもあるにはあるのだが、日差しの少ない木陰などではなく、遮るものが何もない炎天下の中に設置されている。


 こんなところで誰が休むんだよ。と思わずツッコミを入れたくなってしまう。そんなこんなでこの公園にも人の気配は全くない。


 七瀬さんもまだ来ていないようだ。仕方がないので夏の日差しにあぶられたベンチに腰を下ろす。ジーンズ越しにも暑さが伝わってくる。とてもじゃないが直に触れられないだろう。


 結局自分が休んでいるな。頬づえをつきながらそんなこと考えていたら、ふと人の足が視界に入っていることに気がついた。足の向きから明らかにこちらを向いていることがわかる。七瀬さんではないことも確かだ。サバイバルブーツを履いているその足は、三十センチ以上はあるんじゃないかという大きさだ。どこから現れたのだろう。近くに人の気配はなかったはずだ。


 俺は顔を上げ、その人物を見上げた。目が合った瞬間、その男は振り上げていた手刀を俺めがけて振り下ろしてきた。


 バキバキッ!


 寸前まで座っていたベンチが真っ二つに破壊された。かろうじて手刀をかわした俺だったが、バランスを崩してしりもちをついてしまった。


 「な……」


 あまりにも突然のことに言葉も出ない。

 いったい何が起きたんだ。ベンチを素手でぶっ壊すとかありえないだろ——。


 その様子を呆然と眺める俺に、男はゆっくりと向き直った。

「よくかわしたな。記憶がなくても身体は反応するのか?」


 低く野太い声で男はそう言った。

 角刈り頭のいかつい角ばった顔。日本人ではない、アメリカ人か? それよりも男の体格だ。しりもちをついて見上げるかたちになっているが、デカすぎないか! 二メートルはありそうな身長に、俺の太ももみたいな腕の太さ。クマが服着て立ってるみたいだ。ベンチを真っ二つにするのもわかる気がする……。


 「いったい何なんだ……」


 そう言いながら俺は立ち上がったが、依然として男を見上げることに変わりはない。身長もさることながら、その巨大な体躯たいくが威圧感を与えてくる。これじゃあヘビに睨まれたカエルも同然だ。


「本当に何も覚えていねえんだな」

 男がゆっくりと近づいてくる。

「まあいいや。ここでお前は死ぬんだからな」


 そう言い終わるか終わらないうちに男の拳が俺の眼前に迫る。わけが分らないが今はそれどころではない。あんなものをまともにくらったら首がもげてしまう。目の前の脅威に対処しなければ、男が言ったように俺は本当に死んでしまうかもしれない。

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俺はいったい誰なんだ!記憶がない俺の周りは、いつも美女であふれてる! のんびりウラミ @nonbiri_urami

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