第2話


 早朝の教室に差し込む朝日が、実はもうオレンジではなくホワイトになっている、七時から八時の間の時間帯。

 中学二年生にして商業作家である私は早くもこの時間帯を早朝と呼ぶくらいの徹夜癖が身についており、かといってクールを貫いている私が顎を外れんばかりに開いてあくびをするわけにもいかず、涙目で眠気を噛み殺しているような、割とありふれた日常の風景。


 ……商業作家って本当に忙しい。

 別に自慢じゃないけど、商業作家って本当に忙しい。


 前回の打ち合わせの後、家に帰った私はさっそく商業化祝いにお母さんに買ってもらったノートパソコンを立ち上げ、目にも留まらぬ速さで新作ラブコメのプロットを入力……するはずだったのだが、まずは愛飲のほうじ茶を淹れ、煎餅をつまみ、アイスを食べ。

 まあ、ラブコメの知識全くないし? 多少は仕方がないというか?


 そんなわけでトレンドを掴もうと、私は恋のABCすっ飛ばしてZのみ、みたいなウェブ小説を読み漁り、こんなん書けるのかよ……という絶望感を抱えてお風呂に入り、布団に入って就寝……って、そこはどうでもいい。


 とにかく、翌日の日曜日こそは本当にプロットを書き始めたのだ。

 そして四苦八苦しつつも午後三時には大体形になったものを神崎さんに送ったのにあの女ァ、たったの十五分で『ボツ^ ^』とかいうふざけた返信を送って来やがってくださった(敬語)。


 そんなこんなでなんだかんだありまして。

 私の頭の中は今、五割の睡眠欲と三割の食欲と、一割五分の編集への恨みと、残り五分の新作ラブコメの悩みとで埋め尽くされていた。


「むむむ……」


 こんな時!

 頼りになるのは心の通じ合った友人の存在だと私は思うっ!


「ねえ佳奈子かなこ、私やっぱり思うんだけど、恋愛小説の作者がみんなリア充だなんてただの幻想だよね?」


「わ〜、舞菜香ちゃんから話しかけてくれるなんて珍しいね〜」


 もっとも、心が通じ合っているので最近は言葉を交わす必要すら無くなっていたらしいけど。


「そうだっけ? まあ、それで答えは?」


「えっと〜、そもそもリア充ってなぁに?」


「嘘でしょ!? 現役女子中学生のくせにリア充も分からないの!? これじゃあ私の今までのキャラクター造形に問題があったってことに……」


 ディストピア小説で終末世界を表現するのに小中学生を泣かせるのは鉄板なのに!


 リア充も分からないとなると最近の子は私が思ってるよりもドライで達観しているの? 泣く時にも「うわぁあああん!」じゃなくて「しく、しく、しけれ」って声を上げたりして……って、後者は古文の活用形だった。


「キャラクター? 小説かなにかのお話〜?」


「最初からそう言ってると思うけど……この天然美少女め」


「嬉しいな〜、舞菜香ちゃんが褒めてくれたぁ」


「半分だけね、半分だけ」


 本当にこのゆるふわ天然美少女(隣の席のクラスメイト)は、相手の一切のコミュニケーションスキルを無効化する能力でも持っているんじゃなかろうか……


「それで〜、舞菜香ちゃん、何の話だっけ〜?」


「もういいよ。朝礼前から話しかけて悪かったわね」


「え〜、今度は全身全霊で答えるから、もう一回教えてよ〜っ」


 ふわふわな声でふわふわな体をふわふわと揺らし、その度にふわふわな彼女の髪が左右に揺れる。

 もうこの子のニックネーム……いや、やめよう。知ってる芸能人とモロ被りだ。


「はぁ……まあ、私から話しかけたのに私から中断するっていうのも失礼だよね。さっきのは、恋愛小説を書くのに実体験って必要なのかなーっていう疑問に、ノーって答えて欲しかったなって話」


「ん〜そっかぁ。じゃあノ〜!」


「そうよね、やっぱり実体験なんて必要ないわよね!」


「ノ〜!」


「……佳奈子、今度会話するまでに全身全霊の最大値あげといてね」


「んふふ〜っ、それは善処しておきま〜す」


 顔いっぱいに笑みを浮かべられるもんだから、普段は鋭い私のツッコミも今ばかりは刃こぼれがひどかった。


 だがしかし可愛い……

 天然の天は、天女の天。


「でも、私は舞菜香ちゃんの言葉はぜ〜んぶちゃ〜んと聞いてるよ。さっきの私の返事、英文法で考えて欲しいな〜?」


「英文法? ……あぁ」


 天然の天は、天才の天。

 小学校の頃から学年に一人はこういう人いたなぁ。


「"ノー"が英語である以上、佳奈子の答えは『実体験が必要』を否定してるわけね。日本語と逆なのホント紛らわしい」


「そういうこと〜! へへ〜、舞菜香ちゃんにお勉強で初めて勝った気がするよ〜」


「素直に認める。確かにさっきのは私の初めて・・・の敗北だった」


「えへへ〜、やったぁ!」


「くっ……負け惜しみって、攻めてくれないとこんなに惨めな気持ちになるものなのね」


「??」


 負けること自体は仕方がない。

 誰だって経験するものだ。


 ……でも、自分で追い討ちをかけるのはやめようね。






「それで舞菜香ちゃん、どうしていきなり恋愛小説の話だったの〜?」


「それは、まあ、なんというか……最近恋愛小説を読んでてふと気になって」


 学校での私はどこにでもいる女子中学生Aである。

 だけどそれでも天性の美貌や聡明な頭脳を加味すると、とてもどこにでもいるとは言えないくらいに優秀な私なのだが、つまるところ作家なのはみんなに内緒。


 だって、作家なのがバレたら絶対に文化祭の時とか「お化け屋敷の設定と導入のストーリー考えて! よろしくねー!」とか言われて報酬もなしに労働させられる。

 プロがどれだけ命削って物語作ってると思って……。

 ちなみに徹夜が多いのは自己管理のなってなさ、なんてことを言って来るやつらには、数千の作家陣によるひと月以上の説教が待っているのでそのつもりでね?


「へ〜っ、どんなの読んでるの?」


「ヒミツ」


「え〜、教えてよぉ〜」


 黒のストッキングに包まれた脚をバタバタとさせ、上履きと床が軽快な音を響かせる。

 もう四月だというのに意外と防御力が高めの下半身……と、ゆっさゆっさな上半身はどう見ても不釣り合いなので半分だけでも私にくれませんか神様?


「あ、分かった〜! 実は舞菜香ちゃん、恋愛小説の中で起こるようなことを体験してみたいんでしょ〜っ?」


「違うから。変なこと言いふらしたりしないでよ?」


「しないよ〜そんなこと。ね〜ね〜、誰のことが気になってるの?」


「だから……」


 私の話を聞いているのかいないのか、やっぱり上手く会話が成り立たない。


「あ、分かった〜!」


 と、不意に佳奈子が両手をパチンと打ち鳴らして立ち上がった。

 ……嫌な予感。


「んふふ〜、今日の私は冴えてますなぁ〜」


「え、ちょっと、佳奈子?」


 ふわふわ女子の独特な走り方。

 しかし、それすら可愛く見えるのが天然キャラの最大の長所であり。

 机の隙間を縫っていき、たどり着いた先は、左に一つ、前に二つ進んだ場所。要するに私の二つ前の机であり、席の主は読書中の男子だった。


「ねーねー優馬くん、舞菜香ちゃんが話したいことあるって〜」


「ちょっと佳奈子ぉ!?」


 読者中の男子。

 言い換えればそれは、学校にライトノベルを持って来て朝っぱらから読んでいるような重度のオタク……もとい、業界の根強いファンにして、私が担当編集からなんだかんだ言われている幼馴染の優(馬)くんで……


「親友だと思ってたのに!!」


「うんうん親友だよ〜、末長くよろしくお願い致します」


「あ、それはぜひこちらこそ……じゃなくて!」


「えへへ〜、私と舞菜香ちゃんはズッ友〜」


「ああ……もう、そうだといいわね」


 天然ならもっとこう天然らしく、物事の本質を見抜かない方向で成長してほしかったりするけれど。

 けれど、へへ。


 ズッ友かぁ。

 ……ふふっ。


「ねぇ二人とも呼んだなら俺も会話に混ぜてよ!?」


 と……そんな、名前だけ出てた新キャラの叫び声が私の幸せホルモンいっぱいの脳内に痛く響いた。

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