第10回 ライナ

「では、保留となっていた議案について」


 執政官となったシーナさんがその場を仕切り続ける。


「クロロスル殿が『勝ち取った』魔獣どもの住処、彼に与えてもよろしいですね?」


 同じように即決される。

 クロロスルの頬が緩んだ。

 噂によると、クロロスルはそこに貿易の要となる街を作るつもりらしい。

 領主である彼のもとに、莫大な金が流れることだろう。


「最後に私からの案……カローは、各地域で税率が異なります。その土地を所有するあなた方、貴族の思う通りに農民から搾取できる。故に農民は困窮し、まともに子も増やせず、結果、農地も拓けない。土地の持ち腐れ。……なので、税率を均等化します」


 全員がシーナさんに釘付けとなった。

 次は何を言い出すのか、気が気でなくて肝が冷えているのだ。


「まずは、現在の平均から三割は減らします。どうせ無駄金になるものだ、徴収したって意味がない」


 ふざけるなと怒号が飛び交う。

 味方となったはずのクロロスルですら、眉をひそめた。


「聞いていないぞ」


「だとしても、あなたの計画が成功すれば大金が入ってくる。計算よりは低くなるでしょうが」


「……あまり図に乗るなよ。こっちにはあの小娘がいるのだからな」


「えぇ」


 小娘?

 なんだ、なんだこの嫌な予感。

 誰のことを言っているんだ? シーナさんも知っている存在、まさか……。


 シーナさんが続ける。


「税に関しては、ここで可決されてもすぐには執行されない。まずは法務部と話を詰めますので、ご安心を」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 議会が終わった直後、私はシーナさんを人気のない場所へ連れ出した。


「どうしたアオコ、そんな血相を変えて」


「クロロスルのところにいるんですか? ユーナちゃんは」


「……」


「やっぱりそうなんだ……なんでですか!! 協力させる報酬として、ユーナちゃんを売ったんですか!!」


 シーナさんの瞳に僅かな怒気が宿った。

 怒りたいのはこっちの方だ。

 こんなの、あまりにも酷すぎる。


 おそらく、私が元老院たちを襲っているときに裏で、無理やり。


「売った、とは聞こえが悪いな。奉公に出したのだ。クロロスルの一人娘の、時期婚約者として。……やつはずっと、娘の妻に相応しい血筋を捜していたからな」


「だからって!! クロロスルを従わせるなら、殴ればよかったじゃないですか!!」


「ヤツは腑抜けた元老院とは違う。『力』がある。兵力と財力。こっちが力を行使すれば、力で応戦するほどの。だからユーナを渡した」


 この国の兵士は、国に属してはいない。それぞれの領主が雇うものだ。

 つまり、家によって兵の質にバラつきが生じる。


 理屈はわかる。理解できる。けど、納得できない。

 わからない。意味がわからない。

 ユーナちゃんは大事な妹じゃないのか。トキュウスさんだってそうだ。きっと知っている。知った上で、娘を差し出している。

 理想のためなら何を犠牲にしてもいいのか!!


「安心しろ、向こうにしたら大切な人質であり、娘の婚約者だ。酷い扱いはしないだろう」


「確信できません」


「どのみち、いずれ必ず返してもらう。私の、妹」


「渡すだの返してもらうだの、まるで物扱いですね」


 瞬間、シーナさんが私の頬を叩いた。

 痛い。涙が出るほどに。

 だけど、この程度で臆したりしない。

 間違っているのはシーナさんの方だ。


「こんなことのために、あなたに手を貸したんじゃない!!」


 それだけ言い捨てて、私は走りだした。

 狂ってる。あの人は狂ってる。

 ライナに会いたい。あの子はシーナさんの味方だけど、関係ない。

 この悔しい気持ちを、どうにかしてほしい。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ただいま」


 日が暮れた頃帰宅して、そのまま部屋に入ると、ライナはまだベッドの上にいた。

 上半身だけを起こして、水を飲んでいるようだ。


「おかえり、アオコちゃん」


 ライナが優しく微笑む。

 この子は私の心が読める。きっと、また私の考えを読んでなにがあったのか知るのだろう。

 上等だ。むしろ私も知りたい。ライナが、ユーナちゃんの件をどう思っているのか。

 答えによっては、私は……。


「お疲れさま。大変だったね」


 ライナが腕を広げる。抱擁の合図だ。

 主人に呼ばれた子犬のように、私はライナに引き寄せられた。


「ライナは、シーナさんのすることならなんでも受け入れるの?」


「……」


「苦労してきたのはわかったよ。けどさ、だからって何をしてもいいの? ユーナちゃんは自ら望んだの? 違うでしょ? きっと強要したんだ」


「……」


「ねえ、黙ってないでなんとか言ってよ!!」


「たぶん、私がいろいろ言っても、納得できないと思う」


 そんなの、冷たすぎるよ。


「私だって納得していない。みんなもそう。けど、物事は納得できることばかりじゃない」


 人生とはそんなもんだって?

 達観した人生観を聞きたいんじゃない。


「本当に、ごめんね。こんな世界に召喚しちゃって」


「……せっかく、人に縛られない人生が送れると思ったのに」


「?」


「元の世界で、私はずっと縛られてた。働かない母のために、友達も作らず、青春も送らず、働き続けてきた」


「お父さんは?」


「とっくにいなくなってる。お母さんを捨てたかったけど、でも、私を産んでくれた人だから……そう思ってきたのに、私は、聞いたんだ」


 父が去ったのは、彼が浮気をしたからだと母に教えられた。

 子供ながらに最低だと思った。同じ血が流れていることが恥ずかしくなるくらいに。

 けど、親戚に会ったとき、告げられたのだ。


 浮気をしたのは母の方だったこと。

 父は離婚の際、親権を欲していたが、叶わなかったこと。

 私を想って送っていた養育費は、すべて母のギャンブル代に消えていたこと。


 私の世界が、壊れた瞬間だった。


「騙したり、恨んだり、企んだり、悲しませたり、そんなのはもうまっぴら!! 私はただ、静かに暮らしたいだけなのに、元老院さんを襲ったのだって、そのために……」


 これ以上負の感情を吐露させないように、ライナの唇が私の口を塞いだ。


「ラ……イナ……」


「楽しい話をしよう。なにも解決しなくても、一時の現実逃避でもいい。ほんの少しでも気持ちが楽になるように」


 ライナが気を使ってくれている。

 こんなに優しくされたのは、人生ではじめてだ。

 実際、彼女の言う通りだ。

 ここで愚痴をこぼしたり、慰めの言葉を貰ったって、事態は進まない。


 仮に力で私がユーナちゃんを取り戻しても、それはそれで、もっと悪い状況になる気がする。

 それに、ライナだって辛いはずなのだ。ユーナちゃんは、ライナにとっても可愛い妹なのだから。

 私が抱えている以上のやるせなさを感じているに決まっている。


「姉上様を信じよう。絶対ユーナは、またこの家に戻ってくる」


「うん、ごめん。……ありがとう」


「私こそごめん。私は、なにもできないから」


「そんなことないよ。ライナ、大好き」


「嬉しい」


 もうなにもわからない。

 いまはただ、ライナに甘えていたい。


「もう少し、こうしていていい?」


「うん」


 温かい。

 まぶたが重くなってきた。

 意識が落ち始めた頃、ライナは静かに、呟いた。


「これからも、どうか姉上様をお願いします。カローの平和のために。私の代わりに」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ハッと目を覚ます。

 どうやら朝まで眠っていたようだ。

 ライナの指摘通り、疲労が溜まっていたのだろう。


「おはよう、ライナ」


 ライナはまだ眠っていた。

 私より遅起きなんて珍しい。


「起きてライナ」


 肌の色が悪い。


「ねえ、ライナ」


 ピクリとも反応してくれない。


「……ライナ?」


 この日、私は、人生ではじめての友達を、失った。

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