入苑8

 しかしもっと前もって削除できなかったのか? というか、検閲はどうなっているんだ。資料数は多いだろうが、処理できないレベルではないだろう……いや、消す気がなかったのか? 閲覧されても問題なかったものが、そうでなくなったと……それはつまり……




「レイン様」




 ノックする音と共にベルナールの声が聞こえ、俺は立ち上がって扉を開いた。




「はい。なんでしょうか」


「今後お願いするお仕事につきましてご説明がございますので、応接室までご案内いたします」


「あ、はい」


「それではお部屋の前でお待ちしておりますので、ご準備お願いいたします」


「はい……」




 わざわざ応接室で話をするなんて大仰だな。ホログラムでも使って説明するのか?




 諸々の疑念を片隅に追いやって準備をする。といっても髪を整え、小物をポケットに突っ込む程度であるからすぐに終わった。扉を開けるとベルナールからの一瞥一礼を受け、応接室に進んでいく。




 それにしても広いものだ。こんな場所に住んでいても持て余すだろうに。金持ちや貴族というのは大から小まで権威性を持たせないと気が済まないのか。




 無限に続くのではないかという屋敷内の移動でやっかみのような感情を抱く。これが羨望であるのは俺自身理解しているのだが、それでもどこか抵抗したい心があって、「仮に自分が金を腐る程持ってもこういった成金主義のような真似は絶対にしないぞ」と決めていた。貴族の豪華絢爛な屋敷は単なるステータスではなく防衛や社交場としての意味もある。権力の分だけ膨れ上がっていくのも承知のうえでの反金満主義であった。

 しかしどうしてそんな風に物質的な豊かさを毛嫌いするのか、考えてみれば謎ではないか。例えば宗教、儒教、道徳に厚い聖人であれば清貧を善しとして贅を捨てる生活に意味と意義を掲げてもおかしくはない。しかし俺はそうではないのだ。ただの一般的な、そうした素養も教養もない小人である。金と金に付随する物質に対する異常なアレルギー反応を持ちだしたのはいつ頃か。「金じゃない」という精神性を尊び遵守しようとする方向に自分が向いている大きな要因が分からない(社会的な風潮や価値観に影響されたのもあるだろうが)。士農工商時代の血が未だ色濃く根付いているとしたら、大した奴隷根性である。




 まぁ、金を貰えるのであれば貰って、気楽に暮らしたい気持ちもない事もないが。




 世界を救いたいという一方、そうした逃避的な願望を持つ自身の矛盾はもうずっとあって、俺以外の人間もそうした綻びがあるように思う。その綻びが解けた時、人間は幸福になれるのかもしれない。もしかしたら、もっと不幸に陥るのかもしれないが……


 ……幸福がどうこうという話はコアの常套句だ。この辺りで控えようと思う。俺は金持ちについて考えながら廊下を歩いていただけなのだ。




「失礼いたします。レイン様をお連れいたしました」




 応接室の前に到着し、ベルナールによって扉が開かれると、部屋には人がソファに腰掛ける事もなく立っていた。讃美歌卿ではない。顔の知らない男である。




 誰だ? 四十は超えていそうだが……




 痩躯ななりにしっかり仕立てられたスーツを着こなす初老の男は異様な雰囲気を放っていた。不気味なわけでも威圧的なわけでもない。ただ、そこにいるだけで何か空気が淀むような、そんな印象を受けたのである。




「ウィンフリー様。こちらがロジャーズ・レイン様です」




 ウィンフリーと呼ばれた男は改めて俺を見てから、不慣れそうな笑顔を作った。




「初めましてレイン君。私はパトリック・ウィンフリー。サーバ関係の小さな企業で代表をしているんだ。よろしく」


「……あ」




 サーバ関係。

 その一言で全て予想がついた。この男は、例のサーバ会社の取締役なのだ。




「……恐れ入ります。ロジャーズ・レインです」


「ルブランさんから聞いているよ。優秀だそうじゃないか」




 俺は「あはは」と作り笑いを浮かべた。誰も彼も口を開けば俺を「優秀」と評する。まったくそんな大層なものではないのだから、罪悪感と気まずさで胸がいっぱいになる。




「それでは早速本題に入ろう……今回、ルブランさんから君を仕事で使っていいと聞いているが、大丈夫かな」


「はい。それはもう、好きに使っていただけると」


「それは頼もしい、では、資料を見せながら説明しよう」




 ……紙か。




 ウィンフリーから渡されたのは数枚綴り資料であった。機密保持のため、データではなくあえて物理媒体を利用するというのは珍しい話ではない。




「今回はうちが使っているメインサーバのメンテナンスと、場合によってはアップデートのためのプログラム検証を行ってもらいたい。働きによっては基幹システムの再設計などもお願いしたいところだが、大丈夫かな」


「あ、はい。ありがとうございます。大丈夫です」


「結構。それでは資料を見ながら順に説明しよう。まずは最初の……」




 今回はそのままサーバを使わせてくれるのか……しかし、名目上完全秘匿になっているデータの中身を見られるというのは……




 俺は不謹慎にも、少しだけ面白そうだと思ってしまった。


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