第10話



 香澄のあとは父が風呂に入り、そのあとに理久が続いた。


 風呂から上がったあと、父に「彩花ちゃんにお風呂どうぞって言ってあげて」と言われたので、理久はほかほかのまま階段を上る。


 そして今、彩花の部屋の前に立っていた。


 不愛想な扉の奥は、少し前まで物置くらいにしか使われていなかった部屋。


 ほとんど開けることのなかったこの部屋に、今はあの子が過ごしている。


 そう考えると、同じ扉なのに全く違うもののように感じられた。



「んっ……んんっ」



 咳払いをしながら喉を調整し、間違っても声が裏返らないように注意する。


 深呼吸をしてから気合を入れて、ノックしようとして――、やめる、を三回ほど繰り返し。


 ようやく、彼女の部屋の扉をノックする。



「……っ。あ、は、はい」



 驚いたような声が、扉の向こうから聞こえた。


 あくまで事務的な報告ですよ、とわかるよう言葉短く伝える。



「お風呂空いたので、どうぞ」



 何とか声が裏返らないよう、そう報告できた。


 しかし、彼女からの返事がない。


 もしかして聞こえなかった? と不安になっていると、かちゃり、と鍵が開く音がした。



「ありがとうございます……。お風呂、頂きます」



 彼女はわざわざ扉を開けて――、とはいえ、隙間からではあったのだが――、目を見てお礼を言ってくれた。


 隙間からでもよくわかる、彼女の綺麗な顔立ち。


 大きな瞳も、控えめな唇も、細い腕も。


 つい視線が吸い寄せられそうになってしまう。



 なぜか彼女は白いワンピースの上からお腹を押さえていたが、じろじろと見るわけにはいかない。


 彼女の義理堅さに心が緩みそうになるが、あくまでこれは事務報告。


 余計なことは言うべきではない。


 理久は「それでは……」と告げて、自分の部屋に逃げ帰った。



「……。それでは、は変だな……?」



 簡単な短い言葉ですら、チョイスをこうも間違えてしまう。 


 己の赤くなった頬を抑えながら、羞恥に悶え苦しんだ。


 自分の部屋の向かいに、美しい髪の少女がいることも。


 これからいっしょに生活していくことも。


 現実感のない夢か何かのようで、空回りし続けてしまう。



「いや、よくないんだよな……。こういうの……」



 理久が舞い上がっていたら、それだけ彩花は不安になってしまう。


 それは理久の望むことではない。。


 彼女を前にしても、もっとまともな対応ができるようにならないと。



「……ん」



 カチャリ……、とドアがそーっと開く音がする。


 向かいの部屋から彼女が出てきたのだろう。


 すぐに風呂へ向かったらしい。



「………………」



 さっきまで自分が入っていた風呂に、次は彼女が入る。


 ずっと使っている家風呂を、他人が使用するのは変な感じがする。


 しかも、あの子が入るだなんて。


 当然、風呂に入るのだから素っ裸だ。


 あの白いワンピースの奥にある身体は、きっと見えている肌と同じく、おそろしく綺麗で――。



「バカタレがっ!」



 己の頬を勢いよく叩く。


 じんじんとひどく痛むけれど、おかげで下品な妄想はかき消えていった。


 そういう下衆な想像をするから、香澄が心配になるのだ。


 女子の裸を想像するなんて、しかもそれが彩花のものだなんて。


 一日でも早く無害と思われたいのに、己から有害性を出してどうするのか。


 昔、部活の顧問に言われた「心頭滅却」という言葉を呟き、理久は痛む頬を押さえた。

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