第五話 フードの君 ――中編――

 外へと続く廊下を息を荒く乱しながら足早に駆けるエレナ。 扉に手をかけると、間隙からかすかに甘い香りを含んだ風が鼻腔を優しくくすぐる。


 エレナが勢いよく扉を開けると、一瞬にして視界が白く霞む。 数瞬の後、一面を七色に染めた花々や光の粒が、少女の来訪に気づくと揺れ動き、甘くかぐわしい香りを含んだ風がエレナのフードを脱がせた。 エレナは脱げたフードをそのままに、全身で浴びるように、眼前へと走り込む。


 景色の中に入り込むほどに、自然特有のむっとする青臭さと、陽だまりのような暖かな甘い香りが、エレナの目頭を熱くさせた。


 エレナにとって、自身を偽らずにさらけ出せる場所なのだろう。 


 目に溜まっていく涙が流れるかの瀬戸際で、一つの光の粒が風と共に彼女の頬をかすめる。 いつの間にか涙は花が咲く土へと流れつたっていった。


 エレナはそのことに気づくと手のひらに光の粒を乗せ、「ありがとう」と、優しく言葉をかける。 その言葉に答えるように光の粒は大きな八の字を描いた。 少しの間その光景に笑みをうかべていたが、少し経つとエレナの顔が悲しげに曇る。 光の粒が、顔を覗き込むと、大きな涙の粒が驟雨のように流れていた。 そんな顔を見られたくないのか、エレナは膝を折り曲げ、その場で深く座り込む。 彼女の周りを、光の粒達は困惑しながらも慰めようと取り囲むも細身の体は小刻みに震え、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。


「私ってやっぱり気味が悪いのかな」


 エレナは、胸元に隠したペンダントを取り出し見つめる。


「お母さん、お父さん、なんで私って気持ち悪い子なの? だから捨てたの?」


 エレナは昔、世界樹の根の森で草の葉で編まれたゆりかごの中泣いてるところを教会の者に拾われ育てられていた。 唯一ゆりかごの中に置かれていたペンダントを、エレナは今でも形見のように大事につけているのだった。 ペンダントからはもちろん返答はない。 葉形を模し鈍く照り返す緑の光沢、裏返すとそこには見たこともない5つの文字が刻まれていた。 エレナはその言葉の意味を知らないが、いつもそこを撫でると気持ちが落ち着くのだった。 だが、今日は撫でることなくその文字を歪む視界の中、答えを探すように眉をひそめ見つめる。


 それを見かねたように光の粒たちが一斉に彼女の脇や背中、首とあらゆる場所をくすぐっていく。 彼女は次第に体のこそばゆさに耐えきれずくねるように笑いが溢れてくる。


「やめて、やめてってば。 ほんとに、だめだから」


 賢明に止めようとするも、涙混じりの笑いに説得力がない。 光の粒達の動きはより激しさを増し、彼女は地面をのたうち回ったと思うと、急に体を丸める。


「もう、いい加減にして!」


 周囲に響くその声に、光の粒たちも少し下を向くように元の場所へと戻っていく。 だが数分後に小さく笑い出し、「でも、きっと励まそうとしてくれたんだよね。 ありがとうね精霊さん」と今度は自身の手で目を拭うと、先程騎士から頼まれた用を思い出し精霊達にその事を伝えた。


 そうこうしていると、後ろから小さな足音が聞こえてくる。 エレナは未だその音に気づかず元気のない花たちのために精霊と話をしている。


 すると精霊の一人が後ろに誰かいることをエレナに伝えたのか、突然「うえっ!?」と頭の先を突き抜けるような素っ頓狂な声を出し、その後、恐る恐る後ろを伺うように振り返った。


 するとそこにはきれいな碧眼をした少年、ラグナが立っていた。


(きれいな目……)


 数瞬惚けていると、エレナは我に返ったようにすぐさま自分の顔ごとフードで深く覆い被せた。 困惑するラグナに「すいません」と何度もつぶやくエレナ。


 エレナは自分の目や耳のせいで目の前の少年にまでまた気味悪がられてしまうと思い、怯えて座り込んでしまったのだった。

 すると、後ろから優しく声をかけようとラグナが近づいてくる。


「だい」

「すいません! あっ」


 エレナは近づく声から逃げるようにラグナの脇をすり抜け走り出そうすると、足元の段差に躓いてしまった。 その拍子にフードもズレてしまい、ラグナの目に長耳がしっかりと映る。  エレナはその状況にいたたまれなくなり、すぐこの場から立ち去ろうとするも、コケ方があまり良くなかったのか、足を捻ってしまったようで立ち上がれずにいた。 


 すると、ラグナがエレナの元へと駆け足で近づいてくる。 だがその足音がエレナの小さな体をより震わせていった。


(この子にもまた気味悪がられる。 嫌だ、嫌われたくない。 嫌、嫌)


 エレナは体を丸め手で耳を隠し震えている。目には涙をためながら、かすかに声にならない声を出していた。


「大丈夫?」


 だが、思っていた言葉とは違う落ち着いた優しい声がエレナを呼びかける。 そのことに驚き、涙でクシャクシャになった顔をラグナへと向ける。


 そこには、太陽のように包み込む優しい笑顔をした少年が小さな手を差し出していた。


 それは、エレナにとって初めて邪な感情なく一直線に暖かな手を差し伸べてくれた初めての人だった。


 エレナは、目に涙を浮かべながらも、差し伸べられた手へすがるように掴み、近くの段差へと肩を借り座る。 すると、ラグナはエレナの前に膝を付くと、見様見真似でやってみせた。


「この魔法、さっき先生に教えてもらったばかりでうまくできるかわからないけど。 じっとしててね」


 ラグナは慣れない魔法に少し汗をかきながら、足首へと手をかざし続ける。 すると、手のひらから小さな白い光がうまれる。


 エレナは自分のために必死になってくれるラグナを、不思議そうに見つめる。


「できた! よかった〜。 実はこの魔法、先生に急用ができて途中までしか教えてもらえてなかったから。 不安だったんだよね」


「なんで」


 頬をかきながら下を向くラグナ。 エレナは自分にここまでしてくれるラグナのことが分からず、その気持ちが無意識に口をついて出てしまう。 するとラグナは顔を上げ笑顔で迷いなく言葉にした。


「君と友だちになりたかったから」

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