聞える…
延長戦開始直後、鈴音の竹刀が唸る。卓越した長身と上段のリーチを活かした長射程の一撃。並の剣士なら成すすべなく防御に回るしかないのだろうが、穂波は、まるで手を読んでいたかのように同じ間合いから鈴音のメン目掛けて飛び込んだ。
否、決して手を読んでいたわけではない。鈴音と同じく「開始直後に跳ぶ」と心に決めていただけのことだ。
竹刀と竹刀が交差し、互いの軌跡を逸らし合う。
(圧倒的に上段が有利の場面で……これが部長だよ、まったく)
清々しさすら覚える中で、鈴音の手詰まりさは嵩んでいく。それを裏付けるかのように、片手打ちの代償でもある打撃後の隙を逃さず、穂波の容赦ない連撃が襲う。
鈴音が〝一〟を仕掛ける間に、穂波は〝二〟も〝三〟も技を重ねる。それがふたりの決定的な戦力差だ。鈴音もそれを受け入れたうえで、手数の差を埋めるために上段へと切り替えた。上段の破壊力を頼みの綱とするつもりだったが――
(現実は、技の威力すらほとんど変わらない。化け物だよ)
決して揶揄したわけではない。化け物――それは全国レベルの剣士を表す適格な言葉だ。かと言って、その差に諦めを抱くくらいなら、こうして延長戦まで耐えるようなことはしない。
鈴音は攻めた。先ほどまでの慎重な試合運びが嘘のように、とにかく前へ出ることに集中した。苦しい時こそ一歩前へ。その教えも胸の内に残っているが、機を待つばかりでは悪戯に体力を消耗するばかりだと、最初の四分間で十分に理解した。
意識さえすれば縮地を防げるということが分かったのも大きい。ひとたび気を許せば即死コンボを叩き込まれる中で、攻撃を完璧にガードしながらじわじわ攻める格ゲーのような緊張感。願わくは、剣道の試合が体力ゲージ制なら良かったが。そう言う意味では、ステージから落ちたら負けなパーティーアクションゲームの方が、イメージが近いのかもしれない。
穂波の方も、鈴音の心中を察しているかのように、果敢に縮地で攻め立てる。もとよりタイミングが全てで、体力を使うからあまり放てないとか、そういう類の技ではない。防がれるなら防がれるで、鈴音が音を上げるまで打ち続ける。実に分かりやすい、真っ向勝負を好む穂波らしい攻め手だった。これまで、ひたすら剣道の稽古に身を捧げてきた十数年だ。もちろん小手先の技術だって優れている。だけど、真っ向から仕掛けて一本取って勝った方が気持ちがいい。
どんな剣士であっても、自分のスタイルを確立させるきっかけは「どうやって勝ったら気持ちが良いか」に集約されるものである。〝縮地カッコカリ〟と呼ばれる技も、そのさ中に身につけたものである。
高二の夏。穂波は軽いスランプに陥っていた。スランプと言っても、鈴音みたいに何をやっても勝てないとか、そういうのではなく伸び盛りに対する停滞期と言って良いようなものだ。原因にはいくつか心当たりがあった。
ひとつは、慕っていた先輩が卒業したことによる精神的な低迷期であったこと。
もうひとつは、身体の方が全く成長しなかったことだ。
前者は、まあ時間が解決してくれた。穂波は、竜胆同様に遠方から単身寮住まいで、あこや南高校へ通っている。慣れない土地と、知り合いなんて一人もいない学校。そんな中で、一年の時に良くしてくれた三年生の先輩が卒業してしまったというのは、思ったよりも穂波の平常心にダメージを与えていた。だが、そんな一年間があったからこそ、二年に上がったころにはクラスや部活の内外で、それなりに深い交友関係を結ぶことができていた。彼女たちのおかげもあり、一個上の先輩が卒業して代替わり――部長として自分が部の看板を背負うことを自覚したころには――すっかり立ち直ることができたのだ。
もうひとつの方は、穂波にとっても大きな誤算だった。身体が小さいのは今に始まったわけではないが、だからこそ、なんとなく「自分は成長期が他の人より遅いのだ」と自分に言い聞かせて生きてきた。その実、男子のように高校に入ってから急成長する女子というのも、全く居ないわけではない。しかし現実は非情なもので、穂波は高校三年間で身長がミリ単位ですら全く変わらなかった。このことを受け入れるまでには、「いっぱいおがるように、ご飯はたんと食べて来たのに」なんて落ち込んでいたこともある。沢山食べることも決して無駄ではなく、彼女の小さいながらも芯の通った強靭な身体の礎になっているが、年頃の女の子としても気にしてしまうのは仕方がない。
どれだけ気を落とそうとも、稽古だけは地道に毎日続けていた。あるもので戦ってきたのは、これまでだって同じことだ。持たざるものは、努力でカバーするしかない。たゆまぬ努力が花開いたのは、高校二年の夏合宿の時であった。合宿のしめくくりとして試合形式の稽古をしていた際、対戦相手だった安孫子蓮が、試合後に興奮した様子で穂波に駆け寄った。
「なんかさっき消えなかった!?」
「はい?」
蓮の言い方も悪かったが、穂波は彼女が何を言っているのかミリほども理解できなかった。ただ、その日を境に穂波と試合や地稽古をした人達から、同様のコメントを貰うようになった。やれ、突然目の前から消えただの。いつの間にか打たれていただの。時を止める能力者だの。
当然、穂波にとっては何ひとつピンとくるものはない。何せ彼女は、当たり前のように構えて、当たり前に打っているだけなのだ。しかし、ほとんど怪現象じみたその技は、いつしか仲間たちから〝縮地カッコカリ〟と名づけられて必殺技のように神格化されていた。
もちろん穂波だって、本当にそんな現象が起こりうるなら、是が非でも自在に操れるようになりたい。だから顧問の鑓水にどういうことか客観的な意見を求めたりもしたが、流石の彼女も事実関係や原理をつまびらかに説明するのは難しい様子だった。
鑓水が指摘したのはふたつ。ひとつは、無駄がなく精錬された穂波の打突姿勢。もうひとつは、穂波が対戦相手の集中の切れ間を狙うのが上手い――端的に言えば〝虚を突くのが上手い〟ということ。見立ては黒江のそれと大差はないが、黒江は虚を突くことをより具体的に〝呼吸を盗む〟と表現した。それがどういうことなのか、穂波は再び首をかしげることになってしまったものの、〝呼吸を盗む〟という概念を頭の片隅に取り入れるようになってから、縮地を放つための〝直感〟を覚える機会がより明確になったのも確かだ。
穂波に見えているもの。彼女が感じているものを言葉で説明するのは難しい。相手の表情や、まさしく呼吸、立ち姿、竹刀の動き、エトセトラ。そういった目の前に広がる情報をトータルで判断して「相手が気を抜いた瞬間が分かる」というのが、穂波が持つ非常識性だ。
しかし、穂波自身はまだその力をコントロールしきれていない。だからこそ〝直感〟という曖昧な言葉で自分自身を納得させていた。曖昧なものであっても、使えるものはすべて使う。その先に全国への道が拓かれるのであれば、躊躇するような時間も余裕も穂波にはなかった。
(強い相手と戦う時に〝直感〟が発動しないことは良くありましたが、発動したのに防がれるというのは須和さん、そして秋保さんが始めてのことです)
必殺の技を防がれても、穂波の心中は穏やかなままだ。むしろ、ふつふつと闘志が燃え上がって来たと言っても過言ではない。
(今、そのことを知れて良かった。磨くべきところがある技なのだと。上と戦うために必要な技なのだと)
ふたりの全国経験者に防がれたからこそ、〝縮地カッコカリ〟を用いて鈴音を倒す。それこそが穂波の思う、成長の第一ステージだった。
一方、縮地にさらされ続ける鈴音は、次第に後手に追いやられていた。縮地が呼吸を盗む技だとしたら、先にも増して使用回数が増えてきた理由も単純だ。
息があがっている。生物学的に、こればかりはどうしようもない。
(せめて、呼吸が見えるってのがどういうことかさえ分かれば、考えも巡らせられるんだろうけど。黒江って歯に衣着せない言い方のわりに、そういうところふわっとしてるよね)
愚痴ったところで戦況をひっくり返せるわけでもないが、軽口のひとつでも叩いていないと、あっという間に心を折られてしまいそうだった。苦し紛れという言葉そのもの。
試合中、何度目か分からない縮地を懐の奥深くで受け止める。少しずつだが反応が遅れていっている。このままでは、いずれ必ず餌食になる。そうならないようにするためには、鈴音から仕掛けることこそが最適解だが、今になってもまだ穂波を打ち崩す手立てが見つからない。小さくも大きな壁を越えるためには、何を――
(呼吸……見えないけど、聞こえはするんだけどな)
先ほどから、自分の呼吸音が面の中で響いていた。
ぜーはー、ぜーはー。
半開きの唇を渇いた呼気がかすめる音。
きゅっと締め付けられた喉元を押しのけるように肺を目指す音。
高鳴る心音。
肺が膨らみ、しぼむ。
試合中は普段聞こえないような音がうるさいくらいに響くのは、昔からのことだ。極限まで集中すると、あらゆる雑音が鈴音の鼓膜から脳を震わせる。
(呼吸……ほら、聞えるのに。すーはーすーはー……あ、違う。これは竹刀の音)
異音が混ざって鈴音は咄嗟に身構える。数瞬遅れて、彼女の竹刀が穂波の竹刀を受け止める。直後にきゅっと、床がきしむような音。
(あ、下がる)
穂波が間合いを切って引きコテを放つ。あれ、思った通りだ――と、鈴音はコテを防いでから、すぐさま追い込むように相手のメンを狙う。流れるような追撃に、穂波ははっとして、慌てて身を守る。
(今のは危なかった。良い反応です)
穂波の目からは、鈴音が超反応を見せたかのように映っていた。事実として、ほとんど反射的な動きではある。
(踏み込む……防いで体当たり)
脳裏に浮かぶイメージに身体が反応する。反応しなければ、やられてしまう。
イメージを追いかけるように、穂波が跳び込む。縮地だった。既に防御姿勢に入っていた鈴音は軽々と防いでから、突っ込んでくる穂波を正面から受け止めずに、余力で軽く受け流す。
(今……完全に読まれていた?)
妙な違和感が穂波の胸中でうずいた。今までと違って、鈴音の動きに余裕があった。はじめから縮地が来ると分かっていて、最低限の力で受け流したような余裕が。
そのことに鈴音自身はまだ気づいていない。ただ酸欠で朦朧とする意識の中で、穂波が発する音だけが鮮明に響いているような気がした。
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