光と闇が合わさって……最強?
* * *
カップラーメンができあがるくらいの時間が経って、ようやく息が整ってきた。
疲れた。
勝利の余韻よりも、ただただ自分の体力の限界に打ちひしがれる結果となった。体力には自信がある方だったんだけどな……中学より一分も増えた試合時間と、そのペース配分に、まだ身体が慣れ切っていないってことだろう。
「兎にも角にもベストフォーだね! すっごいすっごい!」
元気のない私の代わりみたいに、竜胆ちゃんが興奮気味に労ってくれた。
「そんでもって、次の対戦相手が――」
竜胆ちゃんの視線の先に、面紐をきつく結ぶ部長の姿があった。こちらのコートでは、引き続き女子個人戦ベストエイトの二戦目が行われる。対戦カードは八乙女部長と、左沢産業の押野さん。団体戦では次鋒に甘んじていたが、県個人戦一位を取ったこともある実力者だ。
ただ、なぜだろう。身内びいきとか、押野さんを侮っているとかじゃなく、なんというか……部長が敗ける気がしない。少なくとも県下では無敵なんじゃないかっていうくらいの厚い信頼がある。鑓水先生と試合前の打ち合わせをする姿は、大人と小中学生くらいの体格差があるのに、まっすぐ伸びたその背はかくも大きい。
それは、この後に戦うことになるであろう私自身にも返って来るんだけど。
「――おい」
「はいっ!?」
不意に、背中越しにドスの利いた声が響く。背中に雪でも押し付けられた気分の私は、飛び上がって振り返った。
「あ……えっと、船越さん」
額に前髪が張り付くくらい汗だくで、一瞬誰か分からなかったが、ぎらついた瞳が記憶の中の彼女の姿と合致した。
「えあ……あの……試合、ありがとうございました」
たった今、勝ったばかりの相手に何と声をかけたら良いか分からず、当たり障りのない挨拶を口にする。船越さんは「おう」と短く頷くと、私のことを頭のてっぺんから足の先までまじまじと見渡す。
「ええと、何か?」
「まだ一年だろ。よくおがったなと思って」
「おが――」
何かよく分からないけど頬が熱くなった。「おがる」は私の地元でも使われる方言で、「おっきくなったなぁ」的な意味だ。何年かぶりに出会った親戚のおじさんとかおばさんがよく使う。
「最後のアレはなんだ?」
「……最後の?」
何のことかわからず、私は首をかしげる。
「え、ええと……決まり手は面抜き面だと思いますけど」
「ちげぇよ。あの、動いたように見せかけるやつだ」
「ええ?」
何の話をしているのか分からない。私は戸惑いながら、助けを求めるように黒江を振り返る。
「ねえ、どういうこと?」
黒江は俯きがちになって考えて、一度天井を見上げてから、ふいと視線を逸らした。
「分かりません」
「それ、絶対何か分かってる反応だよね」
詰め寄ると、彼女は怪訝に眉をひそめる。
「言ったところで次の試合に活かすのは無理だから」
「無理て」
「中途半端なコンディションで部長と戦うつもりなら言うけど」
うぐ……そう言われると何も言い返せない。私が押し黙ったのを見て、黒江は小さなため息をつく。
「少なくとも、鈴音がもともと身につけていたものだよ。何て言ったっけ……アンチカウンター剣道」
「え……ああ、黒江にしか効かないヤツ」
一さんにも効いたので、今はもう〝黒江にしか〟ではないけれど。
「あれは言葉通り、カウンター剣道以外には効果ないはずだけど」
「それは違う」
黒江が静かに、だけど食い気味に否定する。
「本質が違う」
本質……って、なんだ?
全くもって、話の行方が見えない。てか、そんな意味深なこと言われたら、逆に気になって次の試合に集中できなさそうなんだけど。
「えーっと、要するに……最後のはアンチカウンター剣道の放ったカウンター剣道ってこと? 光と闇が合わさって最強に見える的な?」
竜胆ちゃんが話をまとめてくれたけど、余計に訳が分からない。カウンター剣道と相いれないからアンチなんじゃないの?
私の頭がまだ固いだけ……?
あと、その例えの場合〝闇〟ってどっちのこと言ってる?
「おい」
再びのドスの利いた声。そう言えば、船越さんのことすっかり忘れてた……ごめんなさい。彼女は、バツが悪そうに表情をしかめて、頭をボリボリと掻いた。
「大会中じゃ手の内はバラさねぇか」
「いや、そういうわけではなく」
「まあいい、手っ取り早く確認したかっただけだ。次も勝てよ」
「あ……りがとうございます」
船越さんは、私の胸のあたりをゲンコツで軽く叩いて去って行った。竜胆ちゃんが、感心したように唸る。
「なんか、潔い人だったね。三年なのにあんな人もいるんだ」
「そうだね」
離れていく背中に、何か声をかけるべきかとも思ったけど言葉を飲み込む。気の利いた台詞なんて思いつかなかったし、勝った側は黙って見送るのもまた礼儀だと思った。
――パチパチパチ。
辺りで拍手がおこって、私はハッとする。コートに視線を向けると、今まさに八乙女部長の試合が始まろうとしているところだった。ワイルドカード扱いだろう私と船越さんとの試合と違って、こっちは正真正銘の県内の有力者同士の戦いだ。観客の視線も熱を感じる。
「それで、黒江……私の次の試合の見込みは?」
視線はコートに向けたまま、私は黒江に訊ねた。
「押野さん相手ならニッパチ」
「どっちが二割かは推して知るべしだね……じゃあ、部長だったら?」
黒江はひと呼吸おいてから、澄んだ声色で答える。
「絶望」
「はは、だろうね」
あまりにハッキリ言われたせいか怒る気にもならず、それどころかニヘラと笑みがこぼれた。これまで部長とは何度も剣を交えたが、一度でも勝つどころか、一本を返せた試しもない。勝つビジョンがまったく思いつかない。それだけの力の差があることは、私も十分に理解している。
何より彼女の代名詞たる〝縮地カッコカリ〟の攻略方法が、何ひとつ思いつかない。
「黒江さ、リーグ戦の時に部長から一本取ってたよね。しかも、縮地をカウンターしてさ。あれ、どうやったの?」
「どうって……勘?」
「は?」
「前にも言ったと思うけど……部長のアレは、並外れた体幹と、呼吸を盗む特異な才能によるもの。呼吸を盗まれれば、私でも対処することは不可能」
「そう、なんだ」
その説明は受けたけど、ぶっちゃけいまいち理解できてない。体幹はまだいいとしても、呼吸を盗むってなんだ。
「だから、呼吸を盗まれそうなタイミングで決め打ちした。鈴音が言うギャンブル剣道?」
「じゃあ、縮地に合わせて後ろに飛んで見せたのは?」
「部長は一気に懐に飛び込んでくるから、後手に回ると技を返す間合いがない。だから、後ろに飛んで剣を振り抜けるスペースを作った」
「あぁ、そう」
ダメだ、言ってることは分かるけど、それを涼しい顔でやってのけるのが理解できない。この天才型め。
「つまり、黒江だから対処できたってことだよね。私じゃ成すすべなし……か」
「そうでもない。呼吸も要するにリズムだから。鈴音ならリズムを崩せるでしょう?」
「えぇ、アンチカウンター剣道? カウンター剣道以外に使っても意味ないと思うんだけど」
「だから、本質が違う」
「その本質ってのを教えてってば」
「今はマイナスにしかならないからイヤ」
イヤって……当事者は私なんですけど?
「とにかく縮地を抑えたいなら、さっきの三本目と同じことをすればいい」
「また光と闇を合わせるのか」
光がカウンター剣道で、闇がアンチカウンター剣道(たぶん)。そもそもあの三本目自体、体力の限界で生じた偶然みたいなもんだ。意図してできるか自信はないけれど。
「持ってる武器で戦うしかないんだよねぇ」
もう半時もしないうちに戦わなきゃいけないんだ。新しいことを覚えようったって無理がある。黒江が頑なに〝本質〟とやらを教えてくれないのも、きっとそういうことなんだろう。
私としては、教えて貰ったうえでどうするか決めたいものだけど、頑固な彼女に何を言っても無駄だろう。ここは、師匠のお命じを遵守しますか。
「――勝負あり!」
そんな話をしている間に、コート上では試合の勝敗が決していた。スコアは二対〇。健闘したものの結果的に手も足も出ず、歯痒そうな押野さんの表情が、ここからでも容易に想像できた。
対する部長は、こともなげに胸を張って、コートに感謝の一礼をする。
「決まったね」
誰に宛てるでもなく、強いて言えば自分自身に言い聞かせるように呟く。トーナメント表が張り出された時点で避けられない戦いだった。同時に、今の私が全国レベルの剣士と渡り合えるかどうかの直接的な試金石ともなるだろう。
――個人戦ベストフォー:準決勝第一試合。
赤、あこや南高校、秋保鈴音。一年。
白、あこや南高校、八乙女穂波。三年。
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