行きつく先

 それからしばらく、クッキーと一緒に黒江が淹れてくれたお茶を楽しんだ……のかな?

 正直、味なんてほとんどわからなかった。すごく勿体ないことだと思うけど。

 おそらく防音完備されているであろう、外の雑音の聞こえない部屋で、ふたり無言でサクサク、ごくごく。き……きまずい!

 友達の家に遊びに行った時って、何してたっけ。小学校のころだったら人生ゲームしたりなんだり、ほんとに「遊ぶ」って感じだったと思うけど。あやめとばっかり一緒にいたときは、宿題したり、ダラダラ雑誌を眺めたり、学校の昼休みとあんまり変わらい時間を過ごしていた。

 じゃあ、高校生の私はというと……ダメだ、中学三年間を剣道漬けで過ごして来た私の頭の中に、年頃の女の子の「遊ぶ」という概念がない。たぶん、黒江も。

 とにもかくにも気まずすぎるので、何か話題を探そう。でもせっかくのオフに剣道の話っていうのも忍びない。

「黒江って、休みの日は何してるの?」

「勉強してる」

「ああ……私もそろそろ宿題やんなきゃ。流石進学校だね。ゴールデンウィークの課題も量がエグい」

「課題もそうだけど受験勉強」

「じゅけ……え、今から、もう?」

 だってこの間、終わったばっかじゃん。つい二か月前だよ。

「黒江、もしかして、いい大学目指してる?」

「大学にこだわりはないけど、医学部目指してるから」

「わっ、お医者さんだ」

「まだ違うけど」

 私なんて、今年一年は受験の「じゅ」の字も聞きたくないって気分だったのに。無事に高校に合格できて、受験勉強から解放された、ひゃほーって感じ。

「両親が医療従事者だから」

「なるほど、それでこんな豪邸……じゃあ、お家継ぐんだ?」

「どっちも病院勤務だから、特に継ぐものは無いけど」

「あ、そう……そう言えば、お姉さん東京って言ってたよね。もしかして、あっちで医学部?」

「姉は藝大」

「藝大……って何だっけ」

「藝術大学の音楽専攻」

「もう、なんなの」

 さっきから、微妙に会話が噛み合わないんだけど。それとも、私が焦って話題のチョイスをミスってる?

「鈴音、何か怒ってる?」

 須和さんが、きょとんとして首をかしげる。私は手のひらで顔を覆って、彼女から背けた。

「自分のトーク力のなさに絶望してるだけ」

 こんな時に竜胆ちゃんが居れば……高校に入ってこの方、いかに彼女のコミュ力に助けられているかを痛感する。そんな彼女も、今は藤沢さんと市内散策に精を出していることだろう。さっきから時おり、街角で見つけたお店や、変なオブジェの写真が送られてくる。

「鈴音は、いつから剣道やってるの?」

「え、私? ええと……小学校一年の時かな。近所に道場があって」

「そっか。私と一緒だね」

「ただ、強くなるっていうよりは、武道としての剣道を学ぶって感じのとこだったよ。礼儀作法とか、そっちの方が中心」

「私のところも変わらないよ」

「変わらなかったら、こんなに実力差は開かないと思うなぁ」

 口にしてから、あっと思う。ちょっと嫌な感じの言い方になっちゃったかな。全然、そんなつもりはなかったんだけど。でも黒江は気にする様子はなく、考えこむように小首をかしげる。

「道場出身の警察の方が良く来てくれていたかも」

「あっ、それは羨ましいなぁ。ウチの道場は、そういうの無かったよ」

 とりあえずセーフ。言葉選びも、たぶんトーク力のひとつだよね。気をつけよう。

「黒江は、警察官とかなろうと思わなかったの? もしくは実業団とか」

「剣道と仕事を結び付けて考えたことがない。鈴音は目指してるの?」

「そもそも進路が決まってない……」

 受験のことも考えてないくらいだから、入りたい学部も、その先の将来も、イメージできているわけがない。そもそも高校を卒業した後、剣道を続けているかも。

「まあ、やりたくなったら何歳でもできるもんね、剣道。それこそ病気でもしなければ」

 それが生涯スポーツであるところの剣道だ。地元の道場も、大人の部には退職したお爺ちゃんとかもいたっけ。そもそも師範の先生が結構なお年だったしね。

「……そうだね」

 微妙な間を置いて、黒江が頷く。今のタメは何だろう。

「もしかして黒江、病気……とかじゃないよね?」

「え?」

「その、剣道を辞めた理由」

 何となく嫌な予感がして、思い浮かんだままに尋ねてしまっていた。ちょっと不躾な気がしたけど、もしそうだとしたら私は――

「違うよ」

 黒江が、私の不安を一蹴する。身体と心の緊張が一瞬で抜けて、大きなため息がこぼれた。

「ああ、そう、良かったぁ」

「良かったって?」

「なんか、剣道部に誘ったりして、思ってる以上に無理させちゃったのかなって思って」

「そんなことないよ」

 黒江が小さく笑う。

「選手じゃなく、外から剣道に触れてみるのも楽しいよ。鈴音も少しずつ力をつけてるし」

「そ、そうかな……改めて言われると照れる」

 そうは言っても、私はまだまだ駆け出したばかりだ。この間も日葵さんに歯が立たなかったし、強くなったと実感するにはまだ遠い。

「この際だから改めて聞くけど……黒江はなんで剣道やめたの?」

 聞くならこのタイミングかなって思った。彼女と再会してから、ずっと気になっていたこと。聞きそびれたこと。なんなら今日、私はそのために竜胆ちゃんたちの誘いを断って、ひとりでここに来たまである。部活じゃ話せないようなことでも、二人きりのこの空間なら。

 黒江は穴が開くほどの私のことを見つめて、それからふっと視線を外す。相変わらずのポーカーフェイスで何を考えているか分からないけど、間の取りかたで、言葉を選んでいるんだっていうのは伝わってくる。

 やがてその唇が、鈴が転がるような音色で言葉を紡ぐ。

「目標を失ったから」

「目標?」

「剣道をするうえで目標としていたもの。それがなくなったから、やる意味がなくなってしまった」

 掻い摘んで話してくれてるのは分かるけど、具体的なことは何ひとつ分からなかった。分からなければ、推測するしかないわけで。

「日本一になっちゃったから、もう敵がいないってこと?」

 黒江は常々「私を倒してくれるなら」と口にする。自分より強い人――倒すべき目標が現れたら、また剣道をする意味が生まれる。つまり、黒江は新しい目標を、自ら育ててるってこと?

「結果としてはそうかな」

 なんだか含みのある言い方。また、煙に巻かれているよな気がする。

「それだったら、中一で日本一になった時点で目標がなくなってるじゃない」

 少しムキになって、重箱の隅をつつくように反論する。高校で再開して、再戦して、それから彼女の提案で師弟みたいな関係になって。初めての対外試合をふたりで乗り越えて、合宿も経て。私はずいぶん黒江に心を許しているような気がするのに、彼女は一向に掴みどころがない。自己表現が得意じゃないんだろうなっていうのは会った瞬間分かったけど、いつまでも一本線を引き続けられるのは、辛い。

 黒江は、飲みかけのカップをソーサーごとテーブルに置く。怒らせてしまったかな。それも、彼女の表情からじゃ分からない。私ばっかり空回りしてて、黒江にとってはなんでもないことみたいで、それもそれで、なんかヤだ。

「中二のころは、まだ目標があった」

 その言葉が何を意味しているのか、私はすぐに気づく。ついさっき話したばかりのことだったから。

「そっか、伊地知さん」

 黒江は静かに頷いた。ついさっき話したばっかりの黒江が敗けた相手。あの誰も寄せ付けなかった絶対女王の中学時代の黒江が。そして今目の前にいる、高校剣士たちにも引けを取らないこの黒江が。

「でも結局、二年目の全中じゃ戦ってないよね?」

 全中の黒江の試合は全て追っている。そう言うと、ストーカーみたいだけど……これは純粋な敵情視察というか、研究というか、何もやましいところはない。うん。

 そして、黒江は伊地知さんと戦ってなければ、倒してもいない。それって、目標を越えたことになるんだろうか。

「あの年は、彼女は全中に出ていなかった」

「出てないって……県予選で負けちゃったの?」

「県予選は優勝してる」

 何、どういうこと。私が馬鹿なせいか、全く話が見えない。

「全中の出場を辞退した」

「辞退って」

 なんで。どうして。全然わかんない。だって全中だよ。全国の剣士の憧れの舞台だよ。私が望んで、焦がれて、二度たどり着くことができなかった場所なのに。

 逆に考えれば……出場できない理由があったってこと?

 例えば――

「怪我とか、病気……とか?」

「……鈴音は妙なところで鋭いね」

 それは褒められてるんだろうか。裏表のない彼女のことだから、たぶん誉め言葉だと思うけど。

「怪我だって聞いている」

「そうなんだ……」

 玉竜旗から全中までって一ヶ月くらいだよね。その間に怪我してしまったなら、治りきれずに辞退というのは考えられる。伊地知さんにとっては、三年で最後の全中。きっと断腸の思いだったことだろう。

「あこや南がインターハイに行けたら、また再会できるのかな」

 中学での対戦が実現できなくても、高校生になった今なら話が違う。伊地知さんは今、二年生だし。お互いに今年と来年と、二度のチャンスがある。あっちがインターハイを狙えるような強豪にいるかは分からないけど、少なくとも私たちあこや南は、本気でインターハイを目指して、その実力もある……と思う。少なくとも私は、この一ヶ月の先輩たちの姿を見て「行けるかも」という希望は持っている。

 でも、黒江はゆっくりと首を横に振る。

「あり得ない」

「な、なんで?」

「彼女はもう、剣道を辞めてしまったから」

 そう口にした黒江の表情がどこか泣きそうに見えたのは、私自身の心を、彼女に重ねてしまったからなのかもしれない。

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