およばれ
合宿から一夜明けて、今日は久しぶりのオフだ。ゴールデンウィークはとっくに折り返しているけれど、後半は後半でいつも通りの部活がある。
だから丸一日休みというのは今日が最初で最後。だというのに、三日間の疲れが祟ったのか、私は珍しく朝寝坊をしてしまった。
「お母さん、私のサマーワンピどこにやったっけ!?」
「夏ものはまだお爺ちゃんとこじゃないの?」
「うげっ! そうだった! えぇ、じゃあ、薄めの春コーデで良いか」
引っ越してきてこのかた、あるはずのものがないなんて事態に陥るのは今日に限ったことじゃない。山形に越して来て住んでいる住居は、北海道にいたころの住居と比べるといくらか手狭なものだった。だから引っ越す時にある程度の荷物は断捨離して、捨てるのは忍びないってものは地元のお爺ちゃんの家の倉庫に置かせてもらっている。季節もののファッション用品がその最たるものだ。
今日は全国的に夏日だって言うから、爽やかな夏服を出そうかと思ったのに。ちなみに内地で「夏日」って言うのなら、道内じゃ「真夏日」くらいの温度感だ。ないものはないので、お気に入りのサマーワンピのことは諦める。引っ越し時に一緒に持ってきた冬~初春用の服なら選択肢はいろいろあるんだけど、北海道の人間にとっての初春の服なんて、まだまだ防寒着の範疇だ。夏日に着るにはやぼったすぎる。
今の箪笥のレパートリーじゃ、今日の天気に対応できるのはTシャツとパンツがせいぜいだ。ちょっとカジュアルすぎる気がするけど、仕方がない。
「じゃあ、いってくる!」
ナップザックを背負って、一目散に玄関まで駆け抜ける。すると、母親が背中から呼び止めた。
「あ、待って。お金あげるから、何かお菓子でも買って行きなさい」
「え、でも時間が……」
「それも含めてでしょ。失礼のないようにね」
小学生じゃないんだから、そんなに心配しなくっても……なんて思ったけど、自分が中学になってからほぼ友達の家に遊びに行ったことがなかったのを思い出す。あやめの家は近所だからよく行ってたけど、それくらい。
あれ、じゃあ私、誰かの家に遊びに行くのって、小学校以来?
やばい、そう考えたら緊張してきた。確かに菓子折りのひとつでも買って行った方が良さそうだ。ただでさえ黒江の家に行くってことで、心臓バクバクだってのに。
自転車をかっ飛ばして、目的地へと向かう。今どき、スマホのマップアプリに住所を入れたら初めての街だって歩けるのだから、便利な世の中になったものだ。小さいころに友達の家に遊びに行こうと思ったとき、地図の縮尺を見間違えて片道二時間近く歩くはめになったのも良い思い出だけれど。流石に帰りは、親に頼んで迎えに来て貰った。
さすがの私も高校生だ。今さらそんなへまはしない。なんせ、自転車の移動時間もスマホが出してくれるからね。ほんとはバスでも行けそうだったけど、黒江が毎日自転車で通っているというのなら、私もそれに倣ってみたわけである。
彼女の家は、郊外のショッピングモールに併設された新興住宅街の中にあった。新興とは言ってもそれなりに年季は入っているんだろう。お庭が整備されていたり、ちょっとした個人商店もあったり、街としてのまとまりはしっかりしている。その一角に、彼女の家はあった。
「でっか」
第一印象はそれだった。外観は家と言うよりもビル。壁をのっぺりとしたコンクリートで覆われた、四角い、なんというか無骨だけどもアーティスティックな家。この辺りは、そんなに雪は降らないのかな。豪雪地帯なら、天井が平らだと雪が大変なことになりそうで心配になる。
高さは三階分くらいあるかな。もしくは、天井が高くて二階とか、そんな感じ。屋敷っていうよりも要塞って言葉が似あいそうだ。
念のため、住所が間違っていないか確認する。ここだ。表札にローマ字の筆記体で「Suwa」って書かれてるし。やっぱり……もうちょっとお洒落して来たら良かったかな。私は照れを隠すように日差し避けのキャップを深くかぶりなおしてからインターホンを押した。すぐにウィーンガシャンと、外門の鍵が自動で開いた音がする。そしてほどなくして、門の向こうに覗く玄関がゆっくりと開く。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのは、黒江本人だった。オーバーサイズのシャツにパンツという、私とちょっと似たような恰好。部屋着ならそんなもんだよね。変に気合を入れて来なくって、逆によかった……のかも?
「あがらないの?」
黒江の声にはっとして、慌ててかぶりを振る。いろいろ圧倒されていたせいで、開いた門の前につったたまま呆けてしまった。
「これ、つまらないものですが」
お土産を渡すとき、変に敬語になってしまった。中身は、通りがかりに寄ったお菓子屋さんで買った焼き菓子セットだ。何を買って行こうか少しだけ迷ったけど、焼き菓子ならまあ、嫌いだって言う人はほとんどいないだろう。
「ありがとう。ここ、美味しいとこ」
「そうなの? 全然わかんないから、通りがかりに買ってきたんだけど」
ほんとならネットで評価とか調べて行くべきだったんだろうけど、遅刻ギリギリで急いでたからそんな暇もなかった。でも、どうやらナイスチョイスだったらしい。よくやった私。
「お茶淹れるから、ここで待ってて」
黒江は私をリビングらしい部屋に通すと、そのままオープンタイプのキッチンへ向かう。無骨な外観とは打って変わって、お部屋はシンプルなデザインの木製家具でまとめられた、温かみのある空間だった。もっとシャンデリアとかつり下がってるんじゃないかって身構えていたぶん、良い意味で期待を裏切られる。
それにしても、待っててとは言われても、人が作業してる傍で何もせずに待ってるっていうのは落ち着かない。とりあえずソファに腰かけてみたけれど、そわそわしてしまって結局すぐに立ち上がる。
「何か手伝おうか?」
「特にして貰うことないから」
「家の人はお出かけ中?」
「東京の姉のところに行ってる」
「お姉さんいるんだ。大学生?」
「そう」
会話をしながら、黒江は慣れた手つきでお湯を沸かし、ポットにお茶っ葉を準備する。ウチで普段使っているようなティーバッグじゃなくて、缶に詰まった高そうなお茶だった。
やることがないと言われてしまえば、キッチンのカウンターでじっと見ているのも悪い。仕方なくソファに戻ろうとしたところで、傍らのダッシュボードに気づく。ボードの上には、黒江のものと思われる剣道の楯やトロフィーがずらりと並んでいた。
県大会の優勝楯はもちろん、全国大会のトロフィーに、その他の地方大会のトロフィー。知ってはいたけど、こうして見るとすごい。ウチはと言えば、個人戦二位を獲得できた時の楯が一個だけ、家宝みたいに大事に飾られている。
「あ、玉竜旗。出場したんだ。いいなぁ」
「顧問が『勉強になるから』って。交通費がかかるから、行ったのはそれいちどきりだけど」
「わかる。ウチなんか北海道だから、九州遠征なんて夢のまた夢だったよ」
玉竜旗というのは、九州で行われる全国区の団体戦オープントーナメントだ。参加資格は中学生、ないしは高校生であることだけ。全国どの学校でも参加できることから、普段は全国大会まで上がれないようなチームでも、全国の猛者と試合ができる。
ただし、いかんせん北の民である私たちにとっては、ほとんど外国の出来事くらいの物理的な距離がある。私も一度は出てみたいと思いながら、中学のうちはついぞ夢が果たされることはなかった。
「魁星旗だったら、私も行ったことあるよ」
「そう。じゃあ、会っていたかもね」
一方の魁星旗は、年度末に東北は秋田で行われるオープントーナメントだ。こっちは比較的近いので、中二のころに一度だけ連れて行って貰ったことがある。スランプど真ん中の私に、少しでも全国大会の空気に触れさせようという、顧問の気づかいによるものだった。
そして、黒江が参加していたことも知っている。でも、会わせる顔がなくって、トーナメントで当たらない限りは声をかけるような勇気は無かった。そして、私たちはコートで出会うこともなかった。
「玉竜旗の連勝楯いいなぁ……でもチームの結果は三位か。中学の部って勝ち抜きじゃないんだっけ?」
「中学女子は三人チームの対抗戦」
「ああ、それじゃあちょっとした流れの差で勝敗変わっちゃうね」
団体戦ともなれば、黒江が強い〝だけ〟で優勝できるほど甘くはない。総得点で競うわけだから、黒江が勝っても、他の選手が敗けてしまっては勝ち上がれない。
「じゃあ、準決勝で他のふたりが敗けちゃったんだね。残念」
「違う」
黒江が凛として否定する。
「玉竜旗の準決勝は、私が敗けた」
「……え?」
何を言っているのか分からなくって、反応が遅れてしまった。
黒江が……負けた?
「あ、相手は?」
「鹿児島の伊知地るる」
「いじち……って、まって、聞いたことある」
でも、ギリギリで喉につっかえた感じ。思い出せ。思い出せ。
黒江が負けたって?
その伊地知って人に?
「思い出した! 中一のときの全中個人戦の準優勝……ってか、黒江と決勝で戦った子!」
「自分の試合でもないのに、良く覚えてるね」
「そりゃ、まあ」
あの頃の私はと言えば、完全に黒江のことをライバルっていうか目の敵に認定していたし(もちろん一方的にだけど)。その対戦相手、しかも決勝の相手くらいは、自分のことみたいに覚えてる。
「ま、負けたんだ……黒江」
「制限時間のギリギリ。彼女のメンが、一瞬早く私に届いた」
自分から話を振っておいてなんだけど、なんだろう、聞きたくなかった。
「あれ……でも、その年の全中、伊地知さんは表彰台にあがってないよね」
私たちが二年のころの話だ。まあ、私が知っているのはネットで見た入賞の情報と、顧問に頼んで手に入れて貰った黒江の試合の録画だけだけど。
確か伊地知さんは一個上だから三年生。最後の全中のはずだけど……負けちゃったのかな?
「お茶、入ったよ」
いつの間にか、黒江がティーセットを持ってリビングのテーブルへやってきていた。傍らには、私が買ってきたクッキーも添えてある。
「ありがとう、いただくね」
待たせるのも悪いと思って、慌ててテーブルに戻る。なんだか話を遮られたような気もするけど、気のせいかな?
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