生意気な後輩

 合宿最後の朝が始まる。共同生活で炊事場に立つのも、だいぶ慣れたものだね。井場さんのおかげで、お料理スキルも少しだけ上がったような気がする。私は皮むきか配膳か、サラダを盛ることしかしてないけど……。

 合宿最後の朝ごはんのメニューは、昨日残ったお肉と野菜を使ってコンソメスープとなった。じゃがいもやら人参やらがごろごろと入っているので、どっちかと言えばポトフとかに近い気がする。昨晩はたっぷり脂物をとったので、朝はちょっとで優しいものをという配慮みたいだ。

 午前中の合同稽古中も、相変わらず粛々と進む。だた、私の心中は穏やかではない。午後からやらなきゃいけないこと。それを日葵先輩にどう切り出すか。悩むって言うよりも、気持ちの問題だ。思い切るための覚悟と勢いが必要だ。

「鈴音ちゃんは、今日もグロッキー?」

 お昼のお弁当を、今日も竜胆ちゃんが狙っていた。何も言わずに器を差し出すと、彼女は喜んでお魚のフライを持って行ってくれた。

「熊谷先輩との勝負はどんな感じ?」

「うーん、五分五分ってところかな? でも先輩とも話してたけど、勝負の結果自体がレギュラー争いに直接関係するとは思ってないんだけどね」

「やってるの、剣道と関係ない勝負ばっかりだと思うしね」

「もしかしたら、この意味のない勝負にも大きな意味があるのかもしれないよ~? ベスト・キッドみたいに」

「なにそれ?」

「え? 知らない? 地味な雑用の動きが、実は格闘技の体捌きの練習になってましたっていう感じのスポ根映画。ちょっと古いけどね。鈴音ちゃん、映画とかあんま見ない?」

「話題作とかは、時間あれば見に行くけど、普段はあんまりかなぁ」

「鈴音ちゃんってさ、休みの日何してるの?」

 尋ねられて、はてと首をかしげる。

 休みの日……?

 私、なにしてるっけ?

 宿題やって、予習して、筋トレして、素振りして……あれ、休みの日、終わり?

「YouTubeは見るかな?」

「へぇ~、誰のチャンネル見てるの?」

「……剣道の試合の動画とか?」

「勉強熱心~! 他には?」

「えーっと……あっ、この間、竜胆ちゃんに教えてもらった美容系の人は見たよ」

「そーそー、それ! どうだった?」

「ためになりそうだったけど、実践するのに必要なコスメを持ってなかった……」

「あははー。じゃあ、今こそ約束を果たそっか」

 約束?

 はて、何のことだっけ?

「一緒にコスメ見に行こうって約束したじゃん! 合宿開けの休みに行こうよ~」

「あ、ああー」

 思い出した。確かに、そんな約束をした。

 私も楽しみにはしていたけど、次の休みは――

「ごめん。ゴールデンウィークの休みは、予定入っちゃってるんだ」

「ええー、そうなんだ。残念~。家族でおでかけ?」

「えと、まあ、そんな感じ」

 思いっきりぼかしてしまった。先に黒江と約束してるから、だなんて別にぼかすようなことでもなかったのに。他の友達を優先してるように見えちゃう、罪悪感からかもしれない。

「しかたない。ひとりで街の散策しよっかな。まだ、この街のこと全然知らないからねー」

「それなら、私、案内しましょうか?」

 よこからひょこりと会話に混ざって来たのは、藤沢さんだった。

「この辺でいいなら、地元も地元ですし、いろいろ案内できますよ」

「え、いいの、つづみちゃん? いこいこ! 絶対行こ!」

 そのまま、ふたりで盛り上がっていってしまった。うう、罪悪感プラスうらやまし感。私もそれ、ついていきたい。でも、黒江との約束も大事だから……当の本人は、とっくにお弁当を食べ終えて、ごみの片づけに勤しんでいた。彼女もこれから部長との決戦に挑む。どことなく、あの辺りだけ大会の決勝戦前のような緊張感が漂っている。相変わらずのポーカーフェイスだけど、「日本一の名を傷つけさせはしない」という鋼の意志を感じさせる。

 それは部長も同じだ。黒江よりもさらに早くお昼を食べ終えたらしい彼女は、自分の防具のところへ戻って、竹刀や小手の紐の状態を念入りにチェックしていた。彼女もまた「日本一から一勝をもぎ取るんだ」という強い意志を感じる。

 ふたりの姿を見ていると、自然と私も背筋が伸びた。そうだ、私もこれから試合に臨むんだ。お遊戯でも、稽古でもなく、戦いに行くんだ。緊張したり、引けを取ってる場合じゃない。

 竜胆ちゃんだって、レギュラーを獲得するために戦っている。私もそのくらいの気持ちでいかなきゃ、公式戦になんて出して貰えるもんか。日葵先輩と戦って、勝つ。本気を出して私に勝たなきゃ、レギュラーの座を奪ってしまうぞって。

 覚悟が決まると、身体は勝手に動いていく。竜胆ちゃんのおかげで空になった弁当箱を片付けるついでに、日葵先輩のもとへ向かう。のんびりゆったりとお弁当を食べている彼女を立ったまま見下ろして、半ば圧を書けるように、眼前に立ちはだかる。

「り、鈴音ちゃん、どうしたのかな?」

 戸惑う彼女に、私はできる限りぶっきらぼうで、かつ生意気に挑戦状をたたきつけた。

「先輩。私と勝負してください」


 午後の稽古の時間になって、腹ごなしの軽いウォームアップを終えた私と日葵先輩は、互いに防具を装着して向かい合っていた。先輩の方はまだ戸惑いが抜けていない様子で、私と、審判を引き受けてくれた中川先輩とを見比べる。

「ほ、ほんとにするの? 試合……というか勝負?」

「はい。上段で来てください」

 私は、ハッキリとそう付け加える。

「それは、ええと――」

「お願いします」

 選択の余地を与えない。余計な言葉は添えずに、ただ懇願する。この編は完全に黒江の受け売りっていうか、彼女の語り口から学んだことだ。語りすぎると、言葉の端端から思わぬ逃げ道を用意してしまいかねない。だから、伝えたいことは簡潔に。相手には「はい」か「いいえ」の選択しか求めない。そしてこういう場合、「いいえ」とは言えない空気になるものだ。

「わ、わかった。けど、全力は出さない……よ?」

 念を押すように彼女は語る。そういうスタンスでくるのは織り込み済みだ。そしてこれもまた「はい」か「いいえ」の選択肢しかない質問。だけど、こっちは日々そういう設問にさらされ続けた身だ。

 「はい」でも「いいえ」でもなく「何も答えない」を選ぶ。

 それが無言の圧力となって、先輩にプレッシャーをかけるものだと信じて。


* * *


「はじめっ!」

 審判、中川薔薇の掛け声で試合が始まる。他校との練習試合でなければ、当然、進退が決まる公式戦でもない。傍から見れば、ただのチーム内の腕試しの勝負だ。

 しかし、これは日葵の進退を定めるための勝負。

 その意気込みを、鈴音は乗せるつもりだった。

 立ち上がりと共に、日葵は約束通り上段に構える。この三日間、鈴音が彼女から教えてもらった左上諸手の上段。薔薇相手に使っているのを傍から見ていた鈴音だったが、こうして相対する形で真正面から構えられると、見える景色が違う。ただでさえ大きな日葵の身体は、さらに大きく。なんだか、道場の入り口で彼女と初めて出会った時のことを思い出した。


 ――でっか!


 失礼だとは思うが、それが鈴音から見た時の素直な第一印象だ。そして同時に、強そうだという雰囲気も感じ取った。当時は彼女が剣道部の部員だなんて知らなかったけれど、仮にどんなスポーツをやっていたとしても、醸し出す〝強者のオーラ〟と言うものが存在する。

 だけど、日葵は弱かった。練習ではあんなに息を飲むような打ち合いを繰り広げてみせるのに、試合になると、途端に初心者レベルまで実力が落ち込む。

 許せない。

 日葵に対して怒っているわけではなく、実力があるはずなのに日の目を見ない選手の存在が、鈴音には許せなかった。紆余曲折の中学三年間を思い出してしまうから。

(そう言えば、上段の選手と戦うの初めてだ)

 とても大事なことに気づいてしまい、試合開始早々気後れしてしまう。上段って、どう攻めればいいんだろうか。昨日、黒江からアドバイスをして貰えば良かったと、心の底から後悔した。

(でも始めてしまったんだから、手探りでやるしかない)

 対する鈴音は、覚えたての上段ではなく、慣れた正眼の構え。まだ上段を使いこなすような自信は無い。間合いの取り方に関しては、撫子の下段に対した時の応用が利くはずだとして、問題は、どう打ち込んでいくかだった。

 竹刀を振り上げている以上、必然的に面は常にガードされている。代わりにがら空きの胴と、中段よりは位置が高いが小手。ここで安易に、胴へ飛び込むことはできない。甘い一撃を放てば、一撃必殺の一刀が頭上から降り注ぐだろう。本気を出していなくても、それだけの動きをするだろうというのは、鈴音が素直に感じた日葵の評価であり信頼だ。

 踏み込めない恐怖は、あの頭上高く振り上げた構えによるものだ。正眼の構えと違い、上段は「打つ直前の姿勢」で相対する。イメージするなら、鈴音の打ち込み速度を〝1〟とした時に、日葵の打ち込みは〝0.5〟。振り上げて振り下ろすという動作のうち、振り下ろすしかしなくていいのだから当然だ。その代わりに面以外の有効部位を全てノーガードで晒すという攻撃的な〝火の型〟。日葵の体躯には似合うが、性格に対しては似合わないスタイルだった。

 だからこそ鈴音は見たいと思う。剣道が武道として心を鍛えるスポーツであるならば、一流の上段を扱う日葵の姿こそ、本物の彼女なのだと。

 ひとりの剣士として、出会いを望んでいた。

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