欲張りな私
「う~ん、結局食べ過ぎた……」
小一時間後、お肉の油とじゃがいもの質量にやられた私たちは、すっかりまったりモードになってしまっていた。炭の残り火をぼんやり眺めながら談笑していると、ちょっとしたキャンプファイヤー気分だ。
実際は、安全のために火が消えるまで見守ってなきゃいけないだけなんだけどね。
「黒江、お肉食べた?」
陽の落ちた駐車場で、傍らにたたずむ黒江の表情が炎の赤で照らされる。彼女は、流し目で一度私を見てから、もう一度炎へと視線を戻す。
「食べたよ」
「食べてるとこ、全然見て無かった」
「人が食べてるところ、じろじろ見るものじゃないよ」
「それはごもっともです」
苦笑しながら、私も視線を炎へ戻す。赤く燃える炭の明滅は、夜中の点滅運転に切り替わった信号機のような寂しさがある。ただ終わりを待つだけの、命のともしび。
「そう言えば、今日の戦績は?」
「四勝六分」
「さすが、勝ってるじゃん」
「勝ち越せなかった」
いやいや、勝ち越してるじゃん。引き分け以下は負けとかいう鬼ルールで戦ってる?
「明日は、本当に分からない」
「でも、約束したじゃん」
少しだけ悪戯っぽく言うと、彼女も「ふっ」と鼻を鳴らして笑った。
「鈴音は欲張りだね」
面と向かって言われてドキッとした。
「そ、そうかな?」
「自分のことでもいっぱいいっぱいなのに、私にまで求めるなんて」
「それは、そうかもしれないけど」
だからって、ストレートに言うこと無いじゃん。
「でも、そっか……私、欲張りなのかも」
どっちかと言えば控えめな方だって思ってたけど、その実は業つくばりだったんだ、私。だけど、言われてみれば納得してしまう自分がいる。黒江に言われたからかな。いいや、たぶん、もともとそう言う性分なんだと思う。
「約束は守るよ」
どこか私をなだめるように、黒江が言う。
「だけど、もしもの時は、私は潔く負けを認める」
「え、それって」
「もうひとつの約束通り、選手に復帰する」
黒江はさらりと、何でもないことのように口にする。
「嫌だ」
だから私は、かぶせ気味に首を横に振った。
「黒江を倒すのは私だよ」
自分でもびっくりするくらいすんなりと、強い言葉が心臓から喉を駆け抜けていった。黒江は少しだけ驚いたように眉を持ち上げ、それからまた、小さく鼻で笑った。
「やっぱり鈴音は欲張りだね」
「欲張りで結構」
黒江を倒すのは私だ。部長でもなければ、宝珠山の清水さんでもない。そのために私は、剣道を続けることにしたんだから。
「おい」
黒江と談笑していたら、背中からいかつい声をかけられる。合宿中に何度も聞いた不機嫌そうな呼びかけ。振り返ると、中川先輩がいつものキツイ目つきで私を睨んでいた。
「な、なにか?」
「作戦会議するっつったろ」
「え、今ですか? てか、ここじゃ日葵先輩が……」
びっくりして辺りを見渡すが、先輩の姿がない。よく見れば、他の三年生の方々もいつの間にかいなくなっていた。
「匂いがついたからって、先輩方からまた風呂行ってんだよ。一年は最後な」
そういうことね。すっかり鼻が馬鹿になって気づかなかったけど、私も服から髪から、すっかりいぶ臭くなってしまっていた。
「作戦会議って?」
居合わせた黒江が、当然のように首をかしげる。
「お前には関係ねぇ」
中川先輩がかぶせ気味に答える。黒江が剣道部にやってきてから、中川先輩はすっかり彼女のことを目の敵にしている。先輩の立場に立ってみれば、気持ちは分かるよ。一年生の若造が生意気にも「私を倒したら剣道部に入ってやる」って言って、マネージャーをやってるんだから。だけど、黒江だから許される。彼女は、日本一の女なんだから。部としては、どんな条件を飲んでも、選手として復帰してくれることを願っているだろう。
だけど、中川先輩だけはきっぱりと黒江を「いらない」と言った。はじめは私も黒江の立場だったからムッとしたけど、今は先輩なりに部のことを大事に思ってのことなんだろうなって理解できる。
「そのことなんですけど、黒江にも意見貰ったらどうかなって思いまして……」
「あぁ?」
明らかに不機嫌度マックスに、それこそヤンキーがガンを飛ばすように先輩が振り向く。思わず尻込みしてしまうけど、ここは我慢して真っ向から向き合った。
「剣道のことだったら黒江が一番頼りになる……かなって」
だめだ、眼圧に負けて最後ちょっと日和ってしまった。しかし中川先輩はそれ以上何も言わずに視線を外したので、無言の了解だととらえることにした。
私は、黒江に日葵先輩のことの顛末を話す。込み入った事情は抜きにして、ホントはもっと強いはずなのに、自分から気持ちにセーブをかけてしまっている。どうにか本気を出して貰いたいんだけど、どうしたらいいかなって。
「本人にその気がないなら、無理しなくてもいいんじゃないの」
黒江の開口一番は、元も子もないアドバイスだった。
「それはそうなんだけどさ……今のままじゃ試合に勝てないっていうか」
「じゃあ、別の人を選手にしたらいい」
「そ、そうならないように、どうにかしたいっていうかね!」
言葉を重ねるたびに中川先輩の不機嫌メーターが溜まっていってるのを感じて、慌てて黒江を抑える。黒江は呆れたようにため息をついてから、改めて私をみつめた。
「気持ちで剣道を押し込めてる人は、その気持ちを変えない限り何をやってもダメ」
「わ、わ、黒江」
「今のメンバーだったら部長か中川さんが大将をやった方が良いと思う」
「おい!」
あっ、ダメだ。中川先輩が歩み出たので、今度は彼女を抑えるために間に割って入る。
「それが先輩に対する口のきき方か?」
「この間の練習試合でも、大将が南高の穴だった。捨て大将で勝てるほど、全国は甘くない」
「てめぇ!」
「ま、まって! どっちも一旦まって!」
もう、身体を張って押し止めるしかない。ほとんど抱きかかえるようにして中川先輩を止めて、黒江の方を振り返る。
「黒江の言い分だったら、気持ちを変えられたらどうにかなるんだよね? その方法を、私たち考えてるの!」
それが、ほんとのほんとに本題。日葵先輩の性格を考えれば、一筋縄でいく話じゃない。
「どうにかなるとは言ってないけど、気持ちを変えない限りは何もはじまらない」
「どうしたらいいのかな?」
「試合すれば?」
え、今、何て言った?
「試合って、日葵先輩と?」
「そう」
「誰が?」
「鈴音が」
「なんで?」
「中川さんでもいいけど、私は鈴音の方が良いと思う」
そういうことを聞いてるんじゃなくって。
「北澤さんが鈴音に本気を出せないっていうなら、本気を出さなきゃいけない相手に鈴音自身がなるしかない。それを見せつけるには、試合するのが一番手っ取り早い」
なんか、すごい戦闘民族じみたアドバイスが飛び出して来た。
「この間の鈴音だったらチャンスがある」
「この間って……練習試合の話?」
黒江が頷く。
「あ、あれは私も……よく動けたとは思うけど、自分でもどう動いてたかハッキリ覚えてなくって」
あの時は、清水さん相手に負けられないって思いで精一杯だったから。こういうの、ゾーンに入るっていうのかな。自分が自分じゃないみたいに、身体が勝手に動いたんだ。
「なら、もう一度やるしかない。北澤さんの気持ちを変えるために」
「やるしかないって……それで変わるのかな」
「変わる」
黒江は断言する。
「鈴音の剣道には、人にそう思わせる力がある」
「それは褒めてるの?」
「褒めてるよ。だって、現に私が復帰しても良いかなと思わされたんだから」
あまりにまっすぐいうものだから、理解するのが少し遅れて、理解した瞬間に顔が熱くなった。
「そ、それは……えっと、ありがと」
「おい、秋保。いつまで締め付けてんだよ」
懐から声がして我に返る。そう言えばさっきから、中川先輩のこと抱えたまんまだった。しかも、恥ずかしさを押し殺すように、力強くハグしてしまっていた。
「あっ、ごめんなさい」
慌てて開放すると、中川先輩は何事もなかったかのようによれたTシャツを正す。それから、私のことを見上げてぽつりとつぶやいた。
「お前、ほんとでけーのな」
しみじみ言う彼女に、私は苦笑で返すほかなかった。私は今から、もっとでかい人と対峙しなくちゃいけないんだ。それも未だ未知数の、あの人の本気を引き出すために。
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