負けない
「……うっぷ」
晩御飯を食べ終えて、私は倍ぐらいに膨らんだお腹を抱えて、夕涼みに洒落こんでいた。というか、生い話をすると、いつリバースするかも分からない状況なので、慌ててトイレに駆け込むよりはいいと、逃げ場所を求めて来たわけだ。
コンクリの上とかに吐かない限りは、みんな大地に還って行くことだろう。緑よ芽吹け。
かといって誰かに痴態を見られたいわけでもないので、良い感じの場所を探した末に、第二体育館裏の砂利の駐車場に狙いを定めた。傍らの縁石に腰かけて、大きくひとつ深呼吸。うん……三〇分くらい休めば、少しは楽になりそう。
「鈴音?」
真っ白に燃え尽きたボクサーみたいに、がっくりとうなだれて居ると、不意に頭上から私を呼ぶ声が降り注ぐ。ドキっとして、一瞬逆流しかけた胃液を飲み込む。それは、今一番聞きたくない声だったかもしれない。
「黒江……何してんの?」
目の前に立ち止まった脚先から、身体のラインを上へ上へなぞるように、黒江の顔を見上げる。学校指定のジャージに身を包んだ彼女の運動靴は、若干の土埃で汚れていた。
「地産地消部の活動。合宿あるならって、一日一回、菜園の様子を見に行くように言われてるから」
「そうなんだ……もう、何か植えてるの?」
「夏野菜をいろいろ。あと花の苗とか」
「楽しい?」
「楽しいよ。私の実家、花壇はあるけど畑はないから」
黒江は頷きながら、私の隣に腰を下ろした。話していくつもりなのかな。じゃなきゃ座らないよね。そりゃ、このまま「じゃ」なんて帰られたら寂しいけど。今はそれ以上に、タイミングの悪さが際立つ。
「……黒江の家って、どの辺にあるの?」
何も喋らないのも居心地が悪いので、それらしい話題を振ってみる。ちょうど家の話出たし。
「南の方の新興住宅街。市内よりも、上山の方が近い」
「その上山ってのがどこか分からないんだけど」
「温泉街がある隣町。と言っても、山形はほぼ全部の町に温泉があるけど」
「え、それ凄くない?」
もしかして、それで合宿所にも温泉が?
ちなみに今は一年生のお風呂タイムだけど、私は無事に入ることができるんだろうか。時間外になるとシャワーしか浴びられなくなっちゃうらしいから、無理にでも回復したいんだけど。
「遊びに来るつもり?」
「え?」
予想外の質問が飛んできて、私は真顔で黒江を見つめ返す。
「家の場所なんて聞くから」
「ううん、そういうわけじゃないけど」
「来ないの?」
「え……行っていいの?」
「別に」
別に……どっち?
「いいよ。昔はよく、友達が遊びに来てたし」
「そうなんだ」
なんだろう。ショックって言うと語弊があるけど、なんかモヤモヤする。だけど、そりゃそうだよね。黒江だって小学生や、それこそ中学生だった時もあるわけで。友達と家で遊んだりもするだろう。今の今まで、全くそんなイメージがなかったのは、私が今の黒江しか知らないせいに違いない。
うん……?
いや……違うな。
少なくとも私は、中一の時の彼女は知っている。たった三分間の試合と、その後の三〇秒程度の顔合わせだけだけど。思い出そうとすれば、今でもはっきりと写真のように、あの日の光景をリフレインできる。
「黒江ってさ、なんていうか……もうちょっと無邪気な子じゃなかったっけ?」
同じ学校で同級生としての再会というインパクトが強すぎて、すっかり見落としていた違和感に今さらながら気づく。そう言えば、あの日、私をボコボコに負かした黒江は、もっと無邪気な笑顔で笑う子じゃなかったっけ?
目を細めて、ニカッとどっかの海賊王みたいに歯を見せて、これ見よがしに勝利のブイサインを突き付けてくる。そんな、剣道を覚えたての子供みたいな――
「そう? 昔からこんな感じだと思う」
「ええ、そうかな? 本人が言うならそうなのかな……?」
あれ、私の記憶違い?
それとも全国大会で同じ一年生にボコられて、挙句の果てにその子は優勝までして。そんな衝撃体験の中で、美化されたイマジナリー黒江だったんだろうか?
もしくは黒江のイデア?
そんな冗談は、つい最近、公民で習ったばかりの言葉を使ってみたかっただけだけど。
「鈴音は、昔はどんなだったの?」
「私? 私は……うーん……私こそ、変わんないんじゃないかなぁ」
あんまり性格が変わったっていう自覚はない。強いて言えば、小さい頃はもう少し社交性があるっていうか、物怖じしなかったような気もするけど。それは、みんながみんなそうなんじゃないかな。子供特有の、世間を知らないがゆえの、怖いものなさっていうか。
「友達は? 地元で、今は離れ離れでしょう?」
「いるよ。ほとんど幼馴染って感じの子も。今でも毎日連絡とってる」
そう答えて、私はふと思い立って、ポケットからスマホを引っ張り出す。画像フォルダを開いて、過去へ過去へと遡って行くと、件の幼馴染――あやめの写真を引っ張り出して黒江に見せた。二年ほど前、一緒に首都圏のテーマパークへ遊びに行った時に、肩を寄せ合って満面の笑みで撮った写真だ。
「可愛いね」
「でしょ? 可愛いし、よくできた子なんだ。剣道も上手いし。竜胆ちゃんみたい」
「そうじゃなくて、ふたりとも」
「え?」
予想外の返答パートツーセカンドツヴァイ。私は、口元をひくひくさせながら、顔がみるみる上気していくのを自ら感じていた。
「あ……ありがと! いひひひひひひひ」
取り繕うように笑ってみたら、変質者か悪い魔女みたいな笑い声になってしまった。私は小さく咳払いをして、そそくさとスマホを仕舞う。くそっ……あやめのこと見せつけてみたら、黒江がどんな反応するのかなって楽しみにしてたのに。これじゃ返り討ちだ。
「く、黒江の昔の写真とかないの?」
話題の矛先を変えるべく、ちょっぴりツンケン気味に尋ねてみる。すると彼女は、びっくりするくらいさらっと答えた。
「ないよ」
「ないなんてことないでしょ。一枚や二枚」
「ないよ」
繰り返し、彼女は口にする。そこまでハッキリ言われてしまったら、私もそれ以上追及はできない。曖昧な頷きと共に自分を納得させて、すごすごと引き下がるしかなかった。
「ないなんてことあり得るの……?」
「ないよ。今は」
「今は……って、ああ、そういう」
なるほど、スマホには入ってないってことね。なんだ。ああ、びっくりした。
「どこならあるの?」
「家」
まあ、そりゃそうだ。
「見に来る?」
「……もしかして黒江、私に家に来てほしいの?」
なんか話の流れが、さっきからそんな感じじゃない?
私の自惚れか、早とちりかな。指摘された黒江は、虚を突かれたように数秒虚空を見つめて固まってから、うーんと星が瞬き初めて来た空を見上げて、それからアンニュイな視線を彼方へと放った。
「たぶん違う……と思う」
「そこは嘘でも、そうだって言ってよ!」
可愛いとか、そういうのはさらっと言えるくせに!
「それで、来るの? 来ないの?」
「……お邪魔じゃないなら」
「じゃあ、連休後半のオフで」
スケジュールまで指定されてしまった。こっちの予定もお構いなしに、なんて身勝手な。まあ、私が忙しい剣道部に入ったせいで、家族の予定なんて何もなかったけど。越して来て、はじめての大型連休だったんだけどなぁ……本当なら、道内に里帰りしたりしていたことだろう。引っ越した以上は、この山形も第二の故郷ってことになるんだけど、まだまだその感覚は私の中にない。
「そう言えば私、黒江に聞きたい……っていうか、確認しなきゃいけないことがあったんだ」
「なに?」
「その……私が上段やること、どう思ってるのかなって」
黒江は無言で私を見返し、それから小さく頷く。
「良いんじゃない。体格的には合っているし」
「そっか。黒江がそう言うなら」
本当なら、少し引き留めて欲しかった。ダメだってハッキリ言わなくていい。ほんの少しでも不快感を示してくれたら、上段なんてすっぱり諦めて、カウンター剣道の習得に一直線になれるのに。色んな武器を持ってみろっていう鑓水先生の言うことも分かるけど、私はたぶん、ふたつのことを新しく始められるほど器用じゃない。もちろんやるだけやってみるけど……いずれ、どっちか選ばなきゃいけなくなったのなら、黒江の剣道を選びたい。それが今の素直な気持ちだ。
私が黒江を倒せるほど強くなれるのか、正直なところ分からない。そのつもりで頑張ってはいるけど。でも、もし黒江に勝てなくて、彼女が一生選手に復帰しなかったとしても、私が彼女の剣道を剣道界に残して行けるように――っていうのは大げさかな。
「あっ! もうひとつ聞きたいことあった!」
咄嗟に思い出したことがあって、つい声を荒げてしまった。けど、そんなこと構うような余裕もなくって、ほとんど詰め寄る勢いで彼女に迫る。
「部長との対戦! 戦績は!?」
「ああ……九勝〇敗一分け」
「すご、あの部長に……」
黒江が敗けるなんて思ってないけど、部長もまた県内トップレベルの実力者。万が一ってこともある。
「もしこれに負けたら……それでも選手に復帰するの?」
「それはない。先生も、そのことは承知してる」
「そ、そうなんだ」
じゃあ、先生の言ってた〝機会〟って何だろう……?
あの時の言葉の真意が、余計に気になってしまう。
「部長って、黒江から見てどう? その……強い?」
「強いよ。全国……そうだね、ベストエイトくらい」
「やっぱり、そんなに強いんだ、あの人」
「でも、日本一じゃない」
ピシャリと黒江が言い切る。
「……今のところは」
かと思えば、急に曖昧な表現で煙に巻かれてしまった。
「部長は、吸収と成長が著しい。戦績の一分けも、今日の最後の勝負の時。部長は、私の剣道に対応できるようになっていた。明日以降は、どうなるか分からない」
黒江がそんな事言うなんて。私も、自分の稽古そっちのけで勝負の行方が気になってしまうじゃないか。もちろん、そんなことはしないけど……私は姿勢を正すように座り直して、そっとひと息ついた。自分の勝負じゃないのに、なんでこんなにそわそわするんだろう。たったひとつだけ、間違いのない答えがある。
「それでも負けないで」
私は黒江に負けて欲しくない。誰が相手だとしても。決して。
「分かった、負けない」
いつものトーンで、黒江はそう約束してくれた。それだけで十分だった。私の前で、彼女が無敗の女王でいてくれようとするのなら、私はそれを信じて自分の戦いをするだけだ。
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