<25・狂気>
「うわぁっ!?」
落ちる、と思ったら思いきり冷たい床に転がっていた。肩を強かに打ちつけて呻く閃。一体何が起きてるのだろう。謎の廊下に閉じ込められて、ドアを開けようと思ったら開かなくて、叫びまくっていたら突然開いて誰かに腕を掴まれて――それで?
ぐるぐる考えながらどうにか上半身を起こす。そして、閃はそこがどこかの教室の中であることを知った。夕焼けの差しこむ教室。しかし、陽射しはさっきほど禍々しい赤ではない。そして自分達がいつも使っている教室とも大きく景色が異なっている。机と椅子が全て片づけられ、教室の後方に積み上げられていること(後ろの黒板とロッカーは完全に埋もれて見えなくなっている)、教室の中心にぽつんと一つだけ机が置かれていること。机の上に木の人形のようなものが置かれていること。その机を、ぐるりと取り囲むように細い鉄の楔が床に七本突き立てられていること。
そして。
その机を挟んで、二人の人間が対峙していること。
「驚いたわ」
そのうちの一人は――閃の担任。数学教師の、柿沼晶子。
「何でこの部屋が分かったの?ちゃんと封印して隠してあったのに。しかも……空間の隙間を探り当てて、攫われかけていたその子を助けるなんて」
彼女の視界に、転がっている閃は入っているはずだった。しかし晶子の目は一切閃を見ていない。ただ冷たく、自分の真正面に立つ、黒ずくめの青年を睨んでいる。今まで聴いたこともないほど、凍てついた声で。
「そもそも、祭壇の場所はある程度アタリをつけていた」
黒ずくめの青年――閃に背中を向けて立つ新倉焔は、その手にナイフらしきものを持っている。
「疵鬼の本来の儀式。改変しているとはいえ、大本の術式を変更したわけじゃない。疵鬼とは、地面に埋めた“生贄”の上に祭壇を設置して偶像を祀り、そこに疵鬼本体を降臨させるというものだ。その元々のやり方をお前が無視するとは思えない。なら、祭壇は前々から準備をしておかねばならず、かつ地面に近い場所でなければ意味がない。今回学校全体を“生贄を埋めた場所”に見立てているから、敷地内のどこでもいいとしても……雨風に晒される建物の外はまずないし、地面から遠い二階以上ということもないだろうと考えていた」
「確かに、その理屈だと結構祭壇の場所って絞られてきそうね」
「そうだ。加えて生徒や他の教職員が頻繁に出入りするような場所では、祭壇を壊されてしまう可能性がある。だから、現在使われていない、あるいは使う頻度が極端に少ない一階の部屋のどれかだろうとは踏んでいた。……入口に“室内改装中、入らないように”とでも貼り紙を貼って、かつ廊下側のカーテンでも閉めておけば生徒もうかつに踏み込まないし、中の異様な物体を見られることもないだろうからな」
言われてみれば、と閃は廊下側の窓を見る。全て黒い暗幕が閉められ、そちらからは一切光が入ってこないようになっていた。窓側のカーテンを閉めてないのは、多分配置上そちらから中を覗かれにくい位置にあるということだろう。ということは、東校舎の隅っこの教室あたりだろうか、と閃はあたりをつける。
「そんな露骨なことをしていたら目立つ。……加えて、お前が俺を刺したのがアダとなったな。俺は、自分の血がついたものの気配なら一定時間、一定距離の間で辿れる。俺にトドメをきちんと刺さないで、結界だけ修復してさっさと立ち去ったのが失敗だったわけだ」
「しょうがないじゃない、急いでたんだもの。貴方に関わってる暇なんかないのよ、こっちは。……まあ、理解したわ。祭壇には、疵鬼の為の場が作られている。疵鬼の作る空間の切れ目がピンポイントで見えるなら、そこからこじ開けてその子を助けることもできたってわけか」
「その通り」
普段穏やかなはずの教師が、明らかにイラついている。長い髪を掻き上げ、はあ、と深くため息をついた。
「十年……十年よ?いえ、あの子が死んでからはもっともっと長い時間だった。貴方の人生より長い時間よ。貴方のような若造にはわからないでしょうね。私がそのために、どれほどの青春を、時間を、努力を費やしてここまで辿りついたかなんて……!」
「に、新倉さ……」
閃は混乱するしかない。現状、自分にわかるのはどうやら本当に柿沼が黒幕の鬼使いであったらしいことと、攫われかけた自分を焔が助けてくれたらしいことだけだ。説明を求めて焔の背を見ると、彼はちらりとこちらを振り返る。
「そこの女。柿沼晶子がこの学校を“疵鬼の召喚場”に使っていた鬼使いだった。こいつは長野の、自分の地元の板見村にあった疵鬼の儀式を応用して、この学校に疵鬼……それも、板見村に呼んでいた鬼とは比べものにならない規模のものを呼び込もうとしていたんだ。恐らくは、疵鬼の力を使って、人の力ではけして叶えられない願いを叶えるために」
人の力では、叶えられない願い。
その時閃が思い出したのは、先日まさに晶子と交わした会話だった。
『私にも、妹がいてね。……大事な家族を助けるためには、先に生まれた姉や兄は……何でもしなきゃって気持ちになるものよね。自分にはその責任がある、なんとかしなきゃって。そして、実際に救えなかった時、己を責め続けてしまう』
『……救えなかったんですか?』
『そうね。私が子供の時に亡くなってしまったの。年子だったから、双子じゃないけど……でも、双子に近い感覚はあったかもね。本当に仲良しだったわ。あの子を助けるためなら何でもしようと思った。小さかった私には、その“何でも”でさえ、大きな力にはなり得なかったけど』
あの時。彼女が自分に向けていた同情は、言葉は、嘘とは思えなかった。
救えなかったもの。
己を責め続けたこと。
奪われた、片割れにも近い――家族。
「妹さん、ですか?」
閃の言葉に、ようやく柿沼の目がこちらを見た。そしてくしゃり、と苦痛を堪えるように歪む。
「ええ、そうよ。……妹はね、村のクソガキどもの……面白半分の噂といじめで、命を落としたの。本来私達の村の疵鬼の祭りに、もう人間の生贄なんか必要なかったはずなのに。貴方にも話した通り、疵鬼はもう恐ろしい祟り神ではなく、子供達と遊びながら村に豊穣を齎してくれる座敷童のような存在になっていた。噂がそのように変わっていったから。ゆえに、近年ではネズミなどを使っていた儀式がさらに簡略化されて、人形でも問題ないということになっていったのよ」
それなのにね、と彼女は目を細めた。
「妹をいじめていた馬鹿どもが、愚かな噂を流した。疵鬼に追われている妹を見た、妹は疵鬼の遊びに誘いを断った、だから今年は凶作になるだろうと。……あの村には、そういう“場”ができる母体があった。人の話が、噂が、意識が、祀る神の姿を変えるという地盤が。……それが私が、人の心こそが鬼を作るという仕組みに気づいたきっかけではあったけれど」
「妹さんは、まさか……」
「お察しの通りよ。今年だけは、かつての儀式を再現しなければ疵鬼の怒りは収まらない、きっとこのままでは恐ろしい天災が村を襲うだろう、そのためには疵鬼の機嫌を損ねた娘を捧げなければ……と。噂は、奴らが狙った通りか定かではないけれど、そういう方向にどんどんエスカレートしていった。そして噂が広まれば広まるほどそれが“事実”となり、村人達の中には謎の病で倒れる者もバタバタ出るようになった始末。……噂を広めたクソガキどもも倒れたのは、本当にいい気味だったけど。その時の私はそれを喜ぶ余裕もなかった。まさに、妹が疵鬼の供物にされる瀬戸際だったから」
「そして、救えなかった……?」
「そう。……だって私、まだ小学生だったんだもの……」
閃は、何も言えなかった。きっと小さな少女は必死で、死に物狂いで妹を取り返そうとしたのだろう。でも、出来なかった。彼女の制止などよそに、妹は生贄に捧げられてしまったという。
それも、恐らくはかつての儀式をそのまま再現して。
全身を切り刻まれて、祭壇の下に生き埋めにされて。
「……こんな理不尽なことって、ないでしょ?まだ幼いの妹に、一体何の罪があったと?」
にいいい、と柿沼は見たことがないほど唇の端を歪めて、笑った。自分が知る、優しく明朗快活な担任教師とはまったく別人の顔で。
「だから、取り戻すために何でもすることにした。誰を犠牲にしても、誰を苦しめても、誰を巻き込んでも!……人の欲望を集めて、場を整えるのに一番適した場所が学校だとわかったから教師を目指した。村で呼んだのよりも遥かに大きな疵鬼を呼ばなければ、もっと大量の犠牲がなければ願いには足らないとわかっていたからね」
「……なるほど、既に村で試したわけか」
「察しがいいじゃない。私は高校に上がる前にもう人を殺してるの。ワルガキどもを全部生贄に捧げて、疵鬼を呼んで妹を取り返そうとした。でもね……数人のクソガキの命じゃ足らなかったのよ。なんせ、ただ死者を蘇らせるだけじゃない。一度疵鬼に捧げた供物を返して貰おうっていうんだもの、並大抵の対価では、並大抵の疵鬼では足らない……!」
だから、と。彼女はポケットから自信もサバイバルナイフを取り出すと、鞘を床に思いきり投げ捨てた。
「あと少し……あと少しで願いが叶うの。もし邪魔をするというのなら……二人とも死んでもらわないといけないわ。私の悲願のために、妹の……
血走った眼で、鬼使いの女は嗤った。
既に狂気さえも、我が力の糧だと言わんばかりに。
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