<17・友引>

 何なんだ、あの探偵は。

 眞音はイラつきながら足を動かしていた。塾へ向かう道。歩いていれば少しは気持ちが落ち着くかと思ったが、苛立ちは時間を負うごとに募る一方だった。


――ちょっと綺麗な顔してるからって偉そうに!私が何をしたって言うのよ!


 学校の連中も学校の連中だ。みんなほぼ一様に、眞音がるみなと共におまじないで怪異に遭遇し、そのせいでるみながいなくなったと決めつけている様子である。確かにるみなの評判が悪かったのも事実、友人として付き合いながらも眞音がるみなを非常に迷惑がっていたのも事実、ついでにおまじないで消えたというのも事実ではあるのだが。ムカつくのはそこではない。自分がいくら“おまじないでは何も起きなかった、学校で普通に別れた”と言っても、殆どの者達がそれを信じていないことだ。

 しかもおまじないをやってキズニ様に目をつけられると、疵が追いかけてきて喰われるらしい――という話までいつのまにか耳に入ってきている始末。あの古市閃とかいう生徒が友達に話したのが広まったのだろうか。いずれにせよ迷惑なことだ。誰も彼も真実より、“そっちの方が面白い”という望んだ真実ばかりを求めているのが透けているから尚更に。

 人間の欲望とは、なんとも恐ろしいものであるか。

 安全圏から、ちょっと刺激的なイベントを眺めるのを見ているのが楽しくて仕方ないのだ。消えた人間が評判の悪い女子生徒だったなら尚更罪悪感が薄れる。ただの失踪より、オバケで消えたことにしてしまった方がずっと面白い。そういうことは身近で起きていて、かつ自分が被害に遭わなければものすごく楽しい。なんとも身勝手な理屈ではないか。巻き込まれた当事者としてはたまったものではないだろうに。――そう考えると、あの古市閃とかいう少年にも同情しないわけではないが。


――きっと、あの子は。消えた妹さんがとっても大事だったんだろうな……私と違って。


 十一月。日が暮れるのは早い。既に夕闇が降りている住宅街を速足で進んでいく。眞音が通っているのは大きな全国展開の塾ではなく、小さな個人指導塾だった。以前は大きな塾に通っていたものの、授業の進みが一人一人にあったものではなく、かつ授業料が少々割高だったため変更したのである。

 今の塾は、個人個人の志望校に合わせた指導をしてくれるところだ。多くの生徒達と教室に押し込められて重たい空気になることもないし、静かな環境で一人ずつ気になるところを質問できるのは非常にありがたい。先生も親身になって接してくれる。だからこそ、週五日、休まないで通いたいのだ。先日はるみなのせいで少し遅刻してしまって迷惑をかける結果になった。もうあんなことは金輪際ごめんなのである。

 幸い、少々呼び止められただけなので、今日は遅刻する心配もなさそうだが。メンタルの方が問題だ。せっかく、あの忌々しい女が消えてくれて清々していたというのに――どいつもこいつも自分の都合ばかり。自分を被害者だと思うなら、もう少しほっといてほしいものだ。マスコミに追われる芸能人の気持ちが、今なら少しはわかろうというものである。


『えー、私だったら、注目されるってすっごく嬉しいけどなー!だってそれって、人気者ってことじゃん?眞音ちゃんも楽しんじゃえばいいのにぃ』


 いつか交わした、るみなとの会話を思い出してしまい、眞音は唇を噛み締めた。


「あんたと一緒にしないでよ」


 静かな住宅街。周りに誰も人はいない。思わず、溜め込んだ鬱憤は言葉となって口から出た。


「私はあんたみたいな目立ちたがりと違うんだから。普通に、静かに、好きなように生きたいだけなんだから……!」


 頼むからもう、自分の脳内に降臨してこないでくれ。神隠しされたというのなら、ずっとあのズタズタになった姿のままどっかに隠されていなくなってくれ。もう二度とこっちに来ないでくれ。

 やっと浅井るみなという害獣がいない、平和な学校生活を送れるようになったのだから――。




「眞音ちゃん」




 ぎょっとした。思わずつんのめりそうになりながら、足を止める。今、確かに声がした。記憶にあるのと同じ、甲高くてやたら甘ったるい、アニメっぽい少女の声が。

 あんな特徴的な声、聴き間違えるはずがない。


――さ、最悪。あいつのこと考えたせいで、幻聴でも聴いた……?


 しん、と静まり返った道には誰もいない。猫の鳴き声か何かを聞き間違えたのかと思いたかったが、それらしい生き物の姿もどこにも見えなかった。ただただ、住宅地の青白い道を、ぼんやりと街灯が照らしているのみである。あと少しで塾の前に到着する。そうすれば人がいる、寂しい場所からおさらばできる――そう思うのに、眞音の足はその場に貼りついたまま動く気配がなかった。まるで瞬間接着剤で、がっちりと固められてしまったかのように。


――そんなわけない。


 どくん、どくん、と心臓が煩いほどに鳴っている。


――あいつなわけがない。だって、るみなは確かに、キズニ様にズタズタに切り裂かれたんだから。あれで生きてるわけない。そうでなくても、あの世に連れてかれた筈なんだから、そう簡単に戻って来るはずない。戻ってこられるはずが。


 だが。

 自分を“ちゃん付け”で呼ぶのは、友人も家族も全て含めても――るみな一人だけなのだ。


「眞音ちゃん」

「!!」


 今度は、はっきり聞こえた。やはり聞き間違いなんかじゃない。どうにか重たい足をコンクリートから引き剥し、声が聞こえたと思しき背後を振り返る。

 そこにあったのは、一軒家のなんの変哲もない塀だ。誰かが立っている、なんてオチはなかった。だが。

 その塀の上に設置されている、オレンジ色の丸いカーブミラー。

 その中に、ぽつり、と妙な黒い染みがあることに気づいた。何か虫で止まっているのだろうか。そう思った瞬間、その黒い染みがぞわり、と蠢きながら広がった。


「!?」


 ぞわ、ぞわ、ぞわ。鏡の中に、小さな蟲の集団のようなものが蠢いている。慌ててミラーが映す方向を見たが、そちらには何もない。異変は、鏡の中だけで起きていた。道の真ん中に、奇妙な虫のようなものが浮かびながら――そう、蠢きながらこちらに近づいてくるのである。

 やがて、その黒い蟲の中から、赤いものが覗いた。

 ぱっくりと割れた、半月型の割れ目。それは人の――口。


「眞音ちゃん」


 その口が、確かにそう告げた。


「眞音ちゃん、眞音ちゃん、眞音ちゃん、眞音ちゃん」


 罅割れた声で繰り返しながらぞわぞわとその蟲の集団が鏡の中から近づいてくる。段々と、蟲が覆い尽くしている“顔”の全貌が明らかになってきた。蟲が這い回る口が見え、頬が見え、鼻が、目が、額が――。


「ひいいいっ!」


 眞音は思わず、その場に尻もちをついていた。

 それは紛れもなく、るみなの顔で。しかも唇の端は真っ赤な“疵”によって裂かれ、口裂け女のような形状を晒しているのである。頬の肉もぱっくりと開かれ、鼻は半分がそぎ落とされて鼻骨の一部を飛び出させている。瞼を切り裂かれた左の眼球は飛び出し、でろり、と視神経で顎のあたりまで垂れ下がっていた。血と、何か透明な体液を垂れ零しながら。


「眞音ちゃん」


 到底、生きていられるとは思えないほど切り刻まれたるみなの顔は、それでも繰り返し眞音を呼ぶ。呼びながら、どんどん鏡の中で、“こちら”に近づいてくる。


「眞音ちゃん」

「や」

「眞音ちゃん」

「やめて」

「眞音ちゃん」

「なんで、来ないで、戻ってこないでよねえっ」

「眞音ちゃん」

「お願いだから来ないで、来ないでってば、私はなんも悪くないでしょっ!?」


 そうだ、悪いことなんか何もないではないか。おまじないを興味本位で試したのはあくまでるみなであり、自分はそれに付き合わさせられただけ。彼女がキズニ様を怒らせたんだとしても、それはまったく自分と関係のないことではないか。

 確かに、最期の時自分は彼女を見捨てた。だが、あの探偵も言っていたように、仮に眞音に助ける意思があったところで助けようもない状況だったのは事実ではないか。

 だから、責められるいわれなんかない。

 人に迷惑をかけて、勝手にとんでもない怪異を呼び込んだ彼女の自業自得、それ以外に何がある?恨まれて、戻ってこられるいわれなんか何もないではないか!


「眞音、ちゃん」


 顔は、ついに鏡を全て埋め尽くすほど大きくなり、そして。

 あちこち欠損した指が、ガッ!と内側から鏡の淵を掴んだ。


――出てくる!


 このままでは、あの“るみな”が鏡の中から出てきて襲われる。眞音は悲鳴を上げながら尻もちをつき、地面を這うようにして逃げ出した。足に力が入らない。それでも一刻も早く、この場から逃げ出さなければいけないことはわかる。何故、なんて考えるのは後でいい。とにかくあの忌々しい怪物から逃げのびなければ、生き延びなければ。


「ひ、ひっ……ひいっ」


 しかし、何度も這いずりながら逃げようとしたその時。唐突に頭から、どん、と何かにぶつかった。

 恐る恐る、顔を上げる。瞬間、べちゃり、と生ぬるい肉が顔に張り付いた。そして。


「眞、音、ちゃ、ん」


 ごぼごぼ、と喉が潰れたようなその声は、その真正面から。


「あ……ぁ」


 顔に張り付いて、床に落ちたのは――生臭い血臭と糞臭を放つ、腸の断片。目の前に立っていたのは、手足も、腹も、首も、顔も、ずたずたに切り裂かれて“疵”にまみれたるみなの姿。


「ぎ」


 驚愕に声を上げるより先に、顔に灼熱が走った。ぶちぶちぶち、と音を立てて、肉の破片が欠落しコンクリートに落ちる。頬がやけに冷たくなり、歯茎がすうすうと風に晒された。


「ひゃ、え」


 地面に落ちたのは。右耳と、右の頬肉。そして痛みは、眞音の顔を右から左へ裂いて、ぶちぶちと音を立て続けている。

 己の顔に、疵が走っている。自分の顔が疵に飲み込まれようとしている。それを理解した瞬間、激痛と恐怖が眞音の脳を焼いた。


「ぎゃひゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 顔を思わず抑え、疵を触った指がぼとんと千切れて落下した。苦しみ悶えていると、さらに痛みは手首へ、足へ、肩へと伝播していく。

 疵が、疵が、疵が増えていく。

 自分の体に刻んで、刻みつけられて、どこかへ持って行かれようとしている。


――やだ、やだ、やだ!誰か、誰かたすけっ。


 ぶちゅり、という音と共に、瞼が焼かれて視界が真っ暗になった。

 そして眞音の意識もまた、激痛の地獄の中でゆるやかに闇に沈んでいったのである。

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