第2話 喚ばれた訳
「…………何時だァ」
ベッドの中で目を瞑ったままスマホを手探りで探す。ベッドボードを手で探るが様子がおかしい。目を開ければ、自宅の寝室ではなかった。一瞬思考停止してしまったが、そういえば、と思い出す。ここは私の住んでいた国でも、惑星でも無いのだと。
泣き疲れていつの間にか眠っていたのだろう。ベッドから起き上がると殺風景な白を基調とされた無機質な部屋。SFものにでも出てきそうだ。
いやそもそも私はSF染みた誘拐に巻き込まれたのだった。部屋を見渡せば隅に黄色のキャリーバッグと、黒い皮のリュックが置かれていた。私の私物だ。親へのお土産用にと買った、お菓子の入った紙袋も。一緒に持ってきたらしい。
ベッドから出てそちらへと向かい、腹が減ったし、もう渡す相手も居ない土産を食べてしまおうと紙袋を漁って包装箱を取り出した。チョコレートのお菓子だ。日持ちはするし、ひとつだけ食べてしまおうと包装を開いた。
甘いお菓子。この自身が感じる味覚を持ってして、夢ではないのだな。と思い知らされる。夢ではこんなに甘いものを食べたことはない。涙腺が馬鹿になっているのか涙がぽろりと落ちた。服の袖で乱暴に拭って、目をぎゅっと瞑る。目が腫れているのがわかった。部屋に備え付けられている洗面台に向かう。ビジネスホテルを若干広くしたような作りだ。トイレは別になっているので、ビジネスホテルよりも格は高いだろう。
洗面台の鏡で顔を見る。酷い顔をしている。目は腫れているし、涎の跡も付いているし、頭もぼさぼさ。一回風呂に入った方が良さそうだな。と下着を取りに戻ってから服を脱ぐ。
浴室に入り蛇口を捻ってお湯になるまで待つ。SF染みた展開ではあるが、シャワーだったりトイレだったり、そこまで私のいた時代と差異は無い。外を見たことはないから全部が全部同じわけはないだろうが。
シャワーを頭から浴びて物思いに耽る。生きることは保証されている。死ぬまでなんらかの機関に私は保護されるのかもしれない。外には出られるのだろうか。そもそも何故呼ばれたのか、あの円卓に座っていた際告げられていたのかもしれないが、私にはあそこでもう二度と帰ることが叶わないと告げられた瞬間から意識は遠くに行っていた。確か、虎獣人らしきヒューノバーと言う名だっただろうか。彼に聞けばわかるだろうか。
ここで一生生きるしかないのだと告げられても、私にはそんな覚悟はまだ持てなかった。けれど友人も親ももうこの時空では生きては居ないのだろう。死を見届けることなんて、二度と出来やしない。当たり散らして、子供みたいに駄々を捏ねて戻れるのならそうする。けれどそれはもう、叶わない。
何分シャワーを頭から被っていただろうか。体を丸洗いすれば気分ももしかしたら変わるかも、と頭と顔と体を洗って浴室を出た。下着をつけてバスローブを羽織ってベッドのあるフロアに出る。ろくに頭も乾かさずにベッドへダイブした。
「私、どうなんのかな」
自身の処遇。現時点での問題はこれに尽きる。寝返りをして天井を見上げたが、実家の木目模様の天井とは違う一面の白だ。
びー、と音がした。ベッド横を見ると何か光っている。パネルのボタンを押してみると空中に顔が映し出された。虎の顔。何か言われたが聞き取れず、そういえば耳に嵌める言語補助デバイスを外していたのだと、サイドボード上を探して左耳に付けた。
『ヒューノバーです。朝食をお持ちしたのですが』
「ええっと、どこを押せば」
『パネルで緑に光ってる場所はありませんか?』
「あ、これか」
しゅ、と扉だろうものが開く音がした。おはようございます。とヒューノバーが朝食を持って入ってきた。
「おはようございます」
「朝食をどうぞ。自分は外で待機していますので、終えましたら再度お声がけください」
「あ、はい」
朝食のプレートをサイドボードに置くとヒューノバーは部屋を出て行った。チョコレートしか食べていないこともあり、腹は減っていた。プレートを見るとロールパンにスクランブルエッグ、ソーセージやサラダ、牛乳らしきのパックが乗っていた。ディストピア飯じゃあないんだな。なんて失礼なことを一瞬考えた。
ベッドの上で行儀悪く胡座をかきながら黙々と食べ進める。実家だったら親に怒られているだろうが、今はもう考えても無意味だ。
朝食を終えると、キャリーバッグから衣服を取り出して着替えた。外への扉に食事のプレートを持って向かい、またもや扉の開閉ボタンに苦戦してなんとか扉を開け外に出る。扉の横にヒューノバーが立っていた。
ヒューノバーは百八十以上は身長があるように見受けられた。見上げ続けると首が痛くなりそうだ。
「あ、そちらの衣服に着替えましたか」
ヒューノバーの手には白い衣服だろうものが乗っていたが、そちらに着替えた方がいいかと聞くと、ヒューノバーは今日はそれでも構わないと返す。
「今日からしばらくはこちらの施設で過ごしていただきますので、明日からはこちらを、今日は昨日の説明の続きです」
「申し訳ありません。昨日ちゃんと聞いておくべきでした」
「仕方ありませんよ。状況が状況ですから」
ひょい、と私の持っていたプレートをヒューノバーが取り上げる。この服は部屋に置いておいてくださいと告げられ、入り口付近の棚に置いて部屋を出た。こちらです。とヒューノバーが前を歩いて案内される。そういえば時刻は何時だったのだろうか。とヒューノバーに聞けば、今は十一時だそうだ。
「すみません。寝過ぎました」
「アースとは自転の時間が違うんです。一日三十時間がディノスでの一日ですので、大体始業は十一時なんですよ」
「そうなんですか。今日は説明の他には何かなさるんですか」
「説明が終わりましたら、この惑星や国での歴史や一般教養を詰め込むのがしばらく続きます。その後、お頼みしたいことが」
「歴史、かあ」
「自分はミツミさん。あなたのサポートを務めますので、今後もよろしくお願いします」
そういうことは歩きながら背中を向けて言うことなのか? とヒューノバーの背中に、じとっとした目を送る。揺れる尻尾が少し可愛いと思ってしまったのは内緒だ。
ヒューノバー自身、私の世話役に納得していないところがありそうだ。そりゃ私は種族が違うし、女だし、泣き虫だし、女々しいやつなんか、とか思っているのでは。なんて被害妄想を脳内で繰り広げた。途中すれ違った職員に食事のプレートをヒューノバーが渡し手が空いた。片手にはハードケースを携えているが、何が入っているのだろう。
しばらく歩くとある一室にたどり着く。部屋の名前だろうプレートがあったが、文字がわからない。眼鏡型の補助デバイスもあるのならくれ。
ヒューノバーがインターフォンらしき端末に話しかけているのを聞き、グリエルの部屋だとわかる。自動扉が開き、部屋の奥の執務机に座っているグリエルが見えた。
「ヒューノバーありがとう。ミツミ、おはよう。よく眠れたかな?」
「ええ、まあ」
「そちらのソファに座ってくれ。楽にかけて」
「失礼します」
黒い皮のソファは深く沈む。若干この無機質な部屋に似合わない気がするが、グリエルの個人的な好みで持ち込んだのだろうか。ヒューノバーは私の後ろに控え、グリエルがローテーブルを挟んだ向かいのソファに浅く腰掛け、まずは謝罪を。と告げる。
「本当に申し訳ない。我らの勝手で来ていただいたのに」
「まあ……正直誘拐ですしね。一生帰れない」
皮肉くらい言わせてほしい。と言うか言う権利は私にはあるだろう。かちゃ、と音がしたかと思うと、私の目の前にティーカップが置かれる。恐らく紅茶入りの。伸びている腕の元を確認すると獣顔だが、体つきから女性らしき人物がお飲みになってください。と綺麗な声と、笑顔、多分笑顔を浮かべて私に告げる。ちょっとどぎまぎしちゃった。グリエルの秘書官か何かなのだろうか。多分猫ちゃん。
お茶を口に運んで緊張を取り払おうと心を落ち着ける。
「それで、私に何かして欲しくて呼ばれたんですよね」
「そう、そうなのだ」
「それは一体?」
「……我らは進化の過程で失ったものがある」
「はい」
「それは、人の心を覗く術だ」
「……はい?」
話が見えてこない。人の心を覗くって、どう言うことなのだろうか。とりあえず話を聞こうと黙っている。
「我らには隠しておきたいことは山ほどあるが、我らの先祖、人間には昔、心の中に潜る術があったのだ」
「はあ」
「君のいた時代ではまだ術は確立されてはいなかった。わからないのも無理はないだろうが」
「私からして、未来にはあったと」
「そうだ。心の中に精神を深く深くに潜らせ人の秘密を暴く。特に犯罪者や、その被害者自身に気付かれず真相を暴くために深層心理へと潜るのだ」
「へえ、どうやって発見されたんですか? その若干超能力染みた能力って」
「宇宙から飛来した鉱物。レムリィと名付けられた黒い石だ。それに触れた者は心の深くに潜ることが出来た」
「今では出来ないんですか?」
「出来る者はいるが、少数なのだ。それもそこまで深くは潜れない。研究の結果、進化の過程で失い、その力は純粋な人間に近いほど深く潜れる」
「だから、哺乳類同士の掛け合わせなんて存在しなかった時代の私を呼んだと」
「そうなるな」
レムリィと言う鉱物は、この星では多く採掘されるのだそうだ。しかしながら使える使い手がほぼ制限されており、殆ど役立たずらしい。一般的にはアクセサリーとして流通しているのだとか。
「……どうして私だったのでしょう」
「ある程度、力を持つ者は観測できる。君には才能があった」
でも、私じゃあなくともよかっただろう。と怒鳴り散らしたくなった。私はまだ腹に据えかねているらしいと自覚する。今は口を噤むべきだろう。
「我らは心に潜ることをスフィアダイブと呼んでいる」
「スフィアダイブですか……」
なんか厨二病みてえだな~なんて呑気に考える。
「我らはスフィアダイブをすることが出来る人物を心理潜航捜査官と呼ぶ。ヒューノバーもそのひとりだ」
「え?」
ヒューノバーは見た目は獣人だ。スフィアダイブするには、人間とかけ離れすぎているのではないか? と考えた。それをグリエルも汲んだのか、説明が返ってくる。
「獣人であっても、先祖帰りのように見た目に見合わず使える者はいるのだ。ヒューノバーには才能がある。その才能を伸ばすのは、より深くに潜ることの出来る者と共に潜ることなのだ」
「干渉しあって才能が伸びる。みたいな感じですか」
「その通り。君には今日からこの惑星や国の歴史や教養を学んでもらう。心理潜航捜査官としてはまだ早いだろう。ヒューノバーから学んでほしい」
「……一応事情なりはわかったのですが、拒否した場合は?」
怖いもの見たさで質問してみる。
「…………」
「あ、やっぱいいです」
なんか恐ろしいことが返ってきそうだったので瞬時に取り消す。熊の顔っておっかねえよな。この人多分いい人ではあるんだろうけれど。いや誘拐犯共にいい人もあるのか? と疑念が生まれたが取っ払う。
「お話は大体わかったので、もうどうせ帰れませんし骨を埋める場所を確保するためにも、精進させていただきます」
「そうしていただけると、有難い。そうして、最も重要な話があるのだが、いいかね?」
「あ、どうぞ」
「君にはヒューノバーの番となっていただきたい」
……ツガイ、番。それはつまり。
「は!? 夫婦になれってことですか!?」
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