第74話 天羽佳之助(元造船所社主)[5]
「そ……それは……。どうも……」
自分で、自分が何を言いたいのか、
「いやあ、ほんとに怖いもんですなあ。女の連帯意識ってのは。女の敵は女だってことばで、安心しちゃいけませんぜ。うぅん? 女の味方もやっぱり女で、そうやって押し寄せてこられると、どうも男には勝ち目がないってもんです」
そんなことはない……男には三くだり半が……三くだり半が……。
そんなことばが輪になって目のまえをくるくる回っている。
黒野氏は、ふん、と鼻を鳴らして、その笑いを消した。
「まあともかくね。離婚
「訴訟……って」
佳之助氏は、慌てるつもりはなかったが、しかし声は震えていた。
いや、震える声でも、言わなければいけなくなった。
二千万が、かかっているのだ。
全財産が。
「訴訟……って裁判のことか? だっ、だれが……その、裁判をするって言うんだ? 妻か、それとも、おっ、おまえかっ!」
「ほらほらもうちょっとていねいにしゃべりましょうってさっき言ったばかりではないですか」
さっきのにやっとした笑いが復活する。
「どうしてていねいにしゃべる必要があるかっていうと、そのほうが話がスムーズに進むからです。ね? ことばづかいが
「知るかい!」が、ふだんの答えだ。
「いや、これは、ど、どうも……」
黒野氏は長く鼻から息をついた。言う。
「で、いまのところ、だれも、です」
目を離した。でも、今度は池のところで遊ぶ子どもたちを見ることもなく、佳之助氏に目を戻す。
「しかし、てる
協議なんてとんでもない。三くだり半だ三くだり半。あいつの父親にはそう宣言しておいた。
だが、それを裁判所に持ち込まれれば……?
「裁判長! 三くだり半です! 夫は妻が気に入らなければいつでも離婚する権利がある。そうでしょう? それが日本の正しい法律ってものじゃないですか!」
そう繰り返していれば、勝てるのか?
造船所を開いていたとき、いちどある船主を相手に裁判を起こそうとしたことがあった。そのとき、来てくれた弁護士は、その内容を検討して、これでは勝つ見込みはありませんが、それでもやりますか、ときいた。
そのときは、その船主に対して
「裁判に負ければ訴訟費用はあなたの負担になりますよ。自分が使った費用はもちろん、相手が使った費用も。それでも、やります?」
けっきょく裁判はあきらめ、そのかわり、その弁護士が相手方の弁護士と交渉してくれた。それで佳之助氏はそれほど損をせずにすんだ。
こんど、その離婚訴訟というのになったとして、あいつが
その弁護士費用までこっちが払わないといけない。
何百万かかるのだろう。
いや、百万の単位ですむのだろうか?
出て来たのが遺跡でないとしても、あの家を建てる費用がごっそりと持って行かれる!
黒野氏は、それまで浮かべていた笑みを消して、大きく息を吐いた。
息を吐いてから、目を閉じる。
五秒ぐらいそのままでいる。
佳之助氏は逃げるならいまだと思った。
体は動く。
でも、いったい、いま逃げて、何か意味があるのか?
「ところで」
黒野氏が低い声で言う。
最初の「どす」が消えた。佳之助氏が慣れただけかも知れないが。
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