第57話 三善結生子(大学院学生)[8]

 先生が、学園闘争か何か、先生の高校時代の話を続ける。

 「つまり、国や学校が理不尽なことをやるって言って、それに対して、七つの学校の文化部が連合して立ち上がった。それはわたしも生まれてたか生まれてなかったかわからないぐらいってころの話。それで、まあ、文化部連合の旗って作ったのね」

 「はい……」

 「その闘争っていうのはすぐに消滅した。けれども、だれかが、そのときの旗を、文芸部連合合宿の旗として残したのよ。そして、毎年、その旗の争奪戦をやらせることにしたわけ。そうするとなくさないじゃない? もちろん、その旗を残しただれかは、また生徒が連合して立ち上がるってなったときに、じつはこの旗こそ闘争の旗だって言ってその旗をかかげるつもりだったんでしょ。でも、それから十年以上が経って、そんな由来はみんな忘れてしまった」

 千菜美ちなみ先生がひくっと肩をそびやかす。

 「そういうのを調べるのが好きだったわたしを除いて、ね。だから、わたしが黙ってれば、その旗の由来なんかだれにもわからなくなる」

 嬉しそうだ。

 そして、そのころから、昔のことを調べるのが好きだったんだ、と、さりげなく自己アピールもしている。

 でも、これはただの思い出話なんだろうか……。

 結生子ゆきこが先生の話を平板へいばんな声でなぞり直す。

 「つまり、その、文芸部の人たちにとっては、旗があればよかったわけで、その旗がどんな旗でもよかった」

 それで、残っていたクッキーを口に入れてむ。

 一口、パスチャライズドミルクのミルクティーを口に含んで、続ける。

 「でも、その旗には、その、学園闘争とかいうときには意味のある旗だった。でも、千菜美先生は別にして、みんなそのことは忘れてしまっていた。みんなは合宿の優勝旗だと思っていたし、その役割しか果たしてなかった。そうですよね?」

 「そうね」

 「つまり、山から海辺の村に戻ってきた人たちにとって、お姫様は、実在の人物としてではなくて、自分たちの守り神さまとしてたいせつだった。だから、いくらその人たちが信仰しているお姫様がどんな人かを追いかけてみても、お姫様が実在したかどうかについては、何の解決の手がかりも出て来ない」

 学園闘争の記憶も「文化部連合」の存在も忘れられてしまえば、その旗が「文系部連合合宿」の旗だということすら、疑いようがなくなってしまう。

 同じように、神様としてだけ信じられ続けているなら、それが実在の人物だったとしても、どんな人物だったかはもう解き明かしようがない。

 「そう」

 「だから、海辺の村にいっぱい伝承があるからって言っても、そのお姫様がほんとうにいたかどうかはわからない。そういうことですよね?」

 けっきょく話はもとのところに戻ってしまったが?

 先生は、満足そうに、両手でカップを持っておいしいミルクティーを飲んでいる。

 高校時代の思い出の話をして心が潤ったようだ。

 では、結生子は、高校の思い出で心が潤うだろうか?

 自分でもわからない。思い出すだけで抵抗がある。

 先生が言う。

 「でも、それだけじゃないわよ、結生子ちゃん」

 「はあ?」

 何が、それだけじゃないのだろう?

 クッキーは食べてしまったし、ミルクティーも残り少なくなってきた。

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