第56話 三善結生子(大学院学生)[7]

 「迫害されたって史料はないですけど、されてないという史料もありません」

 先生に口をはさませないように、結生子ゆきこは話を続ける。

 「迫害されていないにしても、出身地の村に戻っていいというはっきりした命令は出ていないんです。そういう状況で、山から自分の出身地に戻って来た人たちがどう感じるか、ですよ。もちろんそこに住み着いていた移住民たちとは敵対関係ですし、藩が自分たちを応援してくれるという保証はない。だったら、みんなでまとまらなければ、ということになりますよね?」

 「うん、それで?」

 先生は続きをうながす。

 この先生、あとでまとめてたたくつもりだろうな、と思って、続ける。

 「そうだとしたら、みんなで共通のはたじるしとして、自分たちと同じように悪い家老に苦しめられたお姫様というのがいるぞ、っていうのが、仮に、村から村へと伝わったとすれば」

 言って、だいぶ冷めてきたミルクティーを飲む。

 パスチャライズドミルクは、冷めて、クリームっぽくとろんとしてきても、おいしい。

 「結生子ちゃんね」

 ほら、来た。

 「それで思い出したことがあるんだけど」

 はいっ?

 結生子は先生の顔を横目で見る。

 皮肉や皮肉すれすれのことばで結生子の身を削っていくような質問をするときとは違う表情だ。

 なんだか。

 もっと幸福そうな……。

 「わたしの高校時代にね、結生子ちゃん、わたしたちの高校に文芸部連合合宿っていうのがあってねえ」

 「はい」

 何の話かわからないけれど、先生の幸福感をじゃましないほうがいいと結生子は思う。

 だから、何も言わず、すなおに聞く。

 「毎年、七つの高校の文芸部が山で合同で合宿をするのよ」

 「はい……」

 それにしても、ぜんぜん話が見えないのだが?

 先生が幸福感にひたりながら続ける。

 「そこに合宿の旗っていうのが伝わっててね、その合宿の最初に、気合いで山の高いところまで上ってその旗を立てるのね。それで、文芸部の合宿だから、それぞれの学校の部が作品を発表して感想を言い合って、それで、優勝校っていうのを決めるのよ。そして、その優勝校がその合宿の旗を持って帰る、っていう仕組みになってるの。で、翌年の合宿にその旗を持って来る。いまも続いてるかどうかは知らないけど、そのころはそうなってた」

 「それは」

 自分が緊張しなければいけない話から話がはずれてくれたので、あんまり興味なさそうな反応をして、そのあいだに瑠里るりさんが買ってきてくれたクッキーをかじっておく。

 「優勝トロフィーとか、優勝旗とか、そういうのとおんなじシステムですね」

 「そう!」

 先生の思い出話にこめる熱が上がってきた。

 「その旗は、その合宿のために作られた旗だってね、みんなそう信じてるわけ。でも、ほんとは違うんだ、それ。それ、「文連」って刺繍ししゅうが入ってるのね。そして「文連の旗」ってみんな呼んでて、「文芸部連合合宿」の旗だとみんな思ってる。でもさ、それ、ほんとは「文化部連合」の旗だったのね。どこが違うかっていうと」

 先生は目を輝かせて説明を急ぐ。

 先生の、懐かしい青春の思い出。

 「ほんとは学園闘争の旗だったのよ」

 学園闘争……ってなんだっけ?

 なんか、六十年安保とか七十年安保とか、そういうのがあったんだよなぁ。

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