第53話 三善結生子(大学院学生)[4]

 「つまり、姫がいたかどうかにかかわらず、騒動はたしかにあった。藩主が、乱心、暗殺、暗殺で、三代続けて治世をまっとうできなかった。それが入れ物ですよね」

 結生子ゆきこが整理する。

 先生はさっきのクッキーの残りをかじって黙って聞いている。

 「それにヒロインが一人いたということにしたら、もっと面白くなる。だから、そのヒロインの話が一度に広まった、というわけですね?」

 「納得できないところ、ある?」

 納得できないなんて言ってませんって!

 実在しなかったのならお姫様は最初から想像上の存在だし、実在したとしても、伝承になる段階で、実際とは違う物語がつけ加えられたかも知れない。

 だから

「ないです」

と答えて、結生子は声を低くした。

 「それに、お姫様がいたほうが、漁村の人たちの気もちは救いにもなりますよね」

 「救い?」

 先生は首をかしげて見せた。結生子は続ける。

 「神さまって苦痛を測るための尺度だ、ってことばがあります」

 先生は答えない。満梨まりさんの店のクッキーを味わっている。

 「苦しい生活をしている人たちが、自分たちとおんなじように、いや、それ以上に苦しんだ、年端としはもいかないお姫様がいたんだ、と思うことで、救われた気もちになる、っていうことです」

 自分の言ったことが自分の心に痛く刺さる。

 なぜなら、自分はそのお姫様に救われないほうの立場だから。

 結生子はその讃州さんしゅう易矩やすのりという家老に味方するつもりはない。史料を読んでいて、おもしろいやつだな、と思うこともあるけれど、こいつは基本的に嫌いだ。もし目のまえにこいつがいたら、こいつにこそこっそり毒を盛って殺してしまいたいぐらいだ。

 でも、結生子の家が属する帰郷きごうりゅうは、ほかの村の帰村きそんりゅう相模さがみわたりなどというグルーブとともに「家老がた」と呼ばれて、還郷かんごうりゅう本村ほんそんりゅうやまがえりなどの「姫方」に対立する立場とされている。つまり、家老の味方、姫様の敵。

 先生は軽くそのパスチャライズドミルクのミルクティーをすすった。

 まだ何も言わない。

 結生子は息を一つつくと、話を続けた。

 「しかも、海の女神さまの信仰がそこに入り込むわけでしょう? ああ、そうだ」

 そして、自分で深入りしてしまう。

 「わたしのところ、いや、甲峰こうみね村は、ひめしゃ八幡はちまん社といっしょになってたんですよ」

 結生子自身の祖父がそのお社をつぶしてしまうまでは。

 「うん。それで?」

 「この一帯で、そのお姫様の伝承がいま残ってないところで、海の女神さまの信仰が神功じんぐう皇后の信仰になってるところがいくつもあるわけですよね」

 それは、その三年生の夏、結生子の卒論計画を却下した後の先生に連れられて、岡平おかだいら岡下おかしただけでなくその一帯の海岸を調査して回って、気づいたことだ。

 そのときあの横川よこかわ博子ひろことも知り合った。

 「神功皇后といえば八幡三神のうちひとはしらでしょ? だから、岡平の一部分では、海の神様が、その八幡様の信仰から、そのお姫様に変わったわけですよ。そう考えることができると思うんですけど」

 「そう考えること、ね」

 黙ってきいてたと思ったらこういうことを言うんだから!

 先生は続ける。

 「それと、神功皇后って、子どもが、つまり後の応神おうじん天皇が、だけど、子どもがお腹の中にいるのに、それを隠して、いまでいう隣の国まで攻めて行ったっていうひとでしょ? 勇ましい女神さまよ、ね、結生子ちゃん?」

 結生子も勇ましいと言いたいのか、そうではないのか、よくわからない。

 先生は続ける。

 「その神功皇后と、悪い家老の迫害に耐えきれずに自殺したか何かっていうそのお姫様では、イメージが違いすぎない?」

 まあ、それは結生子も考えた。

 たしかにキャラが違う。

 だが、そうすると、今度は八幡様という神さまの本質は、という、結生子ではどうにも扱いきれない大きい話が出て来てしまう。

 「八幡様は武勇の神様ってことですか?」

 八幡様といえば武家源氏の守護神として有名だし、中世に倭寇わこうと呼ばれた海賊だか武装商人だかも「南無なむ八幡大菩薩だいぼさつ」の旗を掲げて、「八幡はばんせん」と呼ばれ、恐れられたという。

 それは海を渡って遠征を行ったという神功皇后のイメージには合うが、そういう武勇とは無縁のお姫様には合わない。

 でも、八幡様という神様は、それだけの神様なのか、というと……?

 東大寺とうだいじ造営のときにはその守護神となり、道鏡どうきょう事件では天皇家の守護神、そして、武力とは関係のない多くの町や村でも地元の神社としてまつられている。

 「そうなんだけどねぇ」

 先生はいきなり弱気な声になる。

 「こういう信仰とかの話って、わたし、弱いところだからよくわからないのよねぇ」

 思わせぶりに首をかしげる。

 ほんと、こういうそぶりと声とことばから立ち上る色っぽさって、男をくらっとさせるところなんだけど。

 訂正。男でも女でもくらっとさせるところなんだけど。

 強気、強気、強気で来て、ふっ、と弱さを見せる、この演出力……。

 わかってやってるのかな、この先生?

 それとも天然?

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