第50話 三善結生子(大学院学生)[1]
アールグレイに「パスチャライズドミルク」というのを合わせたぜいたくなミルクティーとクッキーをいただく。
パスチャライズドミルクというのは「低温殺菌」した牛乳で、牛乳のおいしさを
クッキーまで先生の手作りというわけにはいかず、
また、そこまで依存したら、あとが怖い。
それに、満梨さんのお店で買ったものならば、世界で勝負できるとは言わないけれど、このあたりの市とか町とかで勝負できるくらいの高級品ではある。
では、お手製のクッキーはおねだりしないことにして、
「これまで
いきなり言い出す。
怖くなくなかった。
少なくとも面倒くさい。
せっかくそのことから離れて休憩しようと思っているのに。
「しなかったんじゃなくて、させてもらえなかったんですけど?」
言って、軽くつんとして見せる。
「そんなことないでしょ結生子ちゃん? 結生子ちゃんが三年生のときの夏休みに
先生は
かわいい。
感動の
結生子は続ける。
「でも、卒業論文のテーマにはさせてもらえなかったですけど?」
「あぁらそんなこと
あらためてきかれると、「根に持っている」と答えるしかない。
結生子は岡平市の
甲峰でも、あの玉藻姫騒動のころ、
結生子はその新しく移住して来た住民の子孫だ。生まれた村ではそれを
結生子の祖先が村に住み着いた後、讃州易矩は自害し、もとの住民が村に戻ってきた。この人たちを
それ以来、現在まで、甲峰の村のなかで、帰郷家流と還郷家流の対立が続いている。
隣り合って、というより、一つの村に混ざって住んでいながら、村で何をやるについてもこの対立が関係してくるので始末が悪い。
結生子は、その対立に
だから、千菜美先生の下では玉藻姫騒動を研究するつもりでいた。
なぜか、というと、自分でもよくわからない。
玉藻姫騒動で実際に何があったかを解き明かして、出身地の村の帰郷家流と還郷家流の対立をなんとかしたい、なんて
ただ、自分はこの騒動について知るために大学に来た、という意識だけは強かった。
一年生のころから研究対象は玉藻姫騒動にしたいと言っていた。三年生の最初に卒業論文の計画をきかれ、玉藻姫騒動を、と言うと、千菜美先生は『岡平市史資料編』を結生子に渡し、「この史料からそのお姫様がどんな生涯を送ったかをレポートにまとめてきてごらんなさい」と言った。
『岡平市史資料編』の史料にはこのお姫様はまったく出て来ない。しかも、未熟だった結生子は、
けっきょく、『岡平市史資料編』の近世の部に載っている史料はぜんぶ目を通したけれど、まったく使わず、自分が子どものころから教えられてきたことだけでレポートをまとめたら
「あらあらあら結生子ちゃん」
そのころはまだ「
「どうして決められた文献を使わないで自分の記憶だけで書くの? そんなので卒業論文なんか書けるつもりでいるの?」
とねちねちねちねちと言われ、卒業論文のテーマにすることを涙ながらに断念した。
ほんとに涙を流して泣いて断念した。
玉藻姫騒動というのが実際はどんな事件だったかを知るために大学の日本史の研究室に来たのに、それを研究対象にさせてもらえないなんて!
先生は『岡平市史資料編』の史料には玉藻姫という人物が出て来ないことを知っていてこんなことをやらせたのだ。
しかも、結生子が断念したことを学部のほかの先生方の前で言わせてから、何食わぬ顔で『
「ところで、そのお姫様だけどね。この本にはいっぱい出てるから、玉藻姫騒動の部の最初のところだけでいいから読んでごらん」
と言ったのだ。
かわいい顔してSなんだから!
こんな仕打ち、根に持たずにいられようか?
……まあ、いいけど。
うん。パスチャライズドミルクのミルクティーがおいしいので、べつにいいけど。
あと、結生子が玉藻姫騒動をテーマにすることを断念した夏、その岡平での調査に連れて行ってくれたので、いいけど。
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