第13話 礼儀正しい坊やだね。(ノンナ)

「ジール、何を景気の悪い顔してるんだよ」


さっきまで何やらニヤニヤしていたジールが突然頭抱え始めてるね。酔っ払うには早すぎだけど?


「ああ、ノンナさん、今日もいい女っぷりだね。やっぱり嫁にするなら飯のうまい気立てのいい女だな」

「うん、景気の悪い顔ってのは気のせいだね。いつものジールだ。で、おかわりは?」

「あ、エール頼むわ」

「ノンナさん、俺にもエール」

「私にはそろそろお水で」

「あいよ。ジールとグリューがエールね。アシアナには水持ってくるよ」


ジールとグリューが小銀貨をそれぞれ寄越してきた。これは大きい方だね。

グラスを回収して、ジールとグリューのエールを用意して、アシアナには水を持って行く。


「はいよ。で、さっきから何を話してるんだい?」

「ん?今日のグリグリ鳥がうまかったから、カイには感謝だなって話だよ」

「そうそうカイくんが初めてイケーブスに来た日のことを思い出したりしてね」

「ははーーん、なるほど。あの子が来てからしばらく、あんたら三人とも心配してしょっちゅう叱り飛ばしてたしね。そんなにだめだったのか?あの子は?」

「いや、狩りはだめじゃないけど、とにかく世間知らずすぎるんだああ」


グリューとアシアナはそんなでもないが、ジールはなんだかげっそりしてきたね。これは話を変えた方がいいかね。


「うちには二泊しかしなかったけど、礼儀の正しい子だと思ったけど。確かに世間知らずではあるね」


カウンターの三人が全員深くうなずいた。まあ、確かに世間知らずだったよ。



「ダンダさん、ノンナさん、今日宿泊まれる?こいつ泊められるなら泊めてやってよ。村長が戻るまでだから二日ぐらい」


あの前代未聞の六月の肉祭りの日にグリューがうちに連れてきたのがカイだった。あのとんでもない数の獲物はこの子が一人でやったとか。お金もあるけど、肉払いでいいかってグリューが言ってきたから、鳥とシカときつねうさぎの良い部位をいくつかもらうことにした。


「二階の一番手前の部屋を使っておくれ。鍵はこれ。今日の夕食は外の焼き肉で済ませておくれ」

「ありがとうございます」

「いや、ちょっと待って。部屋に行く前に血を落としてきて」


一日狩りをしていた割には綺麗な方かもしれないが、頬にも身体にも血が飛び散ってるし、なんかちょっと臭くなってきてる。このまま宿に入られるのはちょっとね。


「ここの奥の扉を出ると中庭があって、そこに井戸があるから。その井戸の水は飲めないから、主に洗濯とか髪を洗ったり、身体を拭いたり専用だよ。その代わり井戸の水はいくら使っても大丈夫。とはいえ、うちの人もあたしも後で使うから、その分は残しておいて」


うちの宿にはずぶ濡れでやってくる人、獣に襲われて血まみれになって飛び込んでくる人、そうじゃなくてもここに来るまでの旅で砂埃まみれになっている人、いろんな人が来るから、受付のすぐ脇に中庭に抜けられる扉をつけておいた。中庭にはタープも設置してあるし、ちょっとした物置や洗濯用のたらいや桶も用意してある。


「手ぬぐいは持っているかい?」

「大丈夫です。持ってます」

「じゃあ、行ってきな。もう暖かい時期だから水でも大丈夫だろ。井戸のそばに小屋があるから荷物はその小屋に入れて簡易の鍵をかけておくといいよ。それから洗濯するなら鉄のたらいは使って良いよ。木のたらいは血がしみこむと臭いがつくから、血がついているときは使わないようにしておくれ」

「鉄のたらいですね。わかりました」

「小屋と井戸の間にタープがあるから、その下で水浴びしたら上からも見えないからね」

「タープ?」

「布で出来た日よけみたいなものだよ。うちのは青い布だから、その下で水浴びしなってこと。扉の方の側面にも日よけをつけているから、上からもこの扉側からも覗かれないようになっているからね。行ってみればわかるよ」


うちの家の小さな中庭は宿の棟と食料庫の小屋と物置小屋に囲まれていて、外からは見えないが二階の客室の窓から見えてしまうので、タープはつけた。最初はタープだけだったが、他の人が井戸をつかっているときに間違えて中庭に入ってしまう人もいたから、タープにシェードも立てかけて、今は半ばテントみたいになっている。

そうか。簡易のテントって言った方がわかりやすかったかも。次からタープを知らない人にはそうやって説明しよう。


「では、お借りします」

「はい、どうぞ。今日はあたしら夫婦とあんたしかいないからね」


そう言って中庭の方に案内した。扉を閉めるとしばらくは中庭の方からザザザッという水をかぶるような音と、何やら洗濯しているようなザブザブという音が聞こえていた。

四半時ほどでカイは戻ってきたが、短髪だからか、すっかり髪も乾いていた。


「お、男っぷりが上がったね」

「ありがとうございます。できるだけ血はつけないようにと思って倒していたんですけど、周りを草に囲まれていたから、飛び散った血が跳ね返ってきて、ちょっと困っていたんです」

「いいよ、これも宿のサービスだからね」


そう言うとニコッと笑って二階に上がっていった。

いやあ、まだまだかわいらしい感じだね。

若いから結構水を飛び散らかしているかもしれない。そう思って中庭を見たが、周囲は綺麗だし、血の臭いもしない。たらいも綺麗に拭い取られたように乾いているし、タープの下の土も水浴びしたとは思えないぐらい乾いてる。ついでになんだかタープもシェードも綺麗になっている気がする。


「まあ、綺麗につかったもんだね」


若い男の子にしては少しも乱暴なところがないし、そういえばさっき外で焼き肉を食べているときも、齧りついていた割には綺麗な食べ方をしていたね。


「育ちがいいってやつかね」


よほどしっかりした親御さんだったんだろう。

これなら部屋も綺麗に使ってもらえそうだ。こういう客ばかりだと楽なんだけどね。

その晩、カイの泊まった部屋からは物音一つしなかった。


宿屋の朝は早い。

宿泊客の朝ご飯の準備は日が昇る前か始まる。

特に今朝はまったく仕込みをしていなかったから、ちょっと手がかかりそうだ。

とはいえ、客は一人だし、食材も昨日まで無かった肉がたっぷりあるから、何でも出来る。


「ダンダ、おはよう。今日は何にする?」

「昨日はイノシシ肉を食ってたみたいだから、今朝は鳥の肉をつかって、あっさりとした煮込みでいいだろう。あと、昼飯がいるのか聞いてるか?」

「あっ、聞き忘れちまった。とりあえずパンに薄切り肉と野菜をはさんだ物を用意しておくよ。あの子が持って行かないなら、あたしが食べるし」

「うむ。朝の分は三人分だし、今朝は食堂も朝は休みとお知らせを出したし、ノンナは昼食の仕込みを頼む」

「あいよ」


そう言ってしばし無言で作業する。朝食はダンダがささっと用意するようだから、あたしは昼食用のシチューの仕込み。朝食用の準備はあっさり終わったようでダンダは昼食用のパンの準備に入った。


「朝食のパンは?」

「昨日の夜用に焼いた分が残っているからそれだな。昼もそれに腸詰めをはさむ」

「腸詰め、昨日作ったのかい?」

「五本だけな。今日は燻製と腸詰め」

「あいよ」


朝食と昼食準備が終わったら今日はひたすらあたしは燻製、ダンダは腸詰め。今日もずっと肉作業だね。ギルドに依頼でも出すか。


そのうちにカイが起きてきたので朝食を出して、今日の予定を聞く。

今日は狩り禁止とされたから、組合に行って他に出来る仕事がないか聞いて、何もなければ草刈りにいくらしい。


「昼食は何かいるかい?」

「何か外に持って行けるようなものありますか?」

「パンに腸詰めはさんだ物でよければ銅貨二枚」

「二つください」

「あいよ」


パンを二つだけ布にくるんで机の上におくとカイが銅貨五枚出してきた。


「一枚多いよ」

「?宿にお金を払うときは少し多めに払うって教わりました」

「誰に?」

「イケーブフの宿屋の人に」


思わずため息が漏れる。小首かしげて不思議がってる場合じゃないんだけどね。この子は。


「イケーブフではそうかもしれないけど、普通の宿はいちいち多めに払う必要は無いよ。通常料金だけ払えばいい。もしも部屋や食事が気に入ったなら、宿を出る最後にちょっとだけおまけしてくれればいい。多くても小銀貨一枚だね。毎回の食事で払っていたら、変なことになるじゃないか」

「そうなんですか?」

「…あんたイケーブフの宿で普通に決まったお金以外にいくら追加して出した?」

「えっと、食事が二回と昼食のパンにそれぞれ銅貨一枚、一泊で宿泊費が小銀貨五枚だったからそのときに小銀貨を一枚で小銀貨一枚と銅貨三枚、あと地図を見せてもらったので銅貨一枚」

「多すぎだよ。地図なんていくらでもただで見せてやるし、そもそも組合に行けば近隣の地図を一枚もらえるよ」

「え?」

「あんた、言われるままに支払ってるんじゃないよ。決まった料金だけ払う。あと宿は宿泊費とかかかる費用を最初に提示することが商業組合のルールで決まっているからね。それ以上払うのは、三日以上連泊して世話になったときとかで十分だよ」

「え?」

「イケーブラでも払ったのかい?」

「いや、イケーブラはイメルダが独立したお祝いって言って払っておいてくれたんだ。隊商と一緒の大部屋だったし、子供の面倒みたりしたからおまけだって」


はあ。

イメルダ、お祝いするぐらいなら、この子に常識を教えてやりなよ。完全にかもにされてるじゃないか。


「カイ、あんたこの村でしばらく働くんだろ?」

「はい」

「何か不自然にお金を払うように言われたら、すぐにお金を払わずに少し考えますって言って、アシアナちゃんのところに行くか、あたしんところに相談においで。わかったね」

「はい!」



「…なんてことがあったんだよ。カイが来た日に」


そんな話をしたら、目の前の三人が頭を抱えていた。


「イメルダさん、カイくんを一人で放り出すの駄目、絶対」

「カイの坊主、ここに来る前もやらかしてんのか」

「あのやろう、イケーブフで何やってんだああああ」


もう、アシアナちゃんもグリューとジールも完全に保護者目線だね。確かにあの子は世間知らずで、よくだまされる。

この前来た隊商にも値引き交渉を一切しないもんだから、カイが来たときだけささっと値札変えている輩がいたよ。注意はしておいたけど。この先もあの子は苦労しそうだ。


「どうしよう?一般的な物価を教えてあげるべきかな?」

「頭はいいから憶えんのは早えと思うが」

「いや、最近品不足で高くてって言われたらそのまま払いそうだよなああああ」

「…酒のおかわりは?」

「「「いる!!」」」

「まいど!」


今日もカイのことを話すだけでこの三人は酒が進みそうだね。アシアナちゃんはさっき水を飲んでたこと忘れて、酒呑みたそうにしているし。


その後、三人のグラスが空いた頃に


「そういえば、不思議なぐらいカイが泊まった部屋が綺麗でね。ベッドも使ってないんじゃないかって思うぐらい綺麗だったんだよ」


という話をしたら、三人とも酒をおかわりして、何やらひそひそ話し始めた。


その日、宿を出た後、カイが村長から借りた家にジールが泊まりに行って、翌朝、村長のところに行ったみたいだから、なんか常識外れなことをまたやらかしていたみたいだね。

まあ、あたしは深入りしないことにするよ。

不思議なことは、『不思議なこともあるんもんだ』、と流して、綺麗さっぱり忘れることも宿屋には必要なんでね。

それに深入りしたら、あたしもあの子を見るたび頭抱えそうだし。

物の値段をちょっと高いね、まあまあ安いねって教えてあげるだけの関係。あとは肉を仕入れるために大事な狩人さんにおまけをちょっとするだけの関係。

それでいいじゃないか。

あたしはそう思うんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る