第9話 里にて:語り部は語る
里の入り口は全開で、駆けてきた馬車を迎え入れた。
「大婆様はいるか。連れてきたぞ」
「大婆様はすでに外たる洞窟だ。急げ。語り部様をお連れするんだ」
馬車の前に板が運ばれてくる。倒れた人を乗せると板の上に風精霊が集って負担にならないように浮かせてくれる。人を運ぶための板だ。
「語り部様をこちらへ」
「やばい、黒化が始まっている。急いで洞窟へ」
板を持って、急いで洞窟へと運んでいく。
板を水平にさえしてあれば、風精霊のおかげで重みはかからない。
「誰の語り部かは訊いたか?」
「カイが言うにはリーザさんの語り部じゃないかって」
アシャが答えると、ひっ!という引き攣れた声が聞こえた。
リーザの母親がそこに居た。
リーザ、リーザなの!という叫びながら板の方に向かっていこうとするのを周りの人が押しとどめている。
「揺らすと危険だ」
「とにかく洞窟へ急げ」
精霊も力を貸してくれて、高速で移動する。
外たる洞窟の前には大婆様と里長様がすでに用意をして待っていた。
大婆様が語り部に杖をかざして何やらブツブツをつぶやくと杖が光る。
「洞窟内には長と光の契約者上位十名、それとカイルとアリーとイルド。以上のものが入ってよいじゃろう。あとの者はここでお待ち」
カイルとアリーというのはリーザの父母でイルドはリーザの兄だ。
語り部がリーザの語り部なのは間違いないだろう。
光の契約者が十名というのは、死にかけるほどの大けがをした者を救うときに必要な人数で、事態が相当悪いことを示している。
カイルとアリーの顔は真っ青だ。
イルドが母のアリーを支えるようにして洞窟の中に入っていった。
中と言っても外から見えるぐらいのところで、そっと語り手の身体が地面へと下ろされた。
「ここは外たる洞窟の守護域。語り部よ語っておくれ。この子に何が起こったのかをの」
大婆様の声は契約していない精霊にも届くと言われている。
外たる洞窟の奥の方から光の奔流が語り部の方に向かってきて、語り部をやさしく包み込んでいく。
そして、語り部は語り始めた。
その日リーザ達のパーティは護衛の依頼を受けていた。
迷宮に初めてダイブする若手のダイバーの引率兼護衛というもので、守る対象は迷宮都市の大店の息子ということだった。装備は最上級品でそろえられており、装備だけで階層の低いところでは無双が出来そうなお坊ちゃんとおつきの護衛が一人、それと従兄弟だという男性が一人、合計三名の護衛だ。
リーザ達が護衛する以上、危険地域には立ち寄らないように言い聞かせ、道を外れないように誘導し、三階層まで進んだ。
依頼の内容は三階層までだったので、あとは戻れば完結する簡単な依頼だった。
ただ、そのお坊ちゃんが三階層をもう少し見てみたいといったので、三階層を探索してから帰ることにした。
それが間違いだった。
三階層には空から奇襲してくるブラッドイーグルという鳥がいた。その鳥の巣は岩山にあるため、三階層では岩山のそばに近寄らないことが鉄則として知られていた。
リーザ達も近寄らないようにしていたが、お坊ちゃんがホーンラビットを一頭仕留め損ねた。
ホーンラビットは岩山の方に逃げていけば深追いされないことを知っていたのか、ひたすら岩山の方に駆けていく。
そしてリーザ達や護衛の制止も振り切ってお坊ちゃんが森から岩山へと変わる境界線を越えた瞬間、ブラッドイーグルの一斉攻撃が始まった。
あわてて護衛がお坊ちゃんを抱えて森の方に戻ってきたが、空を覆うようなブラッドイーグルに全員が即時撤退を決めた。
お坊ちゃんを抱えた護衛と従兄弟の男性を囲んで、先頭は剣士と斥候が道を開き、護衛対象の左右についたリーザと魔法使いが左右から上空を牽制し、最後尾をもう一人の剣士と盾士が守って後方からの襲撃を阻む。
リーザの弓はカイの師匠だけあって速射が尋常ではない。
ブラッドイーグルたちもやがてリーザが強敵だと気づいたようで、リーザを避けるように魔法使いの方を強襲し始めた。
魔法使いは走りながら結界を貼り、襲撃を阻んでいたが、一羽のブラッドイーグルが結界の隙間をついて内部に入り、護衛に斬られた。
そのブラッドイーグルの血が坊ちゃんの目に入ってしまった。
魔物の血は強毒でのたうち回る坊ちゃんは護衛の手を離れて地面に転がった。
悲鳴に気づいた前衛が止まったので、隊列が崩れることはなかった。
とっさの判断で魔法使いが全員を囲む結界を貼り、リーザが腰のポーチから魔法薬を取り出した。
それは里から与えられた魔法薬で対象の傷にかけるか、ほんの少し薬を飲ませた上でリーザが精霊の力を借りることで傷を癒やす薬。
リーザが薬を目にかけて、呪文をそれっぽく詠唱するふりをして精霊の力を借りると、坊ちゃんの傷はみるみる癒やされて、目が開くようになった。
ついでに薬をほんの少し舐めさせて、身体の疲れを癒やす。
坊ちゃんの疲労がなくなったことで、ここからは坊ちゃんも走って、護衛も前衛に混じって走ることにする。
すでに結界の周りはブラッドイーグルで覆い尽くされており、ここから出るのは至難の業と考えられた。
だが、リーザは自分の持つ矢の半分以上を使い前方に雨のように矢を降らせ、一瞬で前方の道を開いた。
その道に向かって全員で駆ける。
二階層へと戻る階段が見えてきた頃にはブラッドイーグルも諦めて岩山へと帰っていった。
ところが一羽のブラッドイーグルだけが残っていた。
二階層へと戻る階段へと向かっているところでブラッドイーグルが強襲してきた。
多数のブラッドイーグルに囲まれていたときは射れば当たる状態だったが、一羽のブラッドイーグルはなかなか素早い。
一羽だけ残って強襲する度胸からもこのブラッドイーグルが相当な強敵であることはわかったが、素早さに翻弄されて、散会しないと同士討ちになりそうだった。
護衛対象者は後衛の剣士と盾士と斥候にまかせ、リーザと剣士と魔法使いで迎撃を試みる。
リーザの矢が当たりブラッドイーグルが落ちてきたときに、斥候が声をあげた。
すぐわきの草原から迷宮オオカミ3頭が強襲。一頭はリーザのすぐ脇だった。
体制をくずしたところにもう一頭が食いつきリーザの左肩から喉を噛みつかれた。
剣士が首を切って迷宮オオカミの頭が離れたときにリーザの首から血が飛び散った。
魔法使いが慌てて止血する。
二人の剣士が迷宮オオカミを相手取っているところに再度斥候から警告。慌てて盾士がガードするが、現れた迷宮オオカミは三頭で盾士の横を抜けた一頭が護衛の剣をかみ砕いて肉薄する。
それを見た坊ちゃんが下手な剣を振り下ろしたところで、剣を避けた迷宮オオカミに左腕を噛みつかれた。
剣を捨てた護衛が慌てて迷宮オオカミの頭を殴りつける。
迷宮オオカミが口を離した隙に、他の二頭の迷宮オオカミを受け流して剣士にうまく誘導した盾士が割って入る。
盾士はもう片方の手に持った斧で護衛を襲った迷宮オオカミの頭をたたき割る。
残りもすでに剣士が斬っており、周りに他の魔獣がいないのを確認して斥候がリーザのポーチから薬を出した。
本来なら薬をまずリーザに飲ませて、リーザを回復させ、それからリーザが精霊の力を借りて坊ちゃんを回復するべきだった。
パーティのメンバー達は今までも多くの修羅場をくぐり抜けており、リーザの薬にはリーザの詠唱が必要なことを知っていた。
だが、薬があれば助かると思った護衛対象の従兄弟の男が動き、斥候が取り出した薬を奪って全量坊ちゃんの傷にかけてしまった。
止める間もない一瞬のことだった。
リーザの力がなければ傷は治らない。
それを聞かされたときにはすでに薬は一滴も残らず坊ちゃんの傷から地面に落ちきっていた。
そのとき、リーザの契約精霊ルーと呼ばれていた光の精霊は決意する。
このままではリーザは死ぬ。
あの坊ちゃんぐらいの傷であれば傷跡は残るかもしれないが命に別状はない。
だが、リーザの傷は深い。
あの薬さえあれば助かったはずだが、薬は失われてしまった。
もう一刻の猶予もない。
ルーはリーザの魂が身体を離れる前に精霊石に封じ、自らの魂をリーザの身体に転移した。
その瞬間、赤髪、茶色い目のリーザの身体は真っ白な髪と黄色みがかった薄い色の瞳に変貌する。
自らの力を使ってリーザの傷から流れる血を止め、坊ちゃんにも癒やしの力を飛ばす。
そして、従兄弟の男とやらに呪いの力を放つと髪の色が一房黒く染まった。
その後は一気に迷宮の外へと移動する。
パーティのメンバーが何やら叫んでいるが、もうどうでもよい。
血は流れ落ちないように止めた。だが、傷は癒やし切れていない。
急いで傷を癒やす必要がある。
とはいえリーザの身体は今や精霊の器になっており、薬などは受け付けない。
イリシアの里に急ぎ戻らなければならない。
身体強化をかけて、傷が動かないようにせめて固定し、自身の姿を隠蔽し、ひたすら道を走る。
ケーブ、イケーブエ、イケーブス、イケーブフ、だが、力が尽きそうになる。
力が尽きれば傷から血が噴き出してリーザの身体が死んでしまう。
イケーブフでたまたま里の出身者に出会い、乗合馬車を手配してくれた。
里の出身者が乗り合い場所の御者に金を払い、イケーブラの村長のところに連れて行ってもらように依頼してくれた。
イケーブラの村長のところに連れられて、客屋に入れてもらった。
だが、イリシアの里人はなかなか来ない。
村長が鳩を試しに飛ばしてみたが、すぐに手紙をつけたまま、どこにも手紙を届けずに戻ってきてしまう。
ようやくカイとオーロが来るまでに一月の時間がかかっていた。
「あぁ、リーザ・・・」
リーザの母のアリーは話の途中からずっと泣いていた。
カイルとイルドは手を強く握って感情を出さないようにしているようだったが、従兄弟が薬を全部かけられたと聞いたときにはカイルは真っ青になり、イルドは誰かを殺さんばかりに虚空をにらみつけていた。
語り部。
それは命の危機に契約精霊が契約者の身体を奪い、契約者の魂を精霊器に移し保護した状態。
その命の危機に至った経緯を伝えることから語り部と呼ばれている。
語り手はその精霊の色を身にまとう。
火の精霊の契約者であれば赤毛、赤眼になっただろう。
リーザは武闘派にしては珍しく白の癒やしの精霊と契約していたのだ。
ただし、語り手となっても精霊は何も見ない。
精霊の力で外の状態を把握する。
だから、目の焦点はあわない、どこを見ているのかわからない、里に戻るまで何も話さない、不思議な気配を漂わせた存在になる。
里を出た者達が出会った語り部を里に送り返すのは、語り部達は死に瀕した身体を維持するのに手一杯な状態でろくな力を使えない上に、力を失って身体を契約者に返すとすぐに死んでしまってもおかしくない状態のはずで、命をつなぐには里の癒やし手の力が必要だからだ。
「聞いたかえ?癒やし手たちよ。左肩から喉にかけてじゃ。用意はいいかえ」
「はい、大婆様。始めてください」
「語り部ルー。よくこの里の子の身体を守ってくれた。今こそ元の姿に戻しておくれ」
語り部は小さくうなずくと目をつぶった。
語り部の白と黒の混ざった髪が少しずつ赤くなり、肌の色も真っ白い肌から少しずつ普通の肌の色に、そして首にはぱっくりとあいた傷が見えてきた、その瞬間、傷に向かって白の癒やし手たちの力が飛ぶ。
これ以上一滴の血を流すことも許さない。
そういわんばかりの光の奔流が徐々にリーザの姿に戻っていく身体を包む。
やがて、髪がすべて赤く染まり、首の傷もすっかり消えた。
だが、光の奔流はまだ収まらない。
長く精霊に渡していた身体は食事も取らず消耗している。
皮膚も筋肉も内臓も治さないといけない場所は多岐にわたる。
力の弱い癒やし手が手を下ろして膝をついた。
また一人。
十人の癒やし手が力を使い、一人、また一人と離脱する。
リーザはまだ目覚めない。
少しずつ離脱し、癒やし手が残り三人となったとき、まぶたがピクッと動いた。
癒やし手達が力を放つのを止め、大婆様が手首をとって脈を確かめる。
「いい腕だね。相変わらず」
その言葉を聞くと空気が緩んだ。
癒やし手達は全員洞窟から出ていった。
大婆様が杖で指示を出し、リーザの家族もリーザの方を何度も振り返りながら長とともに洞窟を出て行く。
そして、リーザと大婆様だけが洞窟に残った。
「ルー」
大婆様が呼びかけるとリーザの胸から弱々しい小さな白い光がふらふらと浮かび上がり、大婆様の差し出した手のひらの上に止まるように落ちていった。
そして、リーザは目覚めた。
「ここは?」
「里じゃよ」
「大婆様?」
まだ横になったまま顔だけ動かして大婆様の方を見るリーザに大婆様は語りかけた。
ダイバーとして受けた依頼で大けがをしたこと
薬が失われたこと
精霊に身体を渡したこと
そしてその状態が長く、リーザも精霊も弱っていること。
「ルーも弱っているの?」
「弱っておるの。力をほとんど使い果たしておる。もう精霊としての姿を保つのも辛かろう。それに黒化も
しておる」
「黒化?」
「呪いをかけたのじゃよ。まあ、おぬしが生き返ったから黒化も緩んだようじゃが、力はその分失われておるの」
本来ルーは癒やしの力を持つ白い精霊で、リーザも癒やし手としての能力を持っていた。
しかし、リーザから薬を奪った男に呪いをかけたため、髪の一部は黒くなっていた。
よくよく見ると大婆様の手のひらの上の光にところどころ黒い点が混ざっている。
「ここがなぜ外たる洞窟と呼ばれているかわかるかえ?」
首を横に振るリーザに大婆様は語る。
ここは精霊にとっては里の結界から分離された特殊領域で外の影響を受けている。
本当に里の結界の「外」なのだ。
外の人々の営みにより生まれる里よりも少しよどんだ気。
そういった気を必要とする精霊もいるのだ。
それが外たる洞窟にいる精霊たち。
彼らは力が失われる前に里人とともに里の結界を抜けて外に行き、外の気を存分に吸って、力を増やしてここに戻ってくる。
そして里の中で力を使えば徐々に力は減っていき、外たる洞窟に流れ込んでくる外の気だけでは力が維持できなくなるとまた里人について外に出る。
時には里の中で力を使わずに長く過ごすこともある。
外の気を必要とするとはいえ、外の世界にいると外の魔法使いに捕まって力を奪われることもある。
精霊といえど、外の世界は危険で消失の危機もあるのだ。
その点、この里の外たる洞窟は外の気も入ってくるし、力を奪われることもない。
ここは安寧の地なのだ。
「じゃがのぉ、この精霊は力を失いすぎた。このまま外たる洞窟にいても力を吸収する力が弱すぎて、消えてしまうじゃろう。誰かが外に連れて行ってやらねばならぬ。しかも精霊の力が失われておるから、守護はしばらく得られぬ」
リーザの身体の状態を考えると白社で道違えの儀を行って、別な者がルーを連れて里を出る方が良い。
「じゃが、この精霊はもう道違えの儀にも耐えられまい」
つまり、リーザがすぐにルーを連れて里を出なければ、ルーは消失してしまうだろう。
「外というのはどこまで行けばいいの?野営地でもいいのかしら?」
「野営地でも良いが、もっとも良いのは迷宮都市じゃろうの。あの迷宮は強烈な気を放っておる。外の気を必要とする精霊達が力を得るのに最も良い気があの都市に満ちあふれておるのじゃ」
リーザの身体はまだ治ったばかり、筋力が落ちて指を動かすのも辛いぐらいだが、ルーが消失するまでにあと十日もないだろうとのこと。
まだ成人儀礼があったばかりで里から次に誰かが離れるのは一月後。
つまりリーザが十日以内にルーを連れて里を出なければルーは消えてしまうだろう。
「考えるまでもないわ。ルーがいなければ、今の私はない。なのに、ルーが消えるのをみすみす見ていろと?あり得ないわね」
「行くかえ?」
「行きます」
リーザは身体を倒してうつ伏せになると、ゆっくりと身体を起こしていく。
腕をついて膝を立てて、一瞬うずくまるが、なんとかその場に座る。
「そんな身体でいくのかえ?」
「十日以内でしょ?十分よ。いえ、五日で出るわ。ルーが消えてしまったら何にもならないもの」
「今度は死にかけても精霊は守ってくれぬぞ」
「わかっています。でもこのままではルーが死んでしまうから」
そういうとリーザは首からさげていたペンダントを取り出し、立ち上がった。
リーザの精霊器は武器や道具ではなく、外たる洞窟の精霊が宿るのには珍しいこのペンダント。
それをそっと大婆様の手のひらにかざす。
ルーと呼ばれた精霊の光はそのままペンダントへと消えていった。
真っ白だったはずの石は、今は少し黒が混ざっている。
そのほんの少しの黒さが哀しかった。
大婆様にうながされ、リーザと大婆様も洞窟を後にする。
ここでの会話は秘するようにと口止めされた。
これから家族を説得しなければならない。
ルーのことを話さずにこの身体で里を出ることを家族に承知してもらわないといけない。
ため息が漏れる。
それでも、自分は行かなくてはならない。
「まずは野営地まで行くわ。そして、来月外に出る人を待ってイケーブラへ、そして迷宮都市に行くわ」
「それがよいじゃろうのぉ」
ありがとう。ルー。
今、私がここにこうしているのはルーが身体を守ってくれたから。
ルーは絶対に消失させない。
ルーこそが自分のパートナーなのだから。
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