第8話 野営地再び

翌日も天気は良く、馬で駆けるには気持ちの良さそうな、やや気温の低い朝だった。

日が昇り始める頃に起床し、弓と矢筒は焔舞に収納してもらい、剣と焔舞の短剣を腰に装着し、慌ただしく宿を出る。

野営地まで駆けて、そのまま今日のうちに戻ってきたいので今晩の部屋も押さえてもらうことにしたが、戻りは遅くなるかもしれないので夕食は不要と伝えておく。

貸し馬屋にも朝早く出立することを伝えていたので、昨日目をつけておいた青鹿毛の馬を借りる。


「早ければ今日の夜、遅くとも明日の夕方までには戻ると思う」

「気をつけていけよ。うちの馬を頼む」


森でオオカミが出たことはもう知られている。

一度人を襲撃したオオカミたちは次も人を襲撃する可能性が高い。

貸し馬屋は保証金があっても貸し渋っていたが、マカリィさんが口をきいてくれたので、なんとか借りることが出来た。


そのまま村長の家の客屋に行く。

語り部は昨日と同じようにベッドに腰掛けていた。


「あなたはリーザ姉の語り部なのか?」


そういうと語り部は俺の方に顔を向けた。


「そうみたいだな。これから里に向かう。ついてきてくれ」


そう言って俺は両手を差し出した。

語り部は両手を俺の手の上に重ねたので、そっと手を引いた。


「立てるか?」


だが、どうやら動けないらしい。ふるふると顔を横に振る。


「抱え上げるから、注意してくれ」


そう言うと膝と背中に腕を回してそっと抱き上げた。

軽い。

驚くほど軽い。

そのままゆっくりと抱き上げて、馬の背に横座りで座らせると、その後ろに飛び乗った。


「この方が世話になりました。ありがとうございます。薬草はあとで持ってきます。客屋は明日か明後日に掃除に来ればいいですか?」


そんな風に家から出てきた村長に問うと、


「いや、大丈夫だ。掃除はこちらでやっておく。気をつけて行きなさい」


と言いながら見送ってくれた。


村の中はゆるゆると馬を歩かせて、村の門を出てから速度を上げる。

もう今は俺と語り部しかいない。

村の方から来る人もいないようだ。

ならば、


「焔舞、この馬に強化を走力と体力、あと結界と隠形を頼む。一気に駆ける」


…承知


焔舞の声と同時に馬の周りに赤い光が輝く。

焔舞の支援と結界、それにオオカミに気づかれない隠形だ。


「すまんが一気に行く。頼むぞ」


馬にそう声をかけると少し腰を浮かせて、馬を走らせる。

体力も強化されているし、荷物も少ないし、語り手も軽い。一気に駆ける。

イメルダに仲介してもらうほうがスムーズに村に入れると思ったからイメルダの隊商に合流してここまで来たが、正直、俺とオーロだけなら野営地で一泊しなくてもイケーブラまで半日で来れたはずだ。

精霊の強化はそれほど恩恵が大きい。

今も語り手がいるから馬を借りているが、極論馬を強化するより自分の脚力を強化したもらう方が早くなる。

馬は精霊と相性がよい動物の一つだから恩恵を受けやすいが、俺たちのように精霊に名をもらった契約者の方が精霊の魔法の利きが良い。

俺一人ならイケーブラから野営地まで一刻でつけたと思う。


そろそろオオカミに襲撃された地点を通り抜けるが、気配を探ってもこちらに気づいた様子は見られない。

一度などオオカミと併走したのだが、まったく気配に気づかれなかったようだ。


…認識阻害も追加している。語り部がいる以上、念には念をいれている。


なるほど。そこまで精霊にされていたら、オオカミたちも気づけるはずがない。

このペースなら野営地に昼前に十分な余裕を持って着けるだろう。


そのまま駆けていたら野営地には昼よりもかなり前に着くと思われたが、語り部が辛そうにしていたので、途中で少し休憩を取った。

川沿いで焔舞が結界を作って語り部と馬を保護してくれていたので、ここで少し薬草を探す。

村長に頼まれた薬草は野営地、いやイリシアの里に近づくほどよく生えているのだが、この辺りでも少しは採取できる。

ついでに川魚目当てで川にやってきた鳥を二羽ほど射て捌いておく。

青い翼の美しい鳥で、この羽が結構な値段で売れるらしい。

薬草も採っていくがこういった珍しい羽も村の収入にはなるだろう。

語り部が来たら保護してくれているのだから、出来るだけのことは返しておきたい。

もっとも、里の者が来るたびに村長には謝礼を渡しているらしく、今回の語り部は一月ほど面倒を見てもらったようだが、部屋を貸しただけで何を飲み食いするわけでもなく、このぐらいならまだまだおつりが来るぐらい里から便宜をはかってもらっていると言うことで、薬草もあるならうれしいが、なくても困らないと言われている。

ただ、俺たちにとって語り部保護は非常に大事なことだから、俺の心情的にはこれでも足りない。

オーロも時間さえあれば何かお返ししたいと言っていた。


休憩を終えて、さらに馬を駆って、つい一昨日出たばかりの野営地についたのはお昼前ぎりぎりだった。

昨日のうちに鳩は着いているはずだから、里からの迎えも着いているかもしれない。

前回はイメルダが一緒だからゆっくりと馬車で移動したが、里人だけなら里から野営地まで一刻ぐらいで着いてしまう。

霧の結界は俺たち里人にはやさしいから。


案の定、野営地には一大の馬車が止まっていた。


「カイ、こっち!」

「イータ、アシャもか!」


そこにいたのは一緒に成人儀礼を受けたイータとアシャ、それに


「俺もいるぞ」


といいながら、御者台から降りてきたのはデュークだった。


「成人してからの初仕事ってことで俺たちが任された。これも里人の大事な勤めだけだからってな」


デュークが言うように成人後には村全体に関わる仕事を一つ任される。

祭りの準備とか、精霊の洞窟周りの清掃とお清めとか、時期によって任される仕事は変わるが、語り部のお迎えなんて五年か十年に一回あるかどうかなので、元々は来週行われる夏畑の整備が予定されていたはずだ。

だが、こちらの方が優先度は高いし、野営地に来るぐらいなら新成人でも大丈夫と判断されたんだろう。


「カイ、その人が?」

「あぁ、この方が語り部だ。おそらくリーザ姉の語り部だ」

「リーザさんの?」

「リーザ姉さんとは思わなかったな」


アシャに訊かれて語り部をそっと馬から下ろしたが、アシャもデュークも驚いていた。

俺の弓の師範だけあって、リーザの腕は俺より上だ。ただ、接近戦はあまりうまくなかった。

誰かと組んでいたら無双の強さを誇っていたはずなんだが。

確かリーザ姉が里を出るときは外に出ることを選んだ里人が一人だけで、一人でイケーブラに向かったはずだ。それから三月ほど経って来た便りによるとパーティを組んで迷宮都市で迷宮にダイブしていると書いてあったと家族が言っていた。


語り部は立っているのも辛そうだったので、デュークに手伝ってもらって馬車に乗せる。


「精霊に頼んで走力強化をするのと、振動を与えないように。クッションを多めに置くか、可能なら浮かせておく方がいいかもしれない。かなり状態が悪そうで、余計な負担をかけさせない方がいい。あと、イータは治癒をかけ続けてあげてくれ。多分状況が相当悪い」

「わかったわ」


イータの精霊石は白だった。

おそらく光系統の魔法が使えるはずで治癒も使えるはずだ。

語り部も白だからおそらくその素養はあると思うのだが、力を失いつつあるのか、ずっと苦しそうにしていた。

イータが馬車の荷台に乗って、語り部に魔法を行使始める。

このメンバーに黄色い精霊石を持った者はいなかったはずだから今浮かせるのは厳しいかもしれない。

霧の中に入れば風精霊達が助けてくれる可能性はある。


「アシャ、ここから先は大丈夫だと思うが、どうも街道沿いにオオカミが多い。デュークが御者をするならアシャが警戒してくれ。霧に入れば警戒も要らないから、アシャも語り部を守って身体に振動を与えないようにして、そして全速力で里に戻ってくれ」

「わかった。カイも戻るとき気をつけてね」

「あぁ」


馬車の向きを変えていたデュークが何やら持ってきた。


「昨日急遽仕上げたものだ。イケーブラの村長に渡してくれ」

「メイル羊の毛織物か」

「あぁ、次の夏祭り用に準備していたものをイケーブラの村長に回すことにした。よろしく伝えておいてくれと長と婆様から伝言だ」

「わかった」


慌ただしいが、俺も村に戻らないといけないし、デューク達も急いで語り部達を里に連れ帰らないといけない。


「カイ、元気で」

「これから気をつけてね」

「わかった。そうだ、大婆様に俺からも伝言があるんだ」

「何だ?」

「俺とオーロがイケーブラの鳩屋に行ったときに三月ぶりの里人だと言われたんだ」

「何?」


デュークはすぐに俺の言いたいことを察してくれたようだ。

俺たちイリシアの里人は商隊と一緒に里を出るか、時には一人で里を出るかだが、かならずイケーブラに行くように言われている。

野営地からイケーブルに行けなくもないが、いったんイケーブラに行って組合に登録するように言われている。マカリィさんに教えてもらったが、そのときに鳩屋のガンツさんを必ず紹介してくれるらしい。

確かに里に手紙をだすためにはガンツさんを知っておかないと行けないし、ガンツさんにお金も預けておかないといけない。

だから、里を出た者は必ずイケーブラに行けと言われている。

なのに三月ぶり。

では、二月前に里を出た二人はどうしたのか。


「わかった、大婆様に伝えておく」

「頼んだ。じゃあ、俺も馬に水をやったらすぐにいくよ。日が落ちる前にお互いたどり着きたいし」

「気をつけろよ」

「そっちもな」


俺は毛織物を丸めて馬の背に乗せて、馬を野営地の水飲み場に連れて行く。

その間にデューク達は野営地から去って行った。


今度こそ一人で。まずはイケーブラへ、そしてイケーブスへ行かなければ。

だが、その前にやっておく方がいいことが一つある。


馬に再びまたがり野営地を出てオオカミに気づかれずに森を抜け、草原まで出てきた。

馬を強化したので、まだ日が落ちるまで余裕がある。


「焔舞」


焔舞に呼びかけながら馬を下りる。


…どうした?

「ちょっと収納を試したい。弓を射終えて即座に高速移動しながら弓から持ち替えて抜剣の動作をしたいんだが、弓をうまく渡せるか、剣を収納から一気に抜剣できるか試したい」

…いいだろう。


焔舞が収納していた亜空間から弓と矢筒を出してくれる。代わりに剣を預ける。

少し先に何かの気配を感じる。

これはうさぎか?小動物の気配を感じる。

気配に集中して矢を射て、高速移動しながら弓と矢筒を投げるようにして焔舞に渡し、亜空間から剣の柄を握って抜剣して振り切る。


「きつねうさぎか…」


少し耳の三角にとがったうさぎが首を切り落とされていた。


「いまいちだな」

…どうかしたか?

「思ったよりもたつく。収納からの抜剣は今まで試したことがなかったから、こんなもんかもしれないが、里の結界内だと弓を放り投げても精霊の誰かが受け取って預かってくれていたから。それに比べると渡すというだけでワンテンポずれる」


それは一瞬の違和感ではある。

だが、その差が高速で動いているときには致命傷になりかねない。


…里には他の精霊も多くおるし、誰かが投げた者を誰が早く受け取れるか勝負しておることもあるからな。里では渡すと言うより投げるでも良いだろう。じゃが、外ではわらわしか受けとれんからの。

「外ではそんなには都合良くいかないか」

…練習すれば良いではないか。我らが組んでからまだほとんど日も経っていない。

「そうだな」


当初、俺は里を出たら迷宮都市に直行することを考えていた。

ただ、イメルダにも止められたし、成人儀礼の夜にこの先のプランを焔舞に語ったときにも止められた。

 焔舞と組んでまだ少ししか経っていない。ただ、つぶやくだけでも意図を汲んでくれるので、里の時よりも簡単に動けるかと思った。

 しかし、実際に動いてみると思ったように動けているわけではない。里の結界内でどれほどの精霊に助けられてきたのか。結界の外に出てまざまざと思い知らされた。


…外におれば私の力もどうなるかはわからぬ。極力自分の力だけで戦い、自らの能力を伸ばすことだ。

「わかった」


イケーブスに着いたら、最初は狩人がいなくて増えた獣たちを間引かなければならないので、焔舞の力も借りて全力で狩るとして、落ち着いたら焔舞の支援なしで、自分の力だけで狩りをしてみよう。

きつねうさぎの血抜き処理を終えて収納にしまいながら、思っていたほどこの先は楽じゃないかもしれないことに気づいて、ため息がこぼれた。

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