■ 154 ■ 決壊






 さて、今年の冬は妙に暖かく、この季節になればそろそろ雪がちらほらどころか周囲はもう雪に埋もれているはずなのだけど、


「今日も雨かぁ……通学には最悪だわ」

「そうですね。洗濯物も乾きませんし、館の皆も辟易しているようです」


 アイズと四人、傘を差しての通学である。

 雨が降るとね、貴人は皆自分では傘ささないから侍従を連れ歩くことになってね、人口密度が上がるのも難点なのよ。


 侍従を連れ歩けば泥で洗濯物は倍に増えるし、その洗濯物は悪天候で乾かない、とくる。

 そうするとどうなる? 使用人たちは服やリネンがありません、では済まされないから人力で何とかするのよ。


 室内でガンガンに暖炉の火をくべて、必死こいて人力で私たち貴人のために衣服とシーツ、手拭いなどを扇いで乾かすのだ。

 雨を喜ぶのは農民のみ。貴人からすれば雨なんて厄介な邪魔者以外の何者でもない。


 このアルヴィオスは気候的に北海道に近いからね、基本的に梅雨や秋雨はないんだけど……これも異常気象って奴かなぁ。

 何にせよ戦争中に雨が降らなくてよかったわ。っていや、この一回で異常な秋雨が終わりって保証はどこにもないわけだけどね。


「じゃ、また後でねアイズ」

「はい、姉さん」


 入口でアイズと別れ、相変わらず先生方の研究室に入り浸って質問ざんまい。放課後になれば新聞部の部室。変わらない毎日ってやつだね。


「紙も髪も湿気る湿気る、ついでに気分も湿気るってね」

「愚痴愚痴言わないで、こっちまで気分が滅入ってくるから。はいこれロディの茶会報告書でこっちがラナ、ネイのね」


 クローディア・グルーミー、コラーナ・プロウズリー、ネイセア・オーネイトらが参加した茶会の議事録がシーラから回ってきたので、新聞部室で流し読みする。

 最近の新聞はプロウズリー子爵令嬢コラーナが一年生の新入部員を纏めてあれこれやっているので、大部分は彼女にお任せだ。


 私たちからすればお姉様の在学中だけ楽しければそれでいいので、私たちの卒業と共に新聞部は解散でもよかったんだけどね。

 コラーナみたいに自分もやってみたい、という新入部員が入ってくるなら、まあ続けていけばいいと思うよ。


 生者必滅、行雲流水。新聞が学園と学生に適合すれば残るし、不要になれば淘汰される。それだけのことだから、新聞部の未来に永続など求めてないしね。

 ただまあ繋いでいくもの、残せるものがあるというのはやはりそんなに悪い気はしないよ。


 あとは情報を握る立場として腐らないことを祈るのみさ。

 ま、もし腐っても所詮は壁新聞だ。政治的影響力はそこまでないから気にはしないけどね。




――――――――――――――――




 そうやって珍しい長雨の生活を送っていたある晩に、


「ん、物音?」


 メイも退室した自室のベッドでまどろんでいると、カリカリと何やら硬いものを引っ掻くような音が窓の方から響いていることに気が付いた。

 カーテンを開けてみると、窓の外にいたのは濡れ鼠になっていたアヤリスである。

 雨が差し込まないよう窓を開いてそっとアヤリスを中に招き入れ、


「おーおー雨の中ご苦労さんだよ。私と違って働き者よのぅ」


 手拭いで軽く身体を拭ってあげて、お腹のポッケから、ご丁寧にも油紙に包まれたダートからの手紙を取り出し、はらりと開き流し読みして――


「……! 始まった、まさか、このタイミングでか!? 夏の雨期じゃなくて!?」


 一瞬にして眠気が吹っ飛んだ。

 ダートからの報告がすぐにここに届いたと仮定しても、常人の脚ではフェリトリーから王都まで四日かかる。が、ジョイスが最短で連絡を送ってくれていれば話は別だ。


 今のフェリトリー領と王都を繋ぐ道には獣人たちが拵えた宿があるから、連絡員は交代できる。

 交代で昼夜を問わず全力で走れば一日半ほどで連絡は届けられるはずだ。つまりこれは昨日の朝に決定した情報という事になる。


「ここから先は時間との勝負ね、他のアルヴィオス国民に覚られる前に勝負を決める」


 急ぎベティーズに面会依頼の文を認めて、明日の夜明けと共に使用人には走り回って貰うことになるだろう。

 ついでにダートとの面合わせも必要だ。明日中に話し合いをして、遅くても明後日の朝にはダートは王都を発たねばならないしね。


 この情報を握っているのは王都では今現在私だけだ。

 ただベイスン室長がまだリオロンゴ河で測量を続けているなら、最短あと二日でベイスン研には情報が届く。

 ベイスン研が一人もリオロンゴ流域にいなければ、フェリトリー領の文官がベティーズに文を認めるまでは、王都にこの事実は伝わらないが――油断は禁物だ。

 だが、焦りもまた禁物だろうよ。お父様がこの件にどう動くかは分からない。


 一応、南部を安全地帯にしておきたいというのは私とお父様共通の願望ではあるが、お父様は南部の制御を自分の手で行なって、私の影響を排除したいと考えるかもしれない。

 お父様もフェリトリー領の監視はしているだろうけど、


「確実に、二日のアドバンテージが私とダートにはある」


 夜を徹して、しかも飛脚の交代までして全力で駆けてくれるのはダート配下の獣人だけだから、この二日は確実に私のものだ。

 普段とは異なる行動は取るが、それをお父様に大問題と覚られるような真似だけはしちゃいけない。


 そうやって悶々とした一夜を過ごしての翌朝。

 幸いにしてカラッと晴れた陽気は天道様が成すべきを成していて、スカッとさわやかおろしたてのパンツを履いたようにすら錯覚するね。


 足取り、態度は普段通りに朝食を済ませ、ベティーズへの文は使用人に届けて貰い、学園の入口にて、


「おはよう、アーチェ。今日はよく晴れたいい天気ね」

「おはようございますお姉様、今日の授業は欠席です。至急フェリトリー家冬の館へ向かって下さい」

「……はい?」


 首を傾げるお姉様を前に、メイがそっと防音を発動した上でスレイに耳打ちすると、スレイの顔がみるみる驚愕に染まって、心底恐ろしげな顔で私の顔を伺ってくる。

 ……そんなビビることないじゃん。ちゃんと下調べあってのこの結果だって根拠は見せておいたはずだけど。


 何にせよお姉様をフェリトリー家に向かわせ、次いでやってきたシーラ、プレシアも同様。更には掴まえたクローディアに今日のお姉様の予定は全てキャンセルと伝え、ヴェセルにルイセントへ最短の繋ぎを用意するよう要請。

 

 そのうえで私もまた踵を返してフェリトリー家冬の館へと向かう。面会依頼を送って返事すら待たずの強襲だが、私とベティーズの仲だ。あいつも今更四の五のは言わんだろうよ。

 そうして、お姉様、シーラ、フェリトリー親子、そして何故かいるフレインとアイズに私がフェリトリー家談話室に揃ったところで、メイとケイルに目配せをして防音、


「二日前、リオロンゴ河が大雨の影響で大氾濫を起こしたとの連絡がフェリトリー領のジョイスより届きました。氾濫の結果、リオロンゴの流路はワルトラント側へと大きく蛇行。要するにフェリトリー領の南にこれまで川底だった土地が陸続きとして姿を現したわけです。ここを、」


 フェリトリー領、そして王国の地図をテーブルの上に広げて、私の記憶にあるゲーム内のリオロンゴ河の位置に書き換える。

 リオロンゴ河は事実上のワルトラントとアルヴィオスの国境だ。つまり此度の決壊でワルトラントの領地が狭まり、アルヴィオスの領地が広まった結果となっている。


 だが、この新たに現れた土地を私はアルヴィオス貴族になど渡すつもりはない。


「事前通達してあったように、ダート率いる獣人たちが実効支配を開始。我々ルイセント派はこれより、この獣人たちの生活安定に寄与します」


 こっからは急転怒濤の丁半博打の始まりだ。

 私の策はアルヴィオスを利することになるから勝ちの目はきちんとあるけど、アルヴィオスの利より目先の欲を求める人も少なくないからね。

 さて、どちらかと言うとここから先は私よりもルイセントの手腕次第になるよ。上手く転がしてほしいものだけどね。






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