■ 134 ■ 狩猟遠征 Ⅳ






「然様。学べることは強みであろう。だが強みと弱みは表裏一体なのだよ、アイシャ」


 城塞都市の扉が内側から開かれ、ディアブロスの精鋭たちが雪崩をうって都市へと突入していく。

 ここからは更に血みどろの戦の始まりだ。どちらも退けない戦、数的優位はディアブロスにあるけど、魔力多めの騎士はなるべく殺さず生け捕りにしないといけないから、ディアブロスとて楽な勝利は望めない。


「最も運営が楽な社会というモノは、その社会が定めた善に全ての個が従う社会である。これは自明の理であろう」


 そうだね。この世に生きる全てのひとが、罪と定められた行為を行なわない。それが前提になれば軍も警察も裁判官もいらない。防衛費を全て別のモノに費やせる。

 だけど現実はそうじゃなくて法を犯して罪を重ねる人がいるから、それに対する備えが必要になる。


「それが最適解と分かっていても人はそれを行なわない、行えない。他人に対する不信もあるだろうが――究極的には死にたくないから、他者よりも己が生き残りたいと願うからだ」


 他人より自分が生き延びる確率を上げたい。その為に人は食糧を集め、人脈を太くし、より他人より優位に立とうと尽力する。時にはわざと他人を蹴り落としてその未来を奪う。

 獣としての本能がそうさせるのだ。多幸感は欲求の充足により齎されるものであり、欲求とは生存に不可欠な感情であるのだから。


「然して人は狡知に奔るわけだが――社会が健全であれば狡知は自然に淘汰される。若い社会は、社会の健康を保つために狡知を批判し、その存在を許さないからだ」


 ……ああ、デスモダスが老いるということは許せる範囲が増えるといった意味が理解できた。

 寛容になるということ。すなわち悪い行いが存在することを許せるようになるということ、堕落する甘え・・・・・・を許すようになるということなのか。


「何をどう言いつくろっても、老いるということは悪だ。大半の社会が人の死を悪とする以上、死に向かう老いとはまさしく悪である」

「……それが、貴方の言う『大人になる』なのね」

「然様、良いものではあるまい? もっとも、安易に人を傷つけなくなる面もあるから絶対悪とも呼べんがな」


 許せない、という感情が緩んでいく。刺々しくあれない。批判のナイフが鈍っていく。鈍磨して丸くなっていく。鋭さを維持できなくなっていく。いい人でいなきゃ、という自戒が緩んでいく。

 他人、いや自分がしてはいけないことをやっても、それを自分自身の意思で許してしまう。


 やっちゃいけないことを分からずやるのが子供なら、やっちゃいけないことを分かっていてやるのが大人だと。

 いかなる犠牲を払ってでも許せないものを拒絶するのが子供であり、腐敗することをも承知で寛容になるのが大人だと。


「そうして個人のみならず社会が致命的なまでに老いてしまったら――もう死ぬしかないのね」

「然様。決して若返ることが出来ぬ人の作る社会がどうして若返れよう? 死ぬしかないのだ」


 ああ、デスモダスはだから、こう言いたいわけか。


「人は必ず劣化していくものだから、それに対して腹を立てるのは無意味、ってことね」

「然様、しかしそう理解することもまた『大人になる』ということである。良くも悪くもな」


 成程、いいことでも悪いことでもない、ただ状況を表す言葉ってワケね。

 大人が大人として劣化していくことは仕方のないことであり、それに憤りを覚えるのは「なぜ人は老いるのか」というどうしようもないことに腹を立てる子供に等しいと。

 大人になるということは許す、すなわち諦めを重ねていくということであり、しかしあらゆるものを許せないのはやはり子供であるということ。


「学ぶことが人の強みだと其方は言ったがまさにその通り。社会が若ければ人は若くあろうとすることを学び、社会が老いていれば人は早く老いることを学ぶ」

「そうやって狡知を学んだ人間ばかりが増え続ける社会はもう老いた社会であり、手の付けようがないと」

「然り。社会とは集合体である。如何な超人とて一人でこれを覆すことは罷り成らん。故に其方一人が戦争を避けようと血を吐く必要はない。それは社会が決めたことだからだ」


 人がいずれ死ぬのを避けられないように、国が老いて死ぬこともまた避けられないと。それが運命であると。


「……それでも、私は諦めたくないわね」


 そう絞り出すように言葉を紡ぐと、


「成程、若い若い。其方は実に若いな。羨ましいほどに」


 デスモダスは笑いはしたが、私を馬鹿にするつもりではないようだった。


「フローラの子も其方も若い。許せぬことに敢然と立ち向かうがよかろう。無論、それは老若の話でしかなく、許せないことが常に人を幸せにするとは限らないが」


 そうカラカラとデスモダスが笑った、




「はぁーい、じゃあ立ち向かいまぁーっす!」




 瞬間、いきなりデスモダスに抱きかかえられ何かと思ったら闇夜に鋼の悲鳴が響き渡り、視界の端にデスモダスの血刀、赤い外套が形を変えているのが映った。

 襲撃、前線は城塞都市だというのにまさか兵站狙い、もしくは退路を断つと見せかけた部隊の侵攻かと一瞬考えもしたのだけど、


「……お前か」

「はぁい、私ですモダス様ぁ!」


 うん、立ち位置の都合上デスモダスの胸しか見えんがもう私にも誰だか分かったよ。その特徴的な声には聞き覚えがあるもんね。

 デスモダスの腕の中でくるりと半回転、改めて正面に向き直れば、


「さぁさぁモダス様! いざ尋常に私と決闘ファイトしましょ。ね、ね? きっと楽しいから! 愉しませますから! 何なら尋常にじゃなくてもいいから!」


 ピッと細身の切先を私とデスモダスに突き付けているのは――やはり、オプネス・ヒーダニスティック。

 ディアブロス元老院の一員にして角鬼イーヴル族の一闘士民。羚羊の角の人。

 それが何でデスモダスに対して襲撃を仕掛けてくるの?


 い、いや、理由を問う意味がないんじゃないかと早くも私も理解し始めているんだけどさ。それでも私としてはちゃんとした理由があって欲しいんだよ。

 頼むから反デスモダス派だからとかそういう化粧を纏っていてよ。お願いだから! ノリと勢いとかで襲ってないでよね! ホントお願いだから!






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