■ 134 ■ 狩猟遠征 Ⅲ
「ニール」
「はい、デスモダス様」
「其方はどう見る。見解を聞かせよ。連れてきた手勢を指揮してアルヴィオスの警戒を突破、目標を達成することは能わぬか?」
デスモダスに瞳を向けられたニール氏は僅かに考え込み、そして首とその立派なブッシュバック似の角を左右に振ってみせる。
「確かに警戒は強化されているようですが、あくまで不慮の事故に備えている程度に留まっています。我らの軍を徹底迎撃する気であるなら些か数が足らぬかと」
「ふむ……フローラの子の進言を全面的には信じなかったか、もしくは全く別の理由に備えている可能性もあるか」
そうだ。ディアブロスが大規模な人狩りを行なうとあらかじめ知っているなら、北方侯爵領も臨戦態勢を取っていただろう。
だたここから見える範囲では大々的に篝火を焚いての防戦の意思は感じられない。ただ動き回る松明の数が多いだけだ。
「私は所詮監査だ、口出しはせぬと約束もした。引くも攻めるも其方の自由よニール、其方の知恵と判断に従うがよい」
齢十五歳程度の外見ながら、八百年以上も国を背負ってきた男の口調には静かにして、しかし山のように巨大な自負がその存在を主張している。
「其方は既に王国の未来を担う、名誉と責任ある一闘士民。王国の誉れにして、王国一千万の民の期待を担う者よ。故に其方の上に立つ者はもうおらぬのだと心得よ。国を導く者として正しき判断を為すがよい」
「仰せのままに、デスモダス様」
恭しげにそう伝え、しかし一闘士民たれと言われたが故に頭は下げず胸を張ってニール氏が踵を返すと、防音が解除されたのだろう。梢の触れ合う音が再び耳朶を叩き始める。
「ディアブロス王国の精鋭諸君」
ニール氏が闇夜によく透る声を放つと、隊列を組む士民たちがザッと姿勢を改める。
「此度の狩猟はディアブロス王国の食糧不足健全化に欠かせない重責、聖務である。戦場を遍く見張る監査官も同行しているため、命令違反や無意味な殺戮は厳罰に処されるものと覚悟せよ」
ニール氏の言葉は多分、己の配下ではなく、この場に同族の一闘士民もいない
何せデスモダスに楯突いてあっさり死んだ
「それはさておき、諸君が磨きに磨いた武芸の技を披露し、己が腕前を高めるかつてない機会でもある。全力を尽くせ」
ニール氏が最後に引き締めた一言に、誰もが闇夜の中で月光照り返す瞳をスッと細めて笑う。
「
『はっ!』
返事を受けてニール氏がニンファ氏へと視線を向けると、ニンファ氏もまた頷いて配下に向けて口を開く。
「では作戦開始。皆の者、私と、何より族父様の期待を裏切らないように――行け」
『はっ!!』
そしてそのまま急降下もかくやという勢いで城塞都市へと消えていって――音もなく、しかししばしの後に警鐘が闇夜を引き裂くような、人の意識を強制的に覚醒させる雄叫びを奏で上げる。
「撃ち漏らしが生じたか。まぁ致し方あるまい」
デスモダスが感心とも呆れともつかぬ声で状況を判断する。元より多少なりとも城塞都市は警戒態勢を高めていたのだ。それが功を奏した形だろう。
次いで遠巻きにしている私たちにも明らかに都市が明るさを増しているように見えるのは、多分放火だ。ディアブロスではなく、アルヴィオス側による放火だろう。
夜目が利く相手と闇夜の中で戦うよりはマシだという判断なのだろうが――大した割り切りだよ。流石は北方侯爵家だ、伊達に長年
「其方にとっては好ましい状況であろう?
「即ち戦争をすることは双方にとって利益がある、とでも言いいたいわけ?」
「然様。一度退いて日を改めれば被害は減らせたやもしれんが――ニールは進むことを選んだ。魂胆は一番槍たる
「個人の判断で、死ななくてもいい人が死ぬわけだ。元老院はそれを許容するのね」
「一闘士民の経験を積むことは、ひいては国のためになる。必要な犠牲という奴よ」
部隊が出払い、指揮官たるニンファ氏とニール氏もまた前線に迫り、身を隠していた森の木陰にただ二人。
私と共に残ったデスモダスが、無味乾燥にそう告げてくる。
「其方、内心が老けているようでいて若いな。世が悪意によって回っていることが許しがたいか」
「その問いに対する私の答えは常にこうよ。『
「その言葉に対する私の答えはこうなるな。『大人になるということは成長を意味する訳では無い』とな」
そのデスモダスの一言は、極めて的確に私の蒙を啓いたと言っても過言ではないだろう。
咄嗟に返す言葉が見つけられない。まさしくも心臓を撃ち抜かれたが如くに思考が体外へ漏れ出していくようで、考えが一切纏まらない。
「成長しているはずの、成長していかねばならぬはずのモノが劣化を重ねていって、仕舞いには若者を食い物にするのが許せぬか」
「……」
「沈黙は是と取るぞ。成程、若い若い。其方は実に若いな。羨ましいほどに」
クク、と笑ったデスモダスが、そっと滑るように移動して私の横に立つ。
「大人になるということはな、アイシャ。
「……そうで、あって欲しくないわ。だって人は学ぶことができる。増設することができる。学んだ知識を次に生かすことができることこそが人の強みではないの?」
無論、そう語る私自身がそれを信じていないのは自明の理だ。
だって目の前では実際に、ディアブロスとアルヴィオスが愚かな殺し合いをしている。
先人の時代から何も学んじゃいない、石器時代とやっていることは同じだ。何も変わらない、何も変われない。
いつまでたっても、どれだけ思考を巡らせても人はこんなふうに延々といがみ合い、憎しみあって殺し合う。その繰り返しが人の歴史だ。前世でも、今世でも。
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