■ 55 ■ スラムの進捗確認 Ⅱ
「アーチェの姉御! 現時点の最新作っす!」
ドン、と勢いよく食卓の上に置かれたのは――
「随分と大きいわね。それにまさか複合弓とは」
緩やかな曲線を描くそれは、どこか和弓を彷彿とさせる大きな竹弓だ。
しかも材質だけじゃなくて構造までも和弓に似てる。弦を張る前の反り返りとか。
「色々試行錯誤して現在この形が最良という結論になった」
いやまあ、私も知りうる限りでの概要は伝えたけどさ、ここまで似てくるとは思わなかったわ。
「大型の弓だと馬上での取り回しが大変になるんだけど」
「その条件は要求されてなかった筈だぞ」
うんまあ、確かにそれは条件に入れてなかったからね。これは単なる私の愚痴よ、愚痴。
「一応短弓も作ってはみたけど、皆でかいのに飛びつくっす! 小さいの格好悪いっすから!」
ああ、未成年の男の子ばっかりだもんね。小さな弓を引けるより大きな弓を引ける方が格好いい、ってなるわな。
流石にそれは予想してなかったけど、言われてみればその通りだ。そういう見栄みたいなのあるもんな。
「見た目の問題だけじゃなくって、短弓だと飛距離と威力が心許なくてな。小さいまま威力を上げようとすると弓が分解する」
「ベリベリ剥がれっちまって膠の粘着力じゃ小型化は無理っす!」
あー、全ての利便性を備えた高性能な弓を作ろうとするには時間も材料も足りないもんね。
「それ以上を求めるは無い物ねだり、か」
「ああ、現時点で生産性と実用性のバランスを踏まえればこれがベストだ」
「矢は?」
「うす、姉御!」
ナンスが手渡してきたのもまた竹矢だ。というか正確には笹らしいけど――そういう分類は私にはどうでもいい。
重要なのは出来映えだ。重量のバランスと直線性。これ一本だけなら問題はなさそうだけど。
「弓も矢も一番いいのを持ってきた?」
「適当に掴んできたっす! そう兄貴に言われたんで!」
成程、ダートがそう命じたなら実際にナンスはそうしただろう。ジョイスと違ってナンスは柔軟性に欠けるから、気を利かせて質がよい物を選んだ、とかはなさそうだ。
であれば、品質については問題はなさそうね。
「
弓の引き方は大きく二種類に分かれる。矢を摘まんで引く方法と、弦を引く方法のどちらかだ。
当然前者ではあまり強い弓が引けないので自然と後者になるけど、これ剥き出しの指でやると最終的には指が酷いことになる。
よって道具を弦に引っかけて引く方がさらに強い弓を何度も引けるわけだから、懸のアイディアも伝えておいたのだけど、
「俺ら爪で引けるんでそういうのいらねぇっす!」
「あ、成程」
私たちがそんなことやったら一発で爪禿げちゃうけど、人と違って獣人の爪は頑丈で屈強だ。
肉から骨が飛び出してるようなもんだから、これに引っかけて引いても何も問題はないってか。はー、納得。
改めて、手の内にあるそれらを確認する。
弓自体も竹と木材、接着剤には膠を使い、握り皮には豚皮で弦も蔦を乾かして膠で補強したもの。
何もかもがこのスラムだけで手に入る素材によるこの武装が、私がダートに前準備として頼んでいたものだ。
「竹と豚と鶏、たったそれだけ、スラムの中だけで遠距離武装を量産とか。とんでもねぇ話だな」
今更ながらにダートが軽い畏怖を覚えたように軽く頭を振った。
鏃が鉄製でないから若干威力は落ちるだろうが――人を殺す道具として現時点でもなんら他の武器と比較しても遜色はない。
よくある異世界転生ならここで魔術がエンチャントされた強力な武器とか作れるんでしょうけど、チートなんかない私には無理だし、そもそもそんなものは必要ない。
矢の一本で、人は死ぬ。人一人を殺すのに十分な殺傷力をこの矢は備えているのだから。
「ま、ね。鉄製のそれには劣るけど、武装としては十分すぎるわ――他の貴族にはバレないようにね。私を監視してる奴とかにも」
「問題ない。アヤリスを受け取った時点で全て室内へ隠したし、訓練場には部外者が近づけないようになっている。領分を越えた細作は今も昔も豚の餌だ」
「結構、上出来ね」
前世の高校生時代に使っていた和弓に似てることもあって記念に一本貰っていきたかったけど、持って帰ったら出所を怪しまれるわな。
大人しくこれはダートに返して今は知らぬ存ぜぬを貫くとしようね。
「なら改めて、本日ここに来た件の話をしましょうか」
「下見に行く、という話だったな」
そう、これから私たちはフェリトリー男爵領に赴いてベティーズ・フェリトリーをボコボコにするわけだけど。
幸いなことにフェリトリー男爵領、リオロンゴ河に隣接する、ワルトラント獣王国との国境に面する領土である。
だったら、せっかくだし
「そんなわけで貴方の幹部を誰か荷物持ちの人足に扮して同行させようかと思ったのだけど、どう?」
「ああ、ありがたい提案だ。俺とナンス以下数名で行く」
……はい?
あ、いや。自ら水夫に扮して大海に漕ぎ出たダートである。元よりそういう行動力はあるんだろうけどさ。
「あ、あの、人足に扮するってことはお芝居とはいえ貴方、ルナさんより一時的に立場が下になるのよ?」
プレシアの侍従をやって貰っている都合上、当然今回の帰郷にはルナさんにも同行して貰う予定だ。
当然、貴人のお側係である侍従と只の荷物持ちでは侍従の方が比較にならない程立場が上だ。
兄としてそれは耐えられるの? プライドとか邪魔しない? と私としては気になるんだけど、
「それがなんだ? 自分の目耳で情報を得るために立場を詐称するのは当然のことだろう」
全く平然と、しかも不思議そうに聞き返された私としては己の思考の浅さを恥じるばかりである。
……そうよね。よく考えたらダートからすれば自分と配下の未来がかかってるんだもん。一時の恥を理由に将来を棒に振るような愚かしさとは無縁だったか。
ちなみにある程度信頼できる獣人を一時的な人足に使うのは、男爵以下の低位貴族たちや豪商の間ではそこまで奇異なことではないらしい。
実際そういう人員を斡旋するのもフィクサーたちの仕事の一つなんだそうだ。無論、フードとか帽子とか被せて
獣人を人足に使ってるってのは、他人からすれば人間を雇う金銭的余裕がない貧乏人って見られるからね。
鉱山とか水夫とか、危険が伴うから獣人を投入するのとはまた状況が異なるのだ。クソ下らない話だよ。
「一時的にとは言え二人とも同時にここを離れて大丈夫なの? ジョイスも居ないのに」
「問題ねぇっす! 今やこのスラムで兄貴に逆らう奴なんていねぇっすから!」
ナンスが鼻息荒く言い切ったその台詞を耳にした途端、なぜかうなじがひやっとする感覚に襲われた。
「……あんた、何やったの?」
そうダートを睨め付けると、
「只の説得だよ」
そう言うダートが僅かに視線を逸らしたのは、そっかー。
アキレス腱であるルナさんがいない間に大暴れしたってわけか。
ルナさんがスラムに居るとどうしても人質を気にしてダートは無茶出来なかったけど、
弱点がなくなったのをいいことにありとあらゆる手段でスラムを支配下に置いたってわけね。えげつねぇけどそれはそれで一安心だわ。
今更だけど流石は剣の勇者候補。本気を出せばスラムの住人程度は敵でもないってか。
「……獅子身中の虫は?」
「それが居なくなるまで徹底的に――利を説いて説得したから問題はない」
ああそう、根切りしたってわけね。反抗の目がなくなるまで徹底的に叩き潰したのね。
……あ、そういうこと。今回私たちに護衛なしで来いっての、無防備にスラムを歩く馬鹿な小娘に食らい付く大馬鹿が残ってないか最終確認するためなのね。
自分の命令を聞けない間抜けを炙り出すために、己の最大の弱点であるルナさんを私たちごと撒き餌に使ったってか。なんて奴。
私が無事に来れたわね、なんて呑気に思ってた裏では粛清の華が咲いていたわけか。ぞっとする話だよ。
おーいショタチン食む太郎見てるぅ?
あんたの推し、この世界ではやること無茶苦茶おっかないわ。いや見られないのは分かってるけど。
うんまあ、何にせよ私がどうこういう話じゃないか。スラムの在り方はスラムの流儀に任せるのが筋だ。
そんなわけでダートと夏休みの間の雇用契約書を用意して、
「じゃあ三日後に貴族街東門から入ってきてね。これ雇用証明書」
「了解だ」
「うっす!」
私のサイン入り王国共通書式証明書を渡せば準備は完了だ。
ダートと別れ、ナンスに送られて貴族街へと戻る最中、
「アーチェ様、想像以上に危ない人だったんですね……ご自分の兵隊を持ってるとか絶対おかしいですよ」
いつもの平民服着替え用賃貸内でプレシアが完全に引きつり笑いになってしまっている。
「私の兵隊じゃないわ。彼らは自分のため、獣人のためにしか動かないもの。私たちはただお互いの利害が一致してるだけよ。ね、ルナさん」
「はい! ですがお兄ちゃんとアーチェ様は蜜月なので何も問題ありません!」
「あ、そ、そうなんですか。ワイルドですね……」
事前に説明してはおいたけど、実際に目の当たりにしたプレシアがこいつぅ、ビビってやがるぜ。ヘイヘイそんなんじゃ魔王は倒せねぇぞぉ?
「他言無用でお願いね? この国と獣人たちと、そして何よりルナさんの未来もかかってるんだから」
「いや言ったらこれ私殺されますよね!? 絶対誰にも言いませんから打首獄門だけはご容赦を!」
……こいつこの胆力で本当に魔王と戦えるのかなぁ。ちょっと不安になってきたわ。
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