1 「青」の異母兄弟
バシレイア王国唯一の
バシレイア王国が行っている海洋貿易は全てヒュドール領が取り仕切っているために、国内で最も豊かな領地でもあった。他の領地でも海に接している場所はあるものの、
「うっ……終わらない……」
ぱたりと机に突っ伏して、サラッサ・ヒュドールは
つまり、これから処理しなければならないものが二山残っている、ということである。ヒュドールは豊かな土地だが、豊かである以上その分果たさねばならない勤めも多い。
輸出入を行う上で必要な書類は
不意に部屋の扉が叩かれた。背中におもしが乗っかっているかのように重たい頭を持ち上げて、サラッサは返事をする。扉が開き、そこから顔を
「ご
鼻を鳴らして小ばかにしたような笑みを浮かべながら立っている男は、エイデス・ヒュドールという。サラッサの異母兄であり、ヒュドールにおける貿易はほぼ全て彼の
所々色が抜けて白っぽくなっているのがまるで白髪のように見えるとサラッサは常々思って腹の中では馬鹿にしているのだが、今のところ口に出してはいない。
「それ。さっさと持って行ってくれ」
バシレイアでは異母兄弟は珍しくもなんともない。同腹の兄弟姉妹の方が少ないぐらいだ。
エイデスとサラッサの父である先代ヒュドール家当主もバシレイア貴族の例に
サラッサの母は正妻だったが、エイデスはどこの生まれとも知れぬ踊り子を母に持つ。見目の良い女が好きだったのか、彼女との間には子供が二人いた。その中でヒュドール家の色を持って生まれたのはエイデスだけだったため、彼のみがヒュドール姓を名乗っている。
自らの隣に積みあがっている紙の山を
「手伝ってやろうか」
「結構だ。仕事に戻れ」
サラッサはエイデスが嫌いで、エイデスもサラッサが嫌いだ。こいつさえいなければと何度思ったことだろう。
サラッサのやりたいようにさせないのがエイデスで、その逆もまた
性格なのか、お互いの関係
「ああそうかい。じゃあな」
エイデスも何度も繰り返したやりとりに
エイデスがその無駄に長い足で扉を
「おい、もっと丁寧にやれよ」
壊されてはたまらないと思わずサラッサが声を上げた。エイデスの体の向こうに中途半端に伸ばした手を空中に浮かせた少女が一人立っているのが見える。
「お、っと。悪いな」
「いえ」
どうやらサラッサに用があったらしく、扉を叩こうとしていたところだったらしい。その前にエイデスが扉を開け放ったため、行き場を失った手を下ろしながら少女が少し頭を下げた。
自分に対するものとは全く違う態度を見せる少女に少しだけ苛立ちが
「仲いいのか」
「……エイデス様のこと? 別に。会えば話しかけられる程度だけど」
彼女はサラッサに敬語を使わない。以前は腹が立つこともあったが、今では慣れてしまって逆に敬語が気持ち悪いと感じるのだから変われば変わるものだ。
サラッサに対しては
「で? 何の用だ、セリ」
そう呼ぶと、彼女は少し嫌そうな顔をする。セリというのは今のところサラッサしか呼んでいない名前で、彼女は普段、ルアルと名乗っていた。
理由は知らない。聞いたこともないし、聞く必要もない。以前
老人のような灰色の髪に海の色の目をしたセリは、かつては奴隷のような身分だった。ぼろきれを身に
海の色をした瞳が綺麗で、昔から抱き続けた何かを欲してやまない不思議な
案外覚えが良かったセリは、今では
使い勝手のいい女だと、サラッサは自分の買い物にとても満足していた。
「手紙が来てる」
「手紙?」
セリが直接届けにくるのは珍しい。
ヒュドール家当主宛の手紙ならば、所定の箱に入れておくのが通例だ。夜になってから全てサラッサが開封して、ゴミと仕事とに分ける。だが、個人的な手紙と思しきものはこうしてセリが手渡しに来ることもあった。
急ぎの返事を要するものもあるからそうしろ、と言いつけているからだ。
「誰からだ……?」
セリが差し出してきた手紙は二通。どちらも確かにサラッサ個人宛だ。一つはエクスロスから、もう一つはディアノイアから。
サラッサは
「テレイオスから……? 珍しいな……ってか、読みにくいな!」
ディアノイアからの封筒の差出人はテレイオス・ディアノイア。ディアノイア家の当主が個人的な名前で手紙を出すなど
開いた
「手紙は人が読める字で書くべきだ。そう思わないか?」
セリに同意を求めたが、彼女は綺麗に無視をしてサラッサが散らかした部屋の片づけをしている。
サラッサが書き損じた書類をぽいぽい投げ捨てるので、それを拾ってごみ箱に集めるだけだが。
「えーと……? なに、人? が来る? のか?」
テレイオスは悪筆で知られている。その他は外見も含めて完璧なのに
本人がそれを知っているのか、あるいは気にしているのかはわからないけれど。
「まあ多分そういうことだろ、うん」
テレイオスの字をじっと見つめ続けると気分が悪くなりそうなので、大まかな内容を
代わりにもう一つの手紙を手に取る。こちらはエクスロス家からのもので、ハイマからサラッサに宛てた手紙だ。
一か月ほど前、オルキデ女王国との講和の席での出来事は未だ解決をみていない。
オルキデとの交渉を全て請け負っており全権があったはずのハイマはその
エクスロスの
「へえ? 旅行に? ふぅん……」
そんなハイマからの手紙だ。さて何がと少し期待しながら中身を見たが、内容は当り
何でも、この度講和の一環として結婚したハイマの異母兄リノケロスがその妻を連れてヒュドールを訪れる。と、それだけの連絡だ。特にこれといってもてなしを要求するわけでもなく、ただ単に一報を入れてきただけのようだった。
友人からの手紙を無視するのもなんだか味気ないと、サラッサは筆を手に取る。机の引き出しに入っている少し上質な紙にサラサラと了承した
他人が見ても、講和の席での事件のことだと思うだろう一文だ。ハイマは果たしてサラッサの意図をきちんと読み解いてくれるだろうか。
ひらひらとインクを乾かしながら、サラッサはセリを呼ぶ。
「これ、出しとけ」
「わかった」
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