1 「青」の異母兄弟

 バシレイア王国唯一の港湾こうわん都市がヒュドールである。ひょろりと南北に長い領土を持ち、そのほとんどが海岸線だ。曲がりくねり入り組んだ入り江が多く高い操船そうせん技術が求められるが、その分漁業資源も豊富で魚が良く捕れる。

 バシレイア王国が行っている海洋貿易は全てヒュドール領が取り仕切っているために、国内で最も豊かな領地でもあった。他の領地でも海に接している場所はあるものの、断崖絶壁だんがいぜっぺきでとてもではないが港として使うことはできない。港として整備され、船を持つのはヒュドールだけだ。


「うっ……終わらない……」


 ぱたりと机に突っ伏して、サラッサ・ヒュドールはうめいていた。小柄こがらな彼が使うには大きすぎる気がする机の上には、紙の束が二山置かれている。サラッサの体を挟んで反対側にも一山できているが、こちらは処理済みの書類だ。

 つまり、これから処理しなければならないものが二山残っている、ということである。ヒュドールは豊かな土地だが、豊かである以上その分果たさねばならない勤めも多い。

 輸出入を行う上で必要な書類は多岐たきに渡る上、相手の国に渡す保証書はバシレイアの言葉だけでなく相手の国の言語も記載きさいする必要がある。密輸入がないように持ち出される品は現場で逐一ちくいち確認されるが、最終的にその確認した書類が回ってくるのはサラッサのところだ。それを再度確認し、船が可能な積載量せきさいりょうを超えていないか、積み荷に反して重量がおかしくないか、見落としがないか、そういったことを全て確認してからようやく出国の判を押す。

 生物なまものの輸出は滅多に行わないが食料品やその加工品を送ることはあるので、あまり承認に時間がかかるといたんでしまう。そのため貿易関係の書類は『至急』という赤い印がつけられて回ってくるが、一日に何隻なんせきもの船が行き交うのでこの『至急』が多い。こうなると最早の意味をなしていないのではと、サラッサは常々赤まみれの書類の山を見ながら思っている。

 不意に部屋の扉が叩かれた。背中におもしが乗っかっているかのように重たい頭を持ち上げて、サラッサは返事をする。扉が開き、そこから顔をのぞかせた相手を見てサラッサは思わず顔をゆがめた。


「ご挨拶あいさつだな。終わった書類を引き取りに来てやったというのに」


 鼻を鳴らして小ばかにしたような笑みを浮かべながら立っている男は、エイデス・ヒュドールという。サラッサの異母兄であり、ヒュドールにおける貿易はほぼ全て彼の管轄下かんかつかにある。大きな取引がある時には自らも船に乗り、海の向こうへと繰り出していく船乗りでもあった。そのせいか色白のサラッサに対して肌は日に焼け、空色の髪は潮風になぶられてパサついている。

 所々色が抜けて白っぽくなっているのがまるで白髪のように見えるとサラッサは常々思って腹の中では馬鹿にしているのだが、今のところ口に出してはいない。


「それ。さっさと持って行ってくれ」


 バシレイアでは異母兄弟は珍しくもなんともない。同腹の兄弟姉妹の方が少ないぐらいだ。

 エイデスとサラッサの父である先代ヒュドール家当主もバシレイア貴族の例にれず女好きで、あちこちに種をいていた。多産といえばアグロス家のイメージが強いが、案外ヒュドール家の方が手を付けた女の数は多いかもしれない。

 サラッサの母は正妻だったが、エイデスはどこの生まれとも知れぬ踊り子を母に持つ。見目の良い女が好きだったのか、彼女との間には子供が二人いた。その中でヒュドール家の色を持って生まれたのはエイデスだけだったため、彼のみがヒュドール姓を名乗っている。

 自らの隣に積みあがっている紙の山をあごでしゃくる。エイデスはゆったりとした動きで近づいてきて、サラッサの隣にまだ大量の書類が積みあがっているのを見ながら顎をさすった。


「手伝ってやろうか」

「結構だ。仕事に戻れ」


 サラッサはエイデスが嫌いで、エイデスもサラッサが嫌いだ。こいつさえいなければと何度思ったことだろう。

 サラッサのやりたいようにさせないのがエイデスで、その逆もまたしかり。本来貿易の責任者はエイデスなのだから、彼が書類のすべてを引き受ければサラッサの仕事は半減するだろう。当主としてやらねばならない領地のことだけに専念できる。だが、それをしてしまうとヒュドールの財源のほとんどをエイデスに握られることになり、サラッサはそれを看過かんかできない。

 性格なのか、お互いの関係ゆえなのか、エイデスを信頼してすべてをゆだねるということなど考えただけで気を失いそうだ。どれほど仕事が終わらないとなげこうとも、サラッサは絶対に彼の手だけは借りない所存しょぞんである。


「ああそうかい。じゃあな」


 エイデスも何度も繰り返したやりとりにいているようで、せいぜいがんばれという馬鹿にした一言を残して処理済みのものをかっさらう。

 エイデスがその無駄に長い足で扉をり開けた。


「おい、もっと丁寧にやれよ」


 壊されてはたまらないと思わずサラッサが声を上げた。エイデスの体の向こうに中途半端に伸ばした手を空中に浮かせた少女が一人立っているのが見える。


「お、っと。悪いな」

「いえ」


 どうやらサラッサに用があったらしく、扉を叩こうとしていたところだったらしい。その前にエイデスが扉を開け放ったため、行き場を失った手を下ろしながら少女が少し頭を下げた。

 自分に対するものとは全く違う態度を見せる少女に少しだけ苛立ちがつのったが、かといってどうしろという気にもならない。去って行くエイデスが、彼女に何か言葉をかける。それに何事か返答してから、少女は部屋へと入ってきた。


「仲いいのか」

「……エイデス様のこと? 別に。会えば話しかけられる程度だけど」


 彼女はサラッサに敬語を使わない。以前は腹が立つこともあったが、今では慣れてしまって逆に敬語が気持ち悪いと感じるのだから変われば変わるものだ。

 サラッサに対しては横柄おうへいなのに、エイデスや他の相手には丁寧な口調なのは少々釈然しゃくぜんとしないけれど。


「で? 何の用だ、セリ」


 そう呼ぶと、彼女は少し嫌そうな顔をする。セリというのは今のところサラッサしか呼んでいない名前で、彼女は普段、ルアルと名乗っていた。

 理由は知らない。聞いたこともないし、聞く必要もない。以前たわむれのように理由を問うたが、はぐらかされて答えなかったのでそれ以来追求するのはやめた。

 老人のような灰色の髪に海の色の目をしたセリは、かつては奴隷のような身分だった。ぼろきれを身にまといがりがりにせこけて市場に並べられているのを買ったのは、サラッサの単なる気まぐれだ。丁度手持ちの金で払える金額に値下がりしていたと言うのもある。

 海の色をした瞳が綺麗で、昔から抱き続けた何かを欲してやまない不思議な焦燥感しょうそうかんを満たせるかと思っていたのも一因だ。結局彼女を買って側に置いてみても満たされることはなかったので、使用人の一人に面倒を任せ、サラッサの身の回りの世話や家のことをやるよう仕込ませた。

 案外覚えが良かったセリは、今では独楽鼠こまねずみのように良く働く。買ってもらったことに恩義でも感じているのか、サラッサが命じたことには逆らわずなんでも遂行すいこうするのもいい。少々非合法なことでも、もの言いたげな顔をしたり苦言を呈したりするものの、結局は命令をこなす。

 使い勝手のいい女だと、サラッサは自分の買い物にとても満足していた。


「手紙が来てる」

「手紙?」


 セリが直接届けにくるのは珍しい。

 ヒュドール家当主宛の手紙ならば、所定の箱に入れておくのが通例だ。夜になってから全てサラッサが開封して、ゴミと仕事とに分ける。だが、個人的な手紙と思しきものはこうしてセリが手渡しに来ることもあった。

 急ぎの返事を要するものもあるからそうしろ、と言いつけているからだ。


「誰からだ……?」


 セリが差し出してきた手紙は二通。どちらも確かにサラッサ個人宛だ。一つはエクスロスから、もう一つはディアノイアから。

 サラッサはしばし考えて、ディアノイアからの手紙を先に開封する。面倒なことな気がする方を後回しにしていただけだが。


「テレイオスから……? 珍しいな……ってか、読みにくいな!」


 ディアノイアからの封筒の差出人はテレイオス・ディアノイア。ディアノイア家の当主が個人的な名前で手紙を出すなど天変地異てんぺんちいの前触れかもしれない。明日は時化しけか船が出せないな、とサラッサは溜息ためいきく。

 開いた便箋びんせんに踊る死にかけのミミズのい跡を見て、またもう一つ溜息ためいきいた。


「手紙は人が読める字で書くべきだ。そう思わないか?」


 セリに同意を求めたが、彼女は綺麗に無視をしてサラッサが散らかした部屋の片づけをしている。

 サラッサが書き損じた書類をぽいぽい投げ捨てるので、それを拾ってごみ箱に集めるだけだが。


「えーと……? なに、人? が来る? のか?」


 テレイオスは悪筆で知られている。その他は外見も含めて完璧なのに筆跡ひっせきだけ天に取り上げられたのだと評判だ。

 本人がそれを知っているのか、あるいは気にしているのかはわからないけれど。


「まあ多分そういうことだろ、うん」


 テレイオスの字をじっと見つめ続けると気分が悪くなりそうなので、大まかな内容を把握はあくしたところでサラッサは手紙を伏せた。誰ものたうつミミズを長時間見つめていたくはない。

 代わりにもう一つの手紙を手に取る。こちらはエクスロス家からのもので、ハイマからサラッサに宛てた手紙だ。

 一か月ほど前、オルキデ女王国との講和の席での出来事は未だ解決をみていない。首謀者しゅぼうしゃは明らかだとサラッサは思うのだが、決定的な証拠がないからか直接糾弾きゅうだんできないのだ。

 オルキデとの交渉を全て請け負っており全権があったはずのハイマはその面子めんつを見事につぶされ、大変に怒り狂っていたのをサラッサは知っている。エクスーシアにあるエクスロスの別邸べっていしばし滞在し事の終息を図っていたようだが、その後はエクスロス領に戻ったのだろう。

 エクスロスの別邸べっていからの火が出そうなほどの怒気に、サラッサはご機嫌うかがいすることすらはばかられて今まで連絡は取っていなかった。


「へえ? 旅行に? ふぅん……」


 そんなハイマからの手紙だ。さて何がと少し期待しながら中身を見たが、内容は当りさわりのないもので少し落胆らくたんした。

 何でも、この度講和の一環として結婚したハイマの異母兄リノケロスがその妻を連れてヒュドールを訪れる。と、それだけの連絡だ。特にこれといってもてなしを要求するわけでもなく、ただ単に一報を入れてきただけのようだった。

 友人からの手紙を無視するのもなんだか味気ないと、サラッサは筆を手に取る。机の引き出しに入っている少し上質な紙にサラサラと了承したむねを書き、さらにその下に先日の一件を問う言葉を書き加えた。

 他人が見ても、講和の席での事件のことだと思うだろう一文だ。ハイマは果たしてサラッサの意図をきちんと読み解いてくれるだろうか。

 ひらひらとインクを乾かしながら、サラッサはセリを呼ぶ。


「これ、出しとけ」

「わかった」


 うなずいたセリは、やはり不愛想ぶあいそうな顔をしていた。

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