26 講和は成らず

「閣下!」


 ルシェの絶叫ぜっきょうが聞こえる。現実味のないそれを半ば夢心地のような気分で聞きながらほとんど反射で己の腰に手を伸ばし、掴もうとしたつかがそこにないことにハイマは舌打ちをした。

 王の御前である、それも講和の席である、ということで、列席者は全員武器を衛兵えいへいに預けているのだ。慣れた重みがないことで重心がとりにくいなどと思っていたのに、あまりのことにすっぽ抜けていた。


「全員捕らえろ!」


 大広間の上にせり出したバルコニーには、今ハイマがいる場所からは上がれない。周囲にいるはずの衛兵に叫びながら、無駄かもしれないなと頭のどこか冷静な部分がわらう。

 バルコニーに上がることができる通路は一つだけ。それは大広間の奥、王族の居住区域にほど近い場所にある。元々は大広間で演劇などが開かれた際にそれを観覧する王族が使う場所のため、誰でも入れる場所には通路は作られていないのだ。

 すなわち、その場所に兵を伏せられるのは王族だけということになる。エクスーシア一族のの命令で伏せられた兵なのであれば、王城を守る衛兵と所属が同じ可能性が高い。捕えないよう命令されている、というのはあまりにも露骨ろこつであるから、近くは警備をあえて手薄にしていたりと、すぐに追手がかからないような配置にしているに違いなかった。


(わかりやすいことしやがって。)


 王をはじめとする王族はとっくに姿を消している。はたから見れば狼藉者ろうぜきものの手を逃れ信頼できる臣下に守られている図、だろう。

 ハイマから見れば茶番もいいところだ。やるならせめて、どこの誰が首謀者しゅぼうしゃかをもっとわかりにくくやれとハイマは思う。オルキデから追ってきた刺客かもしれないという疑念ぎねん余地よちを、せめて残しておいてほしかった。

 これではバシレイア側の責が大きすぎて、オルキデから再度宣戦布告されても申し開きができないではない。そんな現実逃避めいたことを考えながら、ハイマは走る。ルシェの姿はすでになかった。いつもの不思議な術でどこかへ逃げたらしい。少しだけ、焦燥感しょうそうかんに包まれた心臓が落ち着いた。

 バルコニーへの出入り口はエクスーシア一族以外にも利用することはできるため、完全に住居空間の中にあるわけではない。ハイマでも知っている場所で助かった、とは思う。そうでなければ何もできずにみすみす取り逃がすところだった。

 ハイマがバルコニーへ至る場所を知っているのは、まだ幼い頃に当主であった父に連れられてこの大広間に来た際にここで待っていろとバルコニーにのぼらされたからである。そうでなければ知らなかったかもしれず、ハイマは今はもう空の上だか地の底だかにいる父に密かに感謝した。

 バルコニーへあがる階段は一つしかなく、必然的に下る場所も一つしかない。ハイマが辿たどり着くのが早いか、それとも弓兵が逃げる方が早いか。誰がどうやって兵士を丸め込んだか知るためにも、最低一人は生け捕りにしたいところである。流石にこの場に並んでいるのは各家の当主たちであるから、そろいもそろって混乱して騒いでいるようなことはない。だが、全員壁際に寄って巻き込まれないようにはしていた。何人かはさっさと帰ったのか、大広間に姿が見えない者もいた。

 アヴレークに近寄って行くエンケパロスが視界に入った。幾本いくほんもの矢が刺さったまま倒れ伏しているアヴレークは、既に息はないかあるいはあったとしても虫の息だろう。

 舌打ちして、ハイマは大広間の一番奥、エクスーシア一族専用の出入り口である扉をり開けた。派手な音がして、がごんと扉が外れる。王や王妃もここから出たはずだが、彼らの姿はもうない。

 だが、ハイマはそれを気にすることはなかった。エクスーシア一族の無事を確認したくてここまで来たのではない。


「待て、そこの馬鹿共!」


 ハイマが階段の下に辿たどり着いたとき、丁度弓を持ち、黒衣をまとった兵士たちが仕事を終えて身を隠そうとしているところだった。声を張り上げると、彼らはハイマに気づいて慌てて逃げようとする。

 剣を持っていれば投げつけて串刺くしざしにしてやるところだが、生憎あいにくと今は身一つだ。その手に持っている弓矢をハイマに向ければいいものを、すでに空なのかそれともそんな単純なことに気が回らないぐらいあわてているのか、彼らは抵抗する風もなく逃げにてっしていた。

 どちらにせよ、ハイマには好都合だ。無駄に柔らかく踏み込みにくい絨毯じゅうたんを強く踏みしめて跳ぶ。勢いのまま逃げ腰の兵士の頭に振りぬいた足を叩きつけると、男は吹き飛んだ。


「ぐあっ……!」


 壁にぶつかった男は、低いうめき声をあげて沈む。

 ぴくりとも動かなくなったが、生きているだろうか。後から生死の確認はすれば良く、今は動きさえ止まればそれで構わない。そう判断してハイマは次の獲物に狙いを定めた。気絶した兵士の矢筒にまだ矢が残っているのを確認し、落ちている弓を拾って矢をつがえる。

 一番遠くにいる逃げようとしている兵士に狙いを定め、放った。


「うわああああ!」


 派手な悲鳴を上げて、足を射抜かれた男が床に転がる。うようにしてまだ逃げようとしている男は捨て置いて、続けざまに残りの矢を放った。

 残っていた三本の矢は、それぞれ別の兵士を床にい付ける。


「チッ……一人だと全員は無理か」


 ハイマに切りかかってこず逃げることに専念されたせいで、やはり大半を取り逃がしてしまった。向かって来たならば打倒して気絶さえることも簡単だが、逃げる相手を追いかけるのは難しい。

 逃げる機を逃し右往左往うおうさおうしていた兵士の一人の首を腕で締め上げながら、ハイマは悪態あくたいいた。果たしてどれぐらいの兵士がいたものかわからないが、捕らえられたのは両手で数えられる程度だ。彼らから有効な何かを吐き出させられると良いが。


「実行犯はそいつらか」

「ああ。頼めるか?」


 音もなく背後に近寄ってきたエンケパロスを振り向くと、彼もまた若干顔をゆがめていた。

 普段表情のわからないエンケパロスがハイマにもわかるぐらい表情筋を動かしているということは、その心境はかなり荒れているということである。


「いいだろう」


 捕らえた兵士たちの尋問じんもんをするのに、これ以上の適役はいない。そこまでふくんだハイマの問いかけに、エンケパロスは即答した。その金の瞳にぎらりと獰猛どうもうな熱が宿ったことは見なかった振りをして、ハイマは大広間へ戻るべく身をひるがえした。

 大広間にはまだアヴレークの姿がある。血の海のようになった絨毯じゅうたんの上に倒れ伏して動かない彼は、どう見ても死んでいる。だが、ハイマは肩を叩けばアヴレークが笑いながら起き上がってきそうな気がして、どうにも近寄りがたかった。

 が、流石にそのままにしておくことはできない。何となく足音を消しながらそっと歩み寄り、首に手を当てる。瞬間ぐるんと首が回ってきて笑う。そんな錯覚さっかくに囚われたが、幸運なことにそれは起こらなかった。ハイマの指先にはただ静かで冷たい皮膚ひふの感触だけが伝わってくる。


「はぁ……」


 知らず、詰めていた息を吐き出した。


「遺体をエクスロスの別邸べっていへ。丁重に扱え」


 ようやく駆け寄ってきた衛兵から剣を奪い返し、手短かに指示を出す。王城に置いておくわけにはいかないのは、エクスーシア一族に任せて置いたらどうなるやら分かったものではないからである。

 戦争についての全権をハイマに、という命令はまだ有効だ。アヴレークの遺体はハイマからオルキデに連絡を取って返還するしかないだろう。

 ぐるりと大広間を見回すが、やはりこの場にルシェはいない。戻ってくる可能性は低いだろう。だが、彼女もまた怪我けがをしていた。自力で城の外へ逃げオルキデに帰れるかと言うと、あの様子では難しいはずだ。


「……どこ行った?」


 ハイマがもし逆の立場であれば、どこか人気のない場所で体力が回復するまで休養を取る。幸いにして、ルシェにはあの不思議な術があるのだ。怪我をしていても人目に付きにくい場所で浮上し、休むことぐらいはできるだろう。

 使い方から見て、そう長い距離を移動できるものでもなさそうだ。王城を出ていることはないだろう、と判断したハイマは大広間を後にして、ルシェを探し始めた。どうしてそんなことをしているのかと聞かれれば答えにきゅうするのは確かだが、彼女も曲がりなりにも使者の一人なのだ。人知れず死んだり、あるいは怪我を負ったまま国に帰らせるわけにはいかない。

 もし明日万が一何かあったとして、ルシェルリーオを保護しておいて欲しいんだ。オルキデへすぐに帰らせないように。そのアヴレークの言葉が脳裏によみがえる。

 彼はこうなることをわかっていたのだろうか。わかっていたからあんなふうに条件を密かに付け加え、そしてルシェを守るよう伝えてきたのだろうか。

 それならば、ルシェをオルキデへと帰してはならない理由は。


「ルシェ? おい、ルシェ!」


 何かが引き寄せたかのように、ハイマはそう探し回ることもなくルシェの下へと辿たどり着いた。誰かがいたような気が一瞬したが、そこには彼女以外誰もいない。

 ルシェは壁に背中を預け、ぐったりとして力無い。あわてて彼女を抱き起こし血の気の失せた頬を軽く叩くと、うめくようにしてルシェが応答した。

 仮面の下から弱々しい、けれども強い力を秘めた瞳がハイマをとらえる。


「われ、ら、を」


 震える手が、ハイマの襟首えりくびをつかんだ。どこまでもらしい様子に、そんな場合ではないとわかっていても口元がゆるんでしまう。

 これができるということはきっと、大丈夫だ。


「我ら、を、たばかった、か……バシレイア!」


 ふりしぼる様にそれだけを言うと、ルシェは力尽きた。腕の中でぐったりと沈み、だがそれでも軽い体を抱き上げる。たばかったかと、そう思われても仕方がない。ハイマにそんなつもりはなかったが、全ては結果だ。

 幸いにしてアヴレークが最後に付け足した条項のおかげで、講和は成らずとも停戦自体はまだ継続する。


「覚えておけよ、クソババア」


 ぎゅ、とルシェを抱えてハイマは低くうなり声を上げる。黄金色の目の奥で、炎がゆらりと燃えていた。

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