第289話 閑話──私は今、とても満たされています──


そして気が付いたら私は涙を流しながら叫び、件の女性に掴みかかっていた。


すると女性は掴みかかって来た私を突き飛ばすでも無く、優しく抱き寄せるとそのまま頭を撫で始めるではないか。


そして私は優しくされた事なんかよりも久し振りに人として接してくれた事に、嬉しくて嬉しくてついに、わんわんと子供の様に泣き出してしまった。


「だ、そうです。ローズ様」

「分かりましたわ」


今なお私の頭を優しく撫でてくださる女性が話しかけた、黒い仮面を被り二本もの大きなドリ……巻き髪を携えた、ローズと呼ばれた女性が返事を返す。


これが、ローズ様と始めてあった日であり、以降私の大切な記念日となるのであった。




「どうしたの?ミリー。黄昏ちゃって」

「あぁ、ローズ様との出会いを思い出していただけよ」

「あぁ、……成る程、分かるわ、黄昏ちゃうのも」


ただ今休憩時間、私は従業員割引を使い格安となったチョコレートケーキと普通のカフェオレを嗜みながらつい最近までの自分を思い出し物思いに耽っていると同時期に入ってきた、同じく休憩中の同僚、ミュールから声をかけられた為素直に答えると納得といった表情で同意してくる。


今ここで働いているブラックローズ、その全てのメンバーないし従業員は皆ローズ様の奇跡の様な魔術と智謀で不治の病ですら治して頂き、また劣悪な環境から助け出して頂いた者達ばかりなのである。


その為、皆ローズ様の事が大好きであり、崇拝に近いものを感じている為私の「ローズ様との出会い」というフレーズには、例え私が逆の立場であったとしても共感せざるを得ない。


そんな事を思いながらチョコレートケーキを一口食べ、その甘くなった口内へ無糖のカフェオレを流し込み、サッパリとさせる。


カフェオレに関してはキャラメルや砂糖等、甘くして飲む者も多いし、購入されるお客様も甘くする人が多いのだが、私はいつかローズ様の様にコーヒーを無糖で飲みたいと苦味に慣れる努力中であるのは、知られてしまうと恥ずかしいので内緒である。


「しかし、まさか私達がこの様なお菓子や飲み物をこうして堪能出来るだけでなく、お高いお給金まで頂き、まるでちょっとした小金持ちの真似事の様な暮らしが出来るなどとは想像すら出来ませんでしたし、未だに夢なのではないかと思ってしまいますね」

「そうねー………同じ国、同じ場所で暮らしている筈なのに、全く別の世界の住人の様な感覚でしたからねー……」


そしてミュールは私の話に同調するとラズベリーソースのかかったチーズケーキを一口頬張ると、白いもこもこした泡の上に焦がしキャラメルソースがかかったカフェモカをズズッと一口飲み白い髭を作る。


「ぷっ、もうミュールったら。またお髭が出来てしまっているじゃない」

「他人の目は無くミリーしかいませんから良いのですっ」


そしてミュールはそうは言うものの恥ずかしいそうにしながら口にできた白い髭をピンク色の、白い小さな花の刺繍が散りばめられたハンカチで拭き取る。


もしかしたらミュールが口に髭を作った理由は、このハンカチを使いたかったのかも知れない。


「あ、そのハンカチ可愛いですねっ!」

「そうでしょっ!一目惚れしちゃったから思わず買っちゃたんですっ!」

「えぇー、いいなぁ。ねぇねぇ、どこで買ったの?」

「これはこないだの休暇に少し遠出をした時にかったんですよー。良かったら今度一緒に行こーっ!」

「良いねっ、行きたいっ!行きたいっ!次の休みは合わせなきゃねっ!」


あの頃は確かに私は幸せだった。


でもどこか満たされてなかったと、今なら分かる。


父さん、母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん。


私は今、とても満たされています。




そして私はミュールとたわい無い会話をした後、休憩から戻る前に家族に当てて書いた手紙を帝都行きの乗り合い馬車のチケットと共に同封の上、出すのであった。

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