「りんごの花」の花言葉

 僕が従姉のりんごちゃんに恋をしたのは、たぶん小学校五年生の時だ。

 風邪を引いて熱が出て、学校を休んでいた僕のところへ、お見舞いの林檎を持ってやってきてくれた。


 僕の両親が共働きで、ひとりぼっちでいるのは心細いだろうと、わざわざ部活を休んで来てくれたのだ。


「別に心細くなんかないよ」

「強がっちゃって」


 まだまだ子供なんだから、と笑うりんごちゃんだって中学生で、見舞いのリンゴを上手に剥けないくらいには子供だった。


「食べられたらいいのよ、食べられたら」


 そう、ぶっきらぼうに言いながら、実の部分まで厚く剥かれたカクカクの林檎を僕に差し出した。


「おいしい?」

「……すっぱい」


 本当はすっぱいだけじゃなくて、冷たくて甘くて、美味しいと思ったけれど、素直に美味しいと言えなくて、憎まれ口を叩いた。そんな僕に、りんごちゃんは「えー」と言って、自分も林檎を口にした。


「甘酸っぱくておいしいじゃん」

「……もう僕、大丈夫だから帰っていいよ」

「ダメダメ。私、宿題してから帰らないといけないから。家じゃ集中できないし」


なんて、りんごちゃんはあからさまな嘘を吐いて居座った。


 僕は内心、ホッとしたことがバレないように「あっそ」と言って、布団を頭まで被った。

 暫く、僕もりんごちゃんも何も喋らなかったけど、りんごちゃんの声が聞きたくなって


「何の宿題なの?」


と聞いた。


「なんかね、理科の授業で一週間に一回、授業のノートを提出しなくちゃいけないんだけど、授業でやったことについて、自分で調べたことも書かないいけないの」

「ふぅん」

「今週の授業は植物のつくりだったから、これ図書館で借りてきたんだ」


 りんごちゃんから手渡されたのは植物図鑑で、僕はなんとなくパラパラめくった。


「あっ、ねえ知ってる? 林檎って、実は赤いけど花は白っぽいピンクなんだよ」


 りんごちゃんがそう言うから、手元の図鑑で林檎のページを見てみたら、確かに薄いピンクの花が載っていた。


「可愛いよね、林檎の花。こっちの姫林檎はちっちゃくて名前も可愛い」


 いつの間にかりんごちゃんも一緒に図鑑を見ていて、僕はりんごちゃんが近すぎることにどぎまぎしながら言った。


「林檎の実は赤じゃないよ、黄色だよ。赤いのは皮だよ」

「こいつぅ、生意気なこと言って! って、熱上がったんじゃない?」


 顔がさっきより赤い、と言いながら、額に手を当てられて、さらに僕は林檎みたいに真っ赤になった。


 そんな、十数年前の淡い思い出がよみがえってくるのも致し方ない。だって、今日は初恋の相手である、りんごちゃんの結婚式に参加しているのだから。相手は残念ながら、僕ではない。


 結局僕は、一度もりんごちゃんに好きだと言えなかった。

 あの日から、ずっと大好きだったのに、勇気が出なかったのだ。だから、この先もりんごちゃんが、僕の好意に気がつくことはない。


 後悔していないと言えば嘘になるが、だからと言って、結婚が決まった従姉に今更「好きだ」なんて言えない。失恋しても、これからも親戚づきあいは続くわけだ。だから、僕は告白しないということを選択した。


 せめて、彼女の幸せそうな姿を見て、すっぱり諦めようと参加した結婚式で、女々しくも恋におちた日のことを思い出して、感傷に浸っているのだった。


 結婚式は、新郎新婦の家族、親戚だけのこじんまりしたもので、りんごちゃんは順番に挨拶して回っていた。次が、僕の番だ。


「結婚おめでとう」

「ありがとう」

「これ、ちょっとしたお祝い」


 やってきたりんごちゃんに、僕は紙袋を渡した。中には、小さな花籠が入っている。


「これって」

「そう、林檎の花と姫林檎」


 りんごちゃんのために、あの日、二人で見た薄いピンクの林檎の花と、姫林檎で作ってもらった林檎の花籠だ。


 りんごちゃんはあの日と比べて、随分大人の顔で美しく微笑んで


「ね、覚えてる? 昔、私が、林檎って、実は赤いけど花はピンクなんだよって言ったの」


 勿論、覚えてるよ。その後、僕が照れ隠しに生意気なことを言ったのも、何もかも。あの日のことはずっと覚えていて、今も忘れられないんだよ。


 本当は、そう言いたかったけど、


「覚えてないや」


と、言った。


 りんごちゃんも、あの日のことを覚えていた。だけど、あの日、恋におちたのは僕だけだった。僕は、僕の初恋は、りんごちゃんに選ばれなかったのだ。


 不甲斐ない僕は、いつも自分が傷つかないための選択をする。


「この姫林檎は食べようと思ったら食べられるよ。酸っぱいからそのままはおすすめしないけど」


 そんな憎まれ口はいくらでも叩けるのに、この花籠に込めた本当の気持ちは、何一つ口に出せないのだった。

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赤に纏わる。 石衣くもん @sekikumon

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